誰かがあたしを呼ぶ声がする。ぎりぎり聞こえる程度の小さなものだったけど、それはちゃんとあたしの耳に届き、浮わついた意識を引き戻した。 「ほら毬花、起きなさい」 『……はっ』 声の主は目の前の人物? らしかった。寝起きのようにぼやけた視界にいた、その人物とは、いまだ犬に変身したままのメフィスト。綺麗な白い毛が眩しいや。 見える景色がだんだん鮮明になってくると、ふと、今までのことを思い出した。授業中に燐が雪男に怒り出して、下級悪魔が暴走して、机の下に避難して、それから……。 ……ダメだ。ここから記憶があやふやになってて、思い出せない。 考えれば考えるほど頭の中がこんがらがっていき、焦ってしまう。いきなりこんな事になるなんて思ってもみないから、どうしたらいいのかわからない。 そんなあたしを見てくる犬メフィスト。それに気づいたあたしは、はっとしてそのふわふわな体をまさぐった。 『あ、大丈夫? 怪我とかしてない?』 「貴女馬鹿でしょう。まったく、危ないじゃないですか私を庇うなんて。そもそも、この私があんな下級悪魔にやられるわけがない」 『だって犬の姿だったし……。ていうかそれ早く言ってよ!』 「いや、言う前に貴女気絶してたじゃないですか」 メフィストのもっともな言葉にだんまりしてしまう。犬の姿でもわかる、彼は今かなり呆れている。 そういえば自分が少しばかり意識を飛ばしていた間に、あの壮絶な兄弟喧嘩も止んでいたようだった。教室では所々に青い炎が燃え移り、物も壊れ、あの喧嘩の悲惨さを物語っていた。 ……そもそもあれは、ただの喧嘩なんだろうか。 それとも何かとんでもないことでも起こっていたのか、と考えていると犬メフィストに足をつつかれた。ぽふぽふと気持ちいい感覚に不謹慎にも和んでしまう。だがそんなあたしを、彼はもう一度つついてきた。仕方なく辿った視線の先には、教室のドアのところに立っている雪男。それがいったいどうしたと言うのだろうか。 「すみませんでした皆さん。別の教室で授業再開します」 「先生、毬花がいません!」 出雲ちゃんの声に、ようやくメフィストの言いたいことがわかった。急いで机の下から出ようとする。その瞬間、教室に鈍い音が鳴り響き、頭に激痛が走った。一瞬にして生理的な涙が目に膜をはる。右手でぶつけた箇所をおさえ、机の下から弱々しく左手を伸ばした。 『こ、ここに……います……』 「毬花!?」 皆の視線が一気にこちらに集まるのを感じる。 なんて……なんて恥ずかしいんだ。初日なのに。いきなりこんな醜態を晒すなんて、この先皆とちゃんとやっていけるのだろうか……。 「毬花、大丈夫?」 『大丈夫じゃないかも。……主に頭が』 絶対明日たんこぶできてると思う。それくらい痛かった。 なんとか机の下から這い出ると、出雲ちゃんと朴が駆け寄ってくる。他の皆にも心配されてしまった。……皆なんていい人たちなんだ。 そして、なんだかんだありつつもあたしたちは別の教室へと向かったのだった。 災難続き。 (毬花……) (安心なさい。毬花は貴方たちがもめている間、気を失っていました) back |