星ひとつ見えない夜だった。まるで黒いインクを垂れ流したような真っ暗な空。潮の匂いが鼻をつく。階段を一段一段踏みしめるように降り、だいぶ痛んでいる木製のドアを、ノックもせずに開く。
「なんだ、また来たのか」
 おまえも懲りないねぇ。イギリスは持っていた羽ペンをインク壺に突っこみ、手元の羊皮紙をくるくると丸めた。すべて片付いたところで、静かにたたずむ来客へと視線をよこす。
「……まぁ、用件は同じ、と見えるが」
「わかってんならさっさと対策してくれへんか」
 スペインの声には驚くほど覇気が感じられなかった。ついこの間までの彼の姿と比較すると、その差は一目瞭然だ。これがかつての「太陽の沈まぬ国」とは誰が信じられよう。オレンジ色の薄暗い光に照らされたスペインの姿は無様だった。服は破れ、体は傷だらけ。イギリスはランプを持って立ち上がり、スペインの隣へと歩み寄った。
「前も言った通り、こっちも努力はしている。ただ相手も海賊なだけあって、なかなか言うことを聞いてくれないんだ」
 より強い明かりを近づけたことで見えたものに、イギリスは息をのんだ。褐色の肌の上に散る無数の赤い痕。一体何があったかなんて、想像にかたくない。イギリスの視線に気づいたらしいスペインは体を隠すようにさっと一歩退いたが、そんなことで誤魔化されるほど彼の目は節穴じゃなかった。
「それ……海賊共に……?」
 スペインは答えなかった。首も、縦にも横にも振らなかった。肯定もしないが否定もしない。それは「イエス」を意味しているのだと、イギリスは理解した。
「ロマーノには、言わんといて」
 かすれた声で呟く。「ああ」とイギリスは返事をしたが、場の流れに合わせた適当な返事だった。彼が約束を守る可能性は、とてつもなく低い。
「……あかんわ」
「え?」
「さすがの俺もそろそろ限界や」
 スペインの口から飛び出したまさかの言葉に、イギリスは内心驚いた。へらっと笑いながら、だけどその言葉はきっと本心からのもの。遠まわしな表現だけど、それはきっと彼の精一杯の弱音。
「だから、頼むわイギリス」
 海賊共、取り締まってくれな。スペインの笑顔がひどく痛々しい。イギリスは眉間に皺を寄せた。
「スペインっ」
「え」
 ガシャン、派手な音をたててガラスが飛び散る。イギリスの手に持っていたランプが落ちたのだ。火は一瞬大きく燃えて、一気に消えた。室内が少し暗くなる。
「ちょっ、危ないやろ!船ん中なんやから、燃え広がったら火薬なんかに燃え移って―――」
「スペイン」
 イギリスはスペインの両手を包むようにとった。突然の行動にスペインは困惑した表情で目の前の金髪男を見つめる。
「イギリス……?」
 イギリスはそのままスペインの手を引っ張って抱き寄せた。「えっ」とスペインは声を漏らしたが、あまりに予想外のことだったので抵抗しないまま受け入れる。イギリスはスペインに寄り掛かるように抱きしめた。
「つらいならつらいって、ちゃんと言えよ」
「……」
「見てらんねぇんだよ、馬鹿……!」
 スペインは一瞬息を止めた。込み上げてきたものを我慢するために。まだだ。まだ、こんなところで、くじけるわけにはいかん。
 馬鹿はどっちだ、イギリスは心の中で呟いた。何をやってるんだろう、俺は。まさかこんな気持ちになるなんて。全部全部、この男が悪いのだ。この男さえいなければ。
 本当のことを言ったらどんな結末が待っているか、イギリスは十分わかっていた。



真実は見えない
(すべては自国の繁栄のために)




(2011/06/08)
英西えろを書きたくて、英西の原点ともいえる16世紀後半の海賊時代を書きました
えろは次回!(笑)


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