テーマ『悪い話』
悪人 様へ提出
タイトルは企画サイト様からお借りしています。

!手入れ、看病は人間の姿のままで主が行うという設定です。






「悪い、敗けちまった」

怒られる、とは思ったが、まさか右頬を力一杯はたかれるとは微塵も思っていなかった。
無防備に構えていた以上に、主の細腕にさえ今は踏ん張る力も残っていない。
乾いた破裂音と共に俺の顔は横へと大きく弾かれた。
真っ白になる頭と、それに相反するように額の傷口から噴き出す真っ赤な血と、俺の後ろでおろおろとする奴らの真っ青な顔と、視界を揺らす色は一瞬で目まぐるしく変わった。

「…ばか!」

ふらつく頭を主の声へと必死で向ける。
意識を失う直前最後に見た景色の中、主は大粒の涙を流して大きく叫んだ。

それを見てようやく安心して、俺の記憶はそこから無い。
戦に負けたあの日、あの日は確か大粒の雨が降っていたはずなのに意識を失っていてもなんとなく暖かかったことを覚えている。
怒られる、とは覚悟していたが、まさか門扉を開けたその場に真っ赤な顔をして俺を睨む主が突っ立っているとは思わなかった。

ぼんやりと天井を見つめる。
自然に開いた視界には見慣れた本丸の天井が映っていて、耳を澄ませば誰かの笑い声が廊下に響いていた。
無意識に体を起こそうとするとひどい痛みが背中を一気に駆け上がり、俺は思わず呻き声を上げた。

「…っ、」
「動いちゃだめ」

不意に耳元で柔らかな声が響く。
冷たい何かが俺の額を拭い、それが主だと気づくのに少し時間がかかった。

「まだどこもかしこもボロボロなんだよ。熱だってあるし。だから、動いちゃだめ」

冷たい濡れ布巾が俺の頭を撫でる。
ゆっくりと晴れていく視界の中に、意識を手放す直前に見えた主がいた。
もう泣いてはいない、けれどどこかやつれたその顔はいつにもまして青白く、眉間に皺を寄せて俺をじっと睨んでいる。
華奢な細腕に額を押さえ付けられているのに、抗う力が入らなかった。
俺は仕方なく再び枕に頭を預け、ようやくこの状況を整理しようと口を開ける。
血の味が喉に落ちて、覚醒する意識とともに鈍い痛みが身体中を這い回った。

「…俺は」
「もう4日も寝てたんだよ」
「…そう、か。そういや、次郎は、」
「次郎太刀は少し寝かせたらすぐ目が覚めて、中傷だったみんなももう元気になってる」
「…そ、うか」

戦に負けたあの日、隊長だったくせに皆を守れなかったこと、勝利目前だったのに逃げざるを得なかったこと、後悔ばかりが気持ち悪く胸に残る。
それでも皆無事だったなら、と、俺はやっと大きく息を吐けた気がした。

「…ばか。皆の心配ばっかして」

主が怒った声で、けれどぽつりとそう呟いた。
どこがどうなっているのか自分でも分からないほど、身体中包帯だらけなのにやっと気付く。
更に右目も開けられなくて、見える視界は左側の、主が俺の額を抑えるその風景だけだった。

「…悪い」
「謝って欲しくなんかない」
「…でも、敗けちまったしなぁ」
「敗けてもいいから、」

正直体はまだ傷だらけで、黙っていてもずきずきと込み上げる鈍痛に、ともすれば情けない呻き声でも上げたいほどだった。
吐く息を調節しながらなんとか主の前では誤魔化そうと痛みを逃すことに終始するも、主は俺の額を抑える手を退けない。
冷たい布巾越しに主の手が震えているのに気付いて、気付いた時には主が俺の頭を抱えるように緩く、小さく、覆いかぶさってきた。

いつもの甘い香の匂いが疲れた脳に抜ける。
押し付けられた胸が丁度俺の胸に重なり、その驚くほど柔らかな感触に俺は思わず大きく息を吸った。
無意識に伸ばした手がずきりと痛んで、横目で見れば骨折でもしているのか固定されている。
怪我さえしていなければ今なら主の胸をさり気なく触れたのに。
なんてくだらないことが頭を掠め、その小さな欲望に罪悪感がむくりと頭をもたげた。

「敗けてもいいから、怪我しないでって言ってるでしょ」

ぎゅ、と暖かな肌が衣越しに俺の胸へと押し付けられた。
罪悪感につられて一緒に起き上がった生理現象に、俺は何も言えなくなってただ、大きく息を吸う。

「ばか」

願わくばこのまま主が俺を抱きしめていてくれればいい。
俺は必死で無表情を装い、俺に覆い被さったまま小さく啜り泣く主の肩に顎を預ける。
俺のこのくだらない欲望に気付かれたら、きっと庭の池にでも飛び込んで死ぬ他ない。

大きく息を吸うと甘い匂いが鼻を抜ける。
柔らかな胸が俺の胸に押し付けられる。
俺のそんな考えなんて何処吹く風で、鈍感な主は何も知らずに俺の頬へ頬ずりした。




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