なんとなく眠れなくてなんとなく縁側に出てみれば、俺の耳でも聞こえないほど静かな雨が暗闇から降り注いでいた。
きっと明日の朝にはやんだとしても、雨を嫌う主は恐らく俺達を戦には行かせない。
雨の日は縁起が悪いらしい。
そんなこと信じるはずもなかったが、嫌うというよりは雨を怖がっていると言ってもいいほど主は雨を避けていたから、もうこの件に関しては諦めがついている。

ふと縁側の先の主の部屋へと視線を移すと、こんな夜更けにも関わらずまだ小さな灯りが漏れていた。大粒の雨が降った時に部屋の隅で蹲り泣いていた主を見たことがある。
それ以来、こんな日は無性に胸が責め立てられた。
またあの寂しい部屋で一人で泣いてやしないかと、ざわつく悪い予感に無意識に駆け足になって、俺は主の部屋の障子を開けた。

「おい、もう夜更けだぞ」

開けた途端にそう声をかける。
視界に飛び込んできたのは机に突っ伏したまま眠る主で、きっと何かの書類を書いていたらしい。
机に置かれた蝋燭には火がともったままで、俺の開け放した障子の風にゆらゆらと朧気に揺れた。

「…なんだ、寝てんのか」

静かな寝息とともに目を瞑る主を見て俺はほっと胸をなで下ろす。
よく見れば主は微かに震えていた。
手にはペンを握りしめたまま、散乱する紙を布団替わりに身を縮こまらせ背中を丸めて震えている。
雨の所為でいつの間にか冷え切っているこの部屋に、薄い白装束だけで眠っていれば無理もない。
主の部屋に入るか少し迷ってから、けれど小さく身じろいだ主が余計に体を縮こまらせたから、俺はとうとう足を踏み入れた。

縁側とは違うぬるりとした風が漂うのは気のせいか。
無断で主の部屋に入ったことは初めてで、主の肩に押し入れから取り出した毛布を掛けてやるだけの筈なのにこんなにも心臓が鳴り響く。
それよりも布団を敷いて寝かせた方がいいのか、目前に迫る主の背中を眺めながら頭の片隅をそんな考えが一瞬よぎった。

主の肩は小さい。
俺よりも、下手をすれば短刀と同じくらいか、いやそれよりは流石にあるのだろう。
なおも小刻みに震える体をこの毛布ごと抱きしめい感覚に囚われた。
ふう、と息を吐く主の体が動く。
伸ばしかけた手を不自然に止めて、俺は変に湧いた思考を追い払う。

こんな俺に誰かを暖める力なんてないだろう。
戦うことしか出来ないから。
きっと、机より硬い体に主は眠りを妨げられて、悪い夢でも見てしまいそうだ。

自身の考えに自嘲し、これ以上この部屋にいたら俺は何を考えるか分からなくなって、その肩にバサリと毛布を投げかけた。
主の部屋は何かの香の匂いがする。
何の匂いかは分からないが、脳の奥にまで届くこの匂いは嫌いじゃない。
そう思った途端、俺の服の裾が何かに引っ張られて俺は思わずつんのめった。

「…っと、」

無意識に出た声が存外大きくて咄嗟に口を塞ぐ。
恐る恐る振り返っても主はそのままの態勢で眠っていた。
けれどその腕は、その細い手は、確実に俺の服の裾を握りしめている。
状況が掴めないながらも、まだ眠る主をもう一度確認して俺はその手にそっと触れた。
引き剥がすのは簡単で、けれどこんなに優しくなにかに触れたことは今までにないことで。
力の加減が分からず柔らかく握りすぎたその手はゆるりと俺の手から滑り落ちそうになった。
途端、冷たい手が俺の手を握り返す。
その冷たさにぞくりと背中を何かが伝って、不意に鈴の音のような、か細い声が俺の耳へと風を運んだ。

「…そばにいて」

耳はいい方だか聞き間違いかと思った。
現にさっきこの外の雨に気付かなかったし、だから聞き間違いかと思って、けれど続く主の言葉に体の力がすべて抜けていった。

「…あたしは寝てるから。朝になったら忘れるから。だから、そばにいて。お願い」

掴まれた掌がぎゅ、とさらに強く締め付けられる。
目を瞑ったままの主は、泣いているのかまでは分からなかったがぐす、と小さく鼻を啜った。

「…誰かと、勘違いしてねぇか」
「そう、思うなら、それでいいよ」

拗ねた子供のような投げやりな言葉が返ってきて、俺は仕方なくその場に腰を下ろす。
それが存外嫌じゃなくて、むしろなんとなく嬉しくて、にやけそうになった頬を内側から無理に噛み締めた。

「ありがとう、同田貫」

はっきりと告げられた名前に応える術を知らず、ゆるゆると繋がれた左手から異様に冷たく、柔らかな女の感触が聞こえない雨の音のように朧げに、俺の体から熱を奪った。




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