人間になってよかった、とみんな口を揃えてそう言った。
俺はまだ、いまいちこの感覚に慣れていない。
戦のことばかり考えていればいいだけの、あの冷たい無機物の方が楽だったのにとそう思う。
腹は減るし眠くはなるし外の空気は寒かったり暑かったり、騒がしい音には頭が痛くなるし臭い匂いには目眩がする。
そんな煩わしさ、ない方が楽だろう、そう言ったら他の奴らが哀れんだ顔をして俺を見つめた。

「かわいそうな奴だなぁ」
「はぁ?なんでだよ」
「人の方が、刀の何億倍も幸せだろうが」

鶴丸が呆れたと言わんばかりにそう言い捨てた一言を掘り下げるのも面倒臭くて、そうかよ、とそれだけ返した。

人間の何が幸せなんだろうか。
腹が減り眠くなり外気温と騒音と匂いと光と他人や何やらに煩わされ、栄養と快感を求めずには生きていけない。
脳と体の欲求に支配され振り回されるだけの、そんな不自由な生き物になって、何がそんなに楽しいのだろうか。


「内番終わったぞ」
「はーい、あ、野菜そこに置いといて」

主の部屋に野菜を持ってそう報告すると、何やら書き物をしていた主は視線を机から外すことなく俺にそう言った。
中でも俺が今一番煩わしいのがこの感情で、この感情が何かなんて考えたくもない。
とにかく、この人のことを考えたりこの人を目の前にすると、今までの俺の気持ちではいられなくなる。
ざわざわと掻き立てられ突き動かされるようなこの変な感情は刀であった時には微塵も感じたことはなかった。
この人を目の前にすると、今までの全てを置き去りにしてもいいと思える。
時間が止まってひどくゆっくりと景色が進む。
主が動くたびに揺れる髪の毛とか微かに開く唇とか瞬きの時に小さく音を立てる睫毛とか、全てを見逃すまいと全神経を集中させてしまう。
そんな自分が嫌に気持ち悪くて心底情けない気がした。

「じゃがいも採れた?」

開け放たれた主の部屋の縁の下に野菜を置くと、未だ視線は動かさないまま主がのんきな声音でそう言った。
抱えていた悶々を見透かされたような気がして、俺は慌てて平静を取り繕う。

「…あー、あぁ、今日は何個か採れたぞ」
「ほんと?じゃぁポテトサラダ作ろ」
「ぽてとさらだって、あの美味いやつか」
「うん。さて、ついでにおじいちゃんと堀川くんに台所来てもらうように言っといて」

刀であったときは、誰かが俺を手に取ってくれればそれだけで戦が出来た。
腹が減ってはなんとやらよろしく、今の俺は欲求に従う他、戦に出るすべがない。
けれど腹が膨れてさえいれば、自分で戦に行けるんだよな。
そう考えれば人間も悪くはないか。

まとまらない思考がそう結論付ける。
ふと主に目をやると、書き物をしていた手を止めて間の抜けた柔らかな瞳で俺を見つめていた。
恨みも憎しみも悲しみも何にもない、穏やかなはずなのにこの瞳にかち合うと俺はいつでもぼろぼろに負けてしまった気がする。
ひどく惨めで、ひどくむごい、そんな負け方。
きっと刀であった昔の俺が今のこの感情をどうしても受け入れたくないから、そんな風に思うのだろう。

「この前たぬきがポテトサラダ美味しいって言ってくれたからね、あたし練習したんだ」

人間になったのだから生理現象も仕方のないことで、付喪神であった時にも少なからずあった強い感情も当たり前に複雑化して、そのすべての変化に追いつけなくて一人取り残されたそんな気になる。
眼の前でへらりと笑った主を見ていると、けれどきっとこの人は俺を捨てはしないのだろうなとそう思えた。

「だから今日のはきっとこの前よりも美味しいよ」

主を目の前にすると、今までの全てを置き去りにしてもいいと思える。
時間がゆっくり流れていく。
主の一挙手一投足を見逃すまいと、もっと近づいてその顔を眺めたいとそう思う。

刀の俺がそんなことを思っていると知ったら、この人は俺を壊すのだろうか。
それとも優しく、抱き締めてくれるのだろうか。




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