一人で出来ると張り切ったらこれだ。

まだ薄暗い朝。
左腕に出来た赤い筋に、私は冷たい水を勢いよく浴びせた。
みるみるうちに濃く膨れ上がるそれは、痺れるような痛みをじわじわと増していく。




昨日の晩から遠征も出陣も多く人手が足りなかった。
同田貫が困ったような顔をして、「それなら朝餉ももう準備してもらっとくか」と言った。
一期一振か誰かに。
そう付け加えられた言葉に、全く頼りにならないと決めつけられている私に、悔しくなって。

「私と同田貫の朝ごはんくらい、作れるよ」

そう、息巻いたのが事の始まり。

「……いや、無理だろ」
「無理じゃない、作れる」
「あんたが厨に立ってるのなんか見たことねぇけど」
「……つ、作れるよ、二人分くらい。ご飯炊いてお味噌汁と、鮭焼いて、卵焼きと、トマトと。やったことないけど簡単でしょ」

私の言葉に同田貫は少し黙って、それから諦めたように頭を小さく掻いた。

「あんたがやるってんなら、止めねぇけどさぁ」



前の日に同田貫がぽつりと、立ち寄った蕎麦屋の町娘にこぼした言葉が引っ掛かっていたからだ。

「あんな細腕で、よく働くな」

目の前にいるのは私なのに。
どうぞ、と運ばれた盆には二人前のざるそばと、天ぷらが載っていた。
重たそうなそれを笑顔で運ぶ町娘は確かに凛として可愛く、仕事で滴る爽やかな汗は美しかった。
両手に乗せた盆を軽々とそれぞれの前に並べた娘を見送って、同田貫は改めて私の顔をまじまじと見てから、小さく笑った。
きっと私が拗ねた顔をしていたからだと思う。

「どうした」
「……私以外の子、褒めた」
「いや、全然褒めてはねぇだろ」

楽しそうに笑った同田貫は、私のことなんかお構いなしに盛りに盛られたざるそばを大きく啜る。
不細工に割れた割り箸を睨んで、私も仕方なく蕎麦を啜った。



そんなくだらない嫉妬心。
それが今は後悔に変わっている。
味噌汁を作りながら米を研ぎ、卵焼きに着手しようとした時、鍋が突然吹きこぼれた。
慌てて蓋を取ったら、思ったより熱くて思わず指が離れてしまった。
瞬間、鋭い痛みが走る。
熱された蓋のフチが無様に私の腕に張り付いたと、瞬時に脳が理解した。
そうして、左腕の真ん中あたりに蓋のフチを象る真っ直ぐな赤い筋が刻まれてしまったというわけだ。

冷たい水が勢いよく左腕に打ち付けられる。
火傷の痕はみるみる濃く赤く伸びていき、痛々しく膨らんできた。
細腕とも、よく働くとも言われたことがない。
息巻いた時にも呆れた顔をされただけ。
なんとも情けなくなって俯くも、腕の痛みは強さを増していく。
それでも少しは見直してもらいたくて、私は打ちつける水の栓を力任せに閉めてやった。



いつもより遅い時間になったがやっと出来た朝餉を広間に持っていく。
既に同田貫が一人、暇そうにぼんやりと机を睨んでいて、私は抱えるお盆をそっと同田貫の前に置いた。

「出来たよ」

具沢山の味噌汁につやつやのご飯、卵焼きと焼いただけではあるが魚の干物と、採っただけのトマト。
手間をかけたものといえばそこまでのものではないが、それでも並べられたものは彩りもよく完璧だった。
私が得意気にそう言うと、同田貫はまだどこかぼんやりとしたまま、ぽつりと呟いた。

「……腕、なんだ、それ」

じ、と見つめるのは私の左腕。
低いのんびりとした声は穏やかではなく、私は思わず左腕を背中に隠した。

「えっ、あ、なんでもない……」
「火傷したのか」
「してない」

私な言葉にやっとこちらを見た同田貫は、その太い腕を徐に伸ばした。
一瞬逃げるか迷ったが、逃げられもせずゆるゆると掴まれた左腕は、情けなく同田貫の目に晒される。
居た堪れず固まる私をよそに同田貫はじっとりと私の腕を見つめて、それから深いため息をこぼした。

「……そんなに、痛くないし、ちょっとだし、朝餉はほら、ちゃんと出来てるし……」

長々と吐いた息が私の気持ちを弱くする。
また呆れられているな、と。
少しは見直して欲しかったし褒めて欲しかったのに、きっとまた、同田貫は私を哀れむだけだ。

「やっぱり、誰かに作ってもらえばよかったな」

同田貫のかさついた親指が、つ、と赤い筋をなぞった。
ピリ、と小さな痛みが走って思わず眉を顰めると、観察するように私を見つめる同田貫の瞳と目が合った。

「……私だって、作れてるじゃん」
「だけど、火傷してんじゃねぇか」
「……そうだけど」
「あんたはさ、」

同田貫は再び深いため息をこぼした。
次いで眉間に皺を寄せ、また火傷の痕に視線を移すと、その太い指が私の腕をそっと撫でた。

「俺が軽症でも、大慌てするだろ」
「……うん」
「俺も、あんたが無傷で、元気で、楽しそうなら、他には何にもいらない」

無骨な手が優しく、馬鹿みたいに優しく私の腕を撫でつける。

「あんたもっと自信持てよ」

呟くように言われた言葉に、私は胸が詰まった。
いつも呆れた顔で興味のなさそうに私のことを眺める癖して、こういう時だけずるい。
そう、いつもずるいんだ。

「自信、つけさせて」
「これ以上何すりゃいい?」

他の子を見ないで。
私だけを褒めて、私だけのそばにいて。

そんな事は無理だと分かっているから、私は同田貫の手に右手を重ねて、祈るように呟いた。

「朝餉、すごいねって、……褒めて欲しい」

同田貫はやっぱり、呆れたように口元を緩ませて、小さく笑った。

「完璧じゃねぇか。すげーぞ、我が主」

子供をあやすように言われた穏やかな言葉。
同時に、じんわりと強い力が赤い筋をまた、ピリ、と小さくなぞった。






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