「同田貫」

空の上を滑るような。
この本丸でこんなに高い声で喋るやつは主以外他にない。

「あのね」

朝の馬当番を終わらせた俺は、まだ汗もまともに拭き切らないまま部屋に戻ったばかりだった。
丁度その襖を開けた時、主は空を突き抜けるか細い声で俺を呼び止めた。

「畑の肥料、倉庫にしまっといて」
「あー。分かった」

主の言葉に気の抜けた返事をすると、主は大した反応もなくさっさと俺の視界から消えていく。
頬に伝った汗を乱暴に手拭いで拭き取ってから、どうせなら用事を終わらせてから風呂に行くか、と俺はそのまま畑へ向かった。



「同田貫ー」
「あー?」

5つほどあった肥料をやっと倉庫に運び込むと、また主の高い声が俺を呼ぶ。
振り向くと、存外近いところに主はいた。

「今からお風呂?」

肥料を肩から下ろしながら主の言葉に何の気無しに答える。

「汗かいてるからな。入らねぇと」
「それならお風呂の薪をね、炊事場に持ってって欲しいんだけど」
「炊事場?足りてねぇのか」
「え?あー、うん、まぁそう、かな。お願いね」
「……まぁ、ついでだからな」

ため息と共に渋々そう返すと主は少し罰が悪そうに俯きそれからまたさっさと俺に背を向けた。
面倒だったが仕方がない、と俺は風呂場へと足を進めた。



「新しい薪?」

束ねた薪を両手に抱えて結構な距離を運んで行ったのに、さも驚いた風に燭台切はそう言った。

「……足りてねぇって、聞いて」

俺の言葉に一瞬ぽかんとした燭台切は、差し出した薪も受け取らず大袈裟に首を捻る。
その反応に間違いはない。
なんせ、俺の横のかまどにはしっかりと火が焚かれていたし、そもそもここに辿り着く少し前から涎の出そうな匂いが立ち込めていた。
かまどの横の薪入れにはまだまだ綺麗な薪がたくさん積まれていて、むしろ俺の持ってきた薪が入る隙間は見当たらなかった。

「足りてないことはないねぇ。誰が言ってた?」
「……主」
「……あー」

包丁を持ったまま、燭台切は俺に指だけで薪を下に置け、と指示をする。
仕方なく重たい薪を地面に置くと、少し考えてから燭台切は笑った。

「まだ何か用があるみたいだよ」

長い人差し指が俺の後ろを指したから、俺はつられて振り向く。
ふと目の合った主は、突然振り向いた俺に僅かに驚いたように小さく震えて動きを止めた。

「あ、んたなぁ」
「……ご、ごめん。薪、勘違いだった」
「……ったく、風呂入りてぇのに」

燭台切は俺の脇に置かれた薪を徐に持つと、さっと炊事場の奥へと姿を消した。
主は俺の視線に不安そうに視線を泳がせる。
疲れた体を押してまで風呂に入る用事を後回しにしたのに間違いだったとは。
つい徒労に費やした時間と体力を思ってため息がこぼれた。
俺の大袈裟なため息に困ったように眉を下げた主は、それでもめげずに口を開いた。

「あ、あのね」
「なんだよ。まだなんかあんのか」
「……その、えーと、部屋の本を取りたいんだけど、上に置いちゃって届かなくて…、取ってほしくて」
「はぁ?そんなのその辺のでけぇやつに頼めよ。なんでわざわざ俺に」
「……そ、」
「つーかな、五月雨式に用事を押し付けんなよなぁ。せめて一回にまとめて言ってくれよ」

風呂に入りたい。
馬の世話は重労働だし存外臭いが染み付いて取れなくなるし、肥料や薪を持ってこの広い本丸をうろうろしたせいで余計に汗がまとわりついている。
額を伝う汗を手の甲で拭うと、主はぐ、と唇を噛み締めた。

「……薪は、ごめん。でもね、」

空を滑るような高くて細い声。
俺が出陣のない日はこうやって何かと俺に用事を押し付けてくるから、最近になって不公平ではないかと思い始めていた。
俺は少し身構えて主の言葉を待つ。
なんで俺にばかり用事を言いつけるのか。
しかもなぜ一度に言わず何度も話しかけてくるのか。
俺が一番、使いやすそうに汚れた服で歩いているから、使いやすそうに汚れているから、きっとそんな理由なのだろうが、でも流石にいい加減にして欲しい。

主の声は空の上から降り注ぐ柔らかな雨のような、俺にとって心地よいもののはずなのに。
俺との会話は誰よりも多いはずなのに。
話す内容といえばつまらない用事ばかりだ。

「……同田貫と話したいんだけど、話しかける口実が、いつも他に思いつかなくて」

主は顔を真っ赤にさせながらそう、ぽつりと零すと、叱られた子供のように俯いた。

「……ごめん」




後ろの方で物音がした。

「何やってんの?」
「子供は見ちゃだめだよ」
「あ、また短刀を子供扱いした!」
「こらこら、野暮はやめなさい」

燭台切と愛染と乱の声がする。
チ、とスズメが一羽、主の後ろから空へと飛び立った。



一瞬、何を言うべきか分からなくて、けれど何か言わなければと間延びした声が間抜けに耳に入ってくる。


「……俺と話したい、って、……あー、いや、別に普通にさぁ。……何の話でも、してくれりゃいいのに」
「……何の話でも、って、どんな?」


空の上を滑るような。
この声に話しかけられるのを実はいつも待っていた。

「……天気の話、とか」

だらだらと降る雨のような、そんな話を。







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