テーマ『過去の恋人』
remedy様へ提出
タイトルは企画サイト様からお借りしています。




主の机の上に美しい便箋を見つけた。
きっちりと封を閉められたそれには見慣れない男の名前が、作法を無視した左端に極々小さな字で書かれている。
自身の汚れた手が何の迷いもなくそれを握りしめ、同時に、書かれた名前をただぼんやりと目がなぞった。
美しい便箋には簡単に泥のような汚れがつき、強く握りしめたせいで皺も入る。
無感情な思考とは裏腹に、強く噛み締めた唇には不愉快な痛みが走った。

「何してるの」

抑揚のない声がすぐ後ろから聞こえた。
あまりにも近くから聞こえた柔らかな声に驚いて、俺は柄にもなくびくりと肩を震わせてしまう。
そんな俺を見て、主は呆れたように笑った。

「えっ、驚きすぎ」
「……気付かなかった」
「珍しいね」

からかうように目を細めた主に無理矢理無表情を向けながら、しわくちゃに汚れた便箋を机に戻す。
紙が擦れる僅かな音に、主は俺の手元に視線を捻った。
楽しそうだった主の顔が一瞬にして強張った。

「……あ、汚しちまった、悪い」

睨むともいえない藪睨みで暫し便箋を見つめた主に、今更俺は怖気付いて似合いもしない弱い声音でたどたどしくそう告げる。
主は口元だけで笑みを作ると小さく唸ってから、なんでもないことのように一言だけ、俺に呟いた。

「捨てといて」 

短い言葉、泣き出しそうな瞳に下げられた眉。
それに釣り合わない、口元の笑み。
そんな風に想われるこの名前の男が、主と幸せになってくれれば俺の想いも少しは軽くなるのだろうか。
自分で置いた便箋を再び手に取り、なぜか大事に懐にしまった。





「主、夕飯は何がいいかって、堀川があんたを探してたぞ」

懐に入れたまま、その便箋の存在を俺はもうとっくに忘れていた。

夕暮れ時にいつもふらふらと姿をくらます主を探すのは俺の役目だった。
今日も一時間ばかり神域の中を探し回ってやっと見つけた主は、小高い岩山の上でぼんやりと空を眺めていた。
流石に苦しい息を誤魔化しながらなるべく抑揚のない声で、なるべく優しく声をかける。

主は遠くを眺めていた視線を俺に向けると、夕焼けに染まる顔を一瞬柔らかく崩して笑った。
愛しいと思うのはこういう表情で、このほんの些細な表情を見逃したくないからきっと、俺は主ともっと同じ時を過ごしたいと願っている。

「んー、卵焼き食べたい」
「卵焼き?それだけか」
「うん。あとはなんでも。皆で好きなの作って」
「卵焼きなぁ。りょーかい」

岩山の上に凛と背筋を伸ばして座る主に、俺はそれだけ告げると踵を返した。
本当は隣に行って主と同じものを眺めていたいが、それをすると堀川に小言を言われそうだし本丸の奴らに夕飯が遅くなったと文句を言われかねない。
何より、俺が隣に座ることを主に拒否されるのが怖かった。
そんなことがどうしようもなく怖かった。

「あ、同田貫!」

主が珍しく大きな声で俺を呼んだ。
不安定な岩場を降りようとしていた不自然な姿勢だったが、俺はその声にすぐさま振り向いてしまう。
岩山から俺を見下ろす主は、どこか切羽詰まった顔をしていた。

「どうした?」
「……前に、その、便箋、捨てといて、って……」
「便箋……、」

一瞬何のことかわからなくて、けれど突然懐の辺りが熱くなったようなそんな錯覚がして、俺は思わず息を呑んだ。
俺の表情を観察していた主は少しだけ困ったような顔をしてそれから、寂しそうに笑った。

「やっぱり、捨てちゃってるよね」

懐にしまったままの便箋がもがく声が聞こえる。
ここにいるぞと、喚いて騒いで、怒鳴る声がすぐ近くで突然響いた。

「現代の政府に呼ばれてまた現代に戻れることになって……だから、便箋がね、あれば、……って、思ったんだけど」

無意識に懐を強く握りしめた。
うるさい、お前は一度捨てられた癖に、捨てられるはずだった癖に、思い出されたからと騒ぎやがって。

「……やっぱり、捨ててるよね。同田貫?」

なんて酷なことをなんて優しい顔で言うのだろうと思った。
俺の好きなはにかむような表情で、忘れていたはずの男のことを想っている。
忘れていいはずの男のことを想っている。

ただのモノなのはお互い様。
俺は主の刀でしかないし便箋はただの紙切れでしかない。
一度読まれたら捨てられる。
それなのに、俺はモノで刀でそれでしかないから、主に人として見てもらえないのなら今一時だけでも便箋になれたら、なんて。
そんな馬鹿な妄想を無理矢理拒否しようと、俺は声を荒げて主に怒鳴った。

「当たり前だろ、あんたが俺にそう頼んだんだろうが!」

吐き捨てた言葉の重みなんてどうでもいい。
胸の熱さが憎々しい。

主の返事も聞かず顔も見ず、俺は岩山を一気に駆け下りた。
それがどれだけ幼稚な逃げだとしても、主がまた現代に戻ればきっと、俺より、俺たちより、そんなものどうでもよくなるくらいの幸せを与えてくれる男とよりを戻す。
戻すんだろう、きっと。
この便箋があろうがなかろうが。


無我夢中で走り辿り着いた湖の前に、俺は力なく座り込んだ。
懐にしまっていた泥で汚れたしわくちゃの便箋を引っ張り出して、その弱々しい字で書かれた名前を睨む。
敵に向かう時とはまた違う、湧き上がる憎悪に身を任せて俺はその便箋を力任せに引き裂いた。
真っ二つに裂けたそれを湖の方へ放り投げてから、そのまま仰向けに寝転がる。

空にはなんてことはない、神域で守られている美しい夕焼け空がただのんびりと時間を進めていて、鳥たちがたまに黒い影を落としていた。
主はわざわざあそこで何を見ていたのだろう。
何を見て、何を感じ、何を考えていたのだろう。
動いているのかいないのか分からないほど代わり映えのない雲を睨みながら、俺は哀れにも、主を現代へ帰らせない方法を考えている。

こちらとあちらを、完全に割る方法を考えている。
そんなものありはしないのに。






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