疲れた、と思うのも人の形のせいだろうか。

出陣を終えて血で重くなった服を脱ぐ。
明日には洗わないと。
そう思った途端人間らしい大袈裟なため息がこぼれた。
その心地の良い違和感に手が止まる。
こんなに強くなったのに、なれたのに、俺はあんなに望んだ武器としてではなく人間としてどんどん完成されていく。
それは果たして。

「同田貫!」

襖を勢いよく開けたのは主だった。
嬉しそうな顔をして手には豆がぎっしり詰め込まれた大きな樽を抱えている。

「豆まき、っ、あ、ごめん」

今更ながらに俺の上半身が裸だと気付いたのか慌てて襖を閉めた主は、それでも襖の外から言葉を続けた。

「豆まきするから、着替えたら私の部屋に来て」
「はぁ?俺は今出陣から帰ってきたんだぞ、風呂入りてぇし飯食いてぇし長谷部に傷治しとけって言われて、」

襖の外にぼんやりと浮かんでいた女の影が俺の言葉の途中で遠ざかっていくのが分かった。
あの女はいつもそうだ。
俺の話なんてお構いなしに、したいことだけ押し付けて自分勝手にへらへらと笑う。
宙ぶらりんになった言葉の続きはまた、盛大なため息と共に口から吐き零され、けれど武器であるならこんな不平はそもそも浮かばない訳で。
こそばゆい違和感に、俺は小さく頭をかいた。
 


「あんたなぁ、話の途中でいなくなんなって何度も、」
「鬼はー、外!」

主の部屋の襖を開けると、痛くも痒くもない小さな粒が俺の周りに散って床に落ちた。
改めて部屋の中を見ると、なんとも嬉しそうな顔をした主がもう次の豆を握りしめている。
日は大分傾いていて、負傷したままの右腕は痛かったがきっと俺の帰りを待っていたのだろう、集めに集めた豆を大事に抱え込んだ主はさっきまでの殺伐とした世界とは全くもって縁のない者のように思えた。
それでもこの人のせいで俺はいつまでも武器のままで、だからこそ自身の尊厳が保たれているのも事実だ。
矛盾は矛盾を産み、違和感は更に別の違和感を募らせていく。
武器でなければ俺でないのに、武器である限り俺はこの人の何かにはなれない。

「福はー、内ー!」

弱々しい豆が寧ろ優しく俺の頬を掠めた。
つい漏れたため息にやっと主が腕を止めて俺を見る。
悪戯っぽく楽しそうに笑った主は、いつも俺の話なんて聞いていない。

「豆まき、しよう」
「……仰々しいこって」
「節分の日は過ぎちゃったけど」
「そんならする意味ねぇだろ」
「鬼役は同田貫ね、いくよー鬼はそとー、」

貧弱な豆が胸に当たって床に散らばった。
こんなんで鬼に効くのかよ、弱々しい豆は少し踏んだだけですぐにカシャリと寂しい音を出し潰れる。

「鬼なんか、刀で切る方が早くねぇか」
「えぇ、そんな意地悪な」
「こんなちまちましたもん、鬼が怖がるとは思えねぇんだよなぁ」
「それはそうかも」

何粒用意したのか樽の中は本当に豆で詰まっているようで、手で投げるのが面倒くさくなったのか手桶を持ち出した主は腑抜けた声でそう言いながら笑った。
別にそんなに笑うほど面白いことを言った覚えもない。
それでも、この人がたったこのくらい微笑むだけで俺の気持ちはあっさりと軽くなる。

「でもさぁ、斬られたら痛いよ」
「あー……、まぁ、そりゃそうだろうけど」
「豆で解決できるなら、豆の方がいいんじゃない」
「……それは、」

それは、俺の存在の否定だろうか。

あまりにも女々しく惨めな言葉が口の中に気持ち悪く残る。
なんとか口を固く閉ざすと、そんなこと気にもかけない主は散らばった豆を指差して俺に微笑んだ。
俺のことを人間にしたくせに、この本丸の中でまだ俺だけが人間に目覚めていないとでも思っているのか。
むしろ人間に一番対等に扱われ続けたのは俺なのだから、不本意ではあるが人間に一番近いのは俺なのに。
いつまで俺を人間としてみてくれないのだろう。

「年の数だけ豆食べてね。同田貫の為にいっぱい集めたんだから」
「年の数って……、何百個食わなきゃなんねぇんだ」

非力な豆がまた俺の前に散らばった。
かがんでその一つを口にすると、不意に頭に痛みが走る。

「いでっ」

思わず口をついて声が出て、ぶつけられたそこを撫でると視界には一際大きな箱が転がっていた。

「おい、豆じゃねぇもん投げんな」
「うーん、やっぱり投げるなら豆だよねぇ」
「はぁ?何言ってんだ……、ったく、なんだよ、この箱」

高級そうな黒い箱はよく見れば金の紐が巻かれていて、それは見たこともないような豪華な蝶々結びが施されている。
俺の頭を軽傷にしたその箱を拾い上げると、主がまた悪戯に俺に豆を投げつけた。

「バレンタインデー、知らないでしょ」

神として崇められたことも奉られたこともない。
武器でありたいのに結局人の気持ちに一番近いのは自分だと、煌びやかな場所にいた他の刀を見ていれば嫌でもその事実が突きつけられた。
けれど美しくもない俺が人間になったとして、それは刀であった時以上に無意味なことだ。
それなのに最近は主に人間として見てもらいたいと、そんなことばかり考えてしまう。

「ばれんたいんでえ?」

わざと言葉を拙く紡いでやれば、俺のことを全くもって誤解している主が悲しそうに目を伏せた。

「うん。いいの、それもあげる。出陣、お疲れ様」

俺が絶対にあんたに好意を持たないと。
俺が絶対にあんたの好意に気付かないと。
どこから出た自信なのかそんなことをあんたは勝手に確信して、俺をこの無防備な部屋に招き入れる。
夕焼けに赤く染まった主は寂しそうに笑ってまた豆を手桶の中にごっそりと入れ始めた。
他の刀達も豆まきをしたがっていたのにきっと俺としか豆まきをしないのだろう。
その気持ちが嬉しくて、主にほだされていく自分が自分の意思とは無関係に俺をどんどん人間にし、俺をどんどん弱くしていく。
それはとても怖い気もしたがそんなことはどうでも良いような気もして、けれど主からきちんとした言葉がない内は俺の本質を見失わないようにただ、この人を守る為だけに在りたい。

出陣から帰ってきたばかりで疲れていた。
隠してはいるが右腕はかなり深く切れていて、きっと手入れ部屋に行っていない俺を長谷部の奴が探している頃だろう。
風呂に入りたいし飯も食べたい。
ついでにこの、主の匂いで充満した優しく暖かい部屋で眠ってしまいたい。
主が悪戯っぽく笑いながら手桶を握るその華奢な掌で俺の手を握りしめて欲しい。
そんなことを考えるくらいには、俺のすべては疲れていた。

「……チョコは、苦手なんだけどなぁ」

つい、口から小さく言葉が零れた。

「え?」

しまった、と思った時には既に主の顔がこちらを見ていて、しっかりと合ってしまった視線にお互いぱちくりとまばたきした。

「え……、あ、知って……、?」

夕焼けのせいではない、真っ赤に染まった主が途端に固まってしまったから、俺は慌ててその黒い箱を抱え部屋を逃げるように飛び出す。

「いやっ、知らねぇ。悪い、手入れ部屋行かねぇと、あー、豆はまた、食うよ」

そう早口に捲し立てて襖を勢いよく閉めると、部屋の中に取り残された主の間抜けな驚きの顔が一瞬視界に入ってきた。
動いてもいないのに緊張と驚きと興奮だけでこんなにも心拍数が早くなりこんなにも息が荒くなっている。
いつの間にこんなに人間らしくなったのだろう。

「同田貫!お前手入れ部屋に行ってないだろう!」

庭を跨いで向かいの廊下から長谷部が俺に怒鳴る声が響いた。

「あぁ、今行くよ」

きっと今の俺の表情も主以上に間抜けなことになってしまっているはずだ。
この箱を他のやつらに誤魔化す言い訳と主への誤魔化し方を必死に頭が考え始めたものだから、本当に不本意ながら俺は主のせいでどんどん人間になっていく。
人間なんて弱いものになった俺を主は必要としないのに。
それなのに、主のためにと思えば思うほど人間に近付いてしまうのだから、どうしたらいいのか誰か俺に教えて欲しい。

「同田貫!」
「あぁ、今行くっつってんだろ!」

長谷部のいつもの言葉にこんなにも苛ついてしまうくらいにはもう、俺は人間に成ってしまったと、誰に相談すればいいのか。
この思考回路すら人間過ぎて、どのみち八方塞がりなことに俺は人間らしい大きなため息をゆっくりと吐いた。






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