感情の糸が切れたみたいだ。
目は開くのに体が動かない。
見上げる天井はいつものように少し古めかしく、聞こえてくる雀のさえずりは煩わしい。
喉が乾いた気もする。
何か食べたい気もする。
けれどそのどれもが、正解ではあるけれど今の私には不必要な気がして、私はまた目を瞑った。
「起きたか」
不意に頭の上で低く優しい声が呟いた。
思わずまた開きそうになる瞼にぐっと力を込める。
目を開けたらきっと、心配そうな顔で私を覗き見る同田貫の瞳に捕まるだろうから。
「あんたさぁ、牛みたいだな」
抑揚のない声がそんなことをぼやいた。
暖かな何かが額にそっと触れる。
それが少しだけ私の額を撫でたから、私はますます開けられなくなる瞼をぎゅ、ときつく閉じた。
「……、牛って、なにそれ」
「牛みてぇだなぁ、と、」
誉めているのか貶しているのか、きっと誉めてはないのだろう訳のわからない例えに反応せざるを得なくなる。
私の額を尚も優しく撫でるかさついた掌が鬱陶しいような。
そのまま髪の毛も撫でてほしいような。
「何度も辛いことを思い出しては泣くからさぁ」
暖かな掌が下手くそに額を撫で続ける。
お世辞にも気持ちよくはない。
けれどずっと触って欲しい。
「泣いてないよ」
「涙、拭いたからな」
「……それが、なんで牛?」
とうとう根負けして瞼を開けると予想通り同田貫がぎこちなく私を覗きこんでいた。
合った瞳を互いに逸らすでもなく見つめあう。
私の言葉に同田貫が小さく笑った。
「牛はさぁ、食べ物を何度も咀嚼すんだと。胃に入れてまた出してまた噛んでまた胃に入れて。あんたも、もう終わったことを何度も思い出しては、何度も悲しみを噛み締めて泣くよなぁ」
「よく分かんない」
間近にある同田貫の頬の傷をなぞってやると、同田貫は気持ちがいいのかそうでもないのか、金の瞳をゆっくりと閉じた。
傷跡はぽこぽこと浮き出ているのに真ん中だけは大きくへこんでいる。
「辛いことなんて、思い出すなよ」
その感触が好きで尚指の腹で弄ぶと、同田貫が悪戯に私の頬をつねった。
「それは無理だろうから、泣きたくなったら俺を呼べ」
自分でも予想以上に伸びた頬に柔らかな痛みが走る。
同田貫の息遣いが小さく聞こえて私の耳をくすぐった。
空虚な安心感に私はまた目を瞑る。
「あんたの涙くらい、いくらでも拭ってやるからさぁ」
今度目を開けたらきっと起き上がれるはずだ。
思い出したくない思い出が出来たあの日からずっと、見る夢は悪夢と決まっていた。
普段は大丈夫なのに突然起き上がる気力すら沸かない日がある。
そんな時は今日みたいに同田貫が一層優しく私のそばにいてくれた。
不器用な優しさが私の頬を離す。
何を思っているのか、手の甲で私の頬を撫でた同田貫はひどく優しい声で呟いた。
「もっと俺を頼ってくれよ」
耳に響いた言葉に、途切れた感情の糸がゆっくりと結び直されるのが分かった。
同田貫が私にこんなに優しいのは何故だろう。
その気持ちの根元がただの主従関係だとしたら私はどうしたらいいのだろう。
同田貫もそんなことを考えてくれていたらいい。
それが理由で、私達の関係が互いにとって今のまま曖昧であればいい。
「頼ってるよ、十分」
「じゃぁ、一人で泣くな。頼むから」
少しだけ力の入った同田貫の掌に嬉しくなる。
傷跡の残る頬をつねってやると、「やめろ」と同田貫が面倒くさそうに言って、私の首をくすぐった。