これが死か、と達観したのは一瞬で、大きな波のようにゆったりと襲ってくる痛みと孤独は想像よりずっと耐え難いものだった。

刀であった時、俺は多くの人をこの身で裂いた。
何の感情もなくまだほんの刀だった時からそれは至極当たり前のことで、直に意識が芽生えてからも斬るのは楽しかったし戦は好きだった。
そんな折、ある一定の割合で最後に女の名前を呟く者がいることに気付いた。
何人にも手をかけているうちにその名前が男にとっての母親なのか娘なのか恋人なのか、それは分からないが、俺が切り捨てた命の大切な存在であることも分かってくる。
未練が残る者は戦うな、女々しいやつだなぁと、蔑んでいた頃の自分を恥ずかしく思う。
まさか自分にも、それだけ心残りになる女が現れるとは思っていなかったから。

ひどい重症を負って帰還した時だった。
もう意識もなくて、刀はその身をほんの少し残すばかりになっていて、止まらない血に寒さばかりが記憶にある。
これが死か、と覚悟を決めたにも関わらず、俺はうわ言のように「主」と呟いていたらしい。
こんなことなら意地を張らずに主の真名を聞いておくべきだった、と、夢の中で延々と後悔した。
俺は最後の時に思い出す女の名前すら知らないのだ。

死人のように包帯で巻きに巻かれた無様な格好でやっと目が覚めた時、隣にいてくれたのは主だった。
数日眠り続けた夢の中でずっと求めていた女が、霞む視界の中、俺をじ、と見つめている。
夢か幻か分からなくて、痛む腕をゆっくりと持ち上げて主の頬に触れた。
ひんやりと柔らかな肌が俺の指をその弾力で一度深く包み込み、それから、熱い吐息が俺の指を撫でる。

「……主」
「うん。お疲れ様」

口元からは笑みが零れる。
いつも泣き出しそうな目元から、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。
主の涙を初めて見たから俺はひどく驚いて、けれど重症の体が上手く動かず、切れた口からは血の味がした。

「な、んで……、泣いてんだ」
「ん、安心したから」
「……そんなら、いいけどよ」

情けなく震える俺の右手を主がそっと捕まえた。
小さく吐き出す吐息が熱くて、俺の指をくすぐる。
柔らかく冷たい掌が俺の手を包み込み、押し付けられた頬を撫でると主の涙が俺の指に移り、手首まで伝い落ちた。

「俺はほんとに、人間になっちまったんだなぁ」

呟いた言葉に主の瞳が一瞬、伏せられた。
表情を殆ど動かさない主の小さな変化を逃すまいと横目で見つめながら、薄い唇に親指をあてがう。

「……ごめんね」
「そういう、あんたを責めてるわけじゃねぇよ」

俺の主は自分の力を忌み嫌っている。
顕現したくなかったなんて言う刀はこの本丸にはいないと思うが、主の人生において何かがあったに違いない。
伝う涙はゆっくりと、けれど留まることを知らずぽろぽろと流れ落ち、柔らかな唇と俺の指をじわりと熱く濡らしていく。

「今まで斬ってきた人間に、悪かったなぁ、と思っちまって」
「死ぬかと思った?」
「あぁ。あんたに会えなくなると思った」
「会えなくなったら、やだなぁ」
「あんたはまた、新しい俺を顕現するんだろ」
「しないよ、そんなこと」
「しろよ。そしたら俺が壊れても、またあんたに会える。それなら、何の未練も残さず逝けたんだ」
「私、同田貫の未練なの?」

肉を裂き骨を断ち、血を浴びて臓物を剥き出しにする。
刹那、男はひどく寂しい顔で女の名前を呟く。
俺が斬った男を待っていた女は、果たして泣いただろうか。
泣かせてしまったのだろうか。

「……あぁ、未練だなぁ」
「今の貴方がいなくなったら、私、もう同田貫を顕現しないよ。だから、ちゃんと帰ってきて」
「……なるべく、そうしてぇけどさぁ」 

主の赤い唇を撫でると主が俺の指をゆるく喰んだ。
肌とはまた違う生暖かさと柔らかさに、指先の感覚がしびれていく。
いつまた戦闘でこんな目に遭うかも分からない。
その時、せめて今回ほどの後悔を抱えたまま逝きたくない。
そんなことをしたら悪霊みたいな、きっと良からぬ何かになってしまいそうな予感がする。
そんな言い訳を頭の中でぐるぐると唱えながら、俺は主の唇を少しだけ押し上げて、自身の指をその中に滑り込ませる。
危機感に直面した本能だったのだろうか、それが俺をこんな衝動に突き動かしたのだとしたら、骨の髄まで人間に成り果ててしまったらしい。
押し込んだ指を主は拒否するでもなく、一瞬戸惑ったように目を逸らしたが、小さく俺の指を舌先でなぞった。

「なぁ」
「ん……」
「抱いていいか」
「……んん」
「次はなんの未練もなく、逝きてぇんだ」

主の唇から指を引き抜きその唾液をそのまま主の首筋に塗り付ける。
首の筋を撫でるように掠め、鎖骨をなぞり、着物の下に手を忍ばせた。
尖った骨が俺の指を押し上げたけれど、お構いなしに着物をゆっくりはだけさせる。
小さな乳房が露になり、主は恥ずかしそうに目を伏せた。

「……したら、未練がなくなるなら、しない」

いつもは笑みを絶やさない主が、その一瞬だけ唇を強く噛み締めてそう言った。
何故主がそんな表情をしたのか分からず、けれど期待した自身を止められもしない。

「あー、あんたがそう望むなら、俺に未練が残るようにしてくれよ」
「え……私、初めてなのに?」
「それは、何が不都合なんだ」
「えー、と……、……そ、それに同田貫、そもそも体動かないよね」
「あんたが上に乗って動けばいい」
「えぇー……」

小さな乳房に真っ赤な中心が目を引く。
痛みよりもそこに触れたくて、親指の腹でそこをなぞった。
主はくぐもった呻き声をあげて、小さく身をよじる。

「頼む」
「……、気持ちよくは、してあげられないと思うよ」
「それならそれで、いいさ別に。俺の未練が無くなるだけだ」
「ひどい、なぁ。ほんとに」

呆れたように主は笑って、少し逡巡してから、ゆっくりと俺の上に跨がった。
少しでも動かせばまだ激しく痛む箇所の方が多いのに、はだけた着物を直しもせず俺にその乳房を見せつける主に、下腹部の猛りはきつくなるばかりだ。
期待と興奮が痛みを消し去っていく。
薄く開いた唇に吸い寄せられて無理矢理半身を起こし、無様に顔を近付けた。
主の華奢な掌が俺の頬を慈しむように包み込み、その柔らかな快感が俺の口をふんわりと優しく閉じた。
甘い匂いが体の中に染み込んでいく。
柔らかな尻が俺の熱を押し付ける。
我慢ができなくなってとうとう、包帯だらけの俺の腕が主の腰を抱き寄せた。


+++


「理由?」

あの日からまんまと俺の未練は募り募っていくばかりだ。
主を抱いたらもう思い残すことはない、だから今度死に直面してもなんの未練もなく逝けるはず。
そんな思いは甘かったことを今更になって悟る。
俺が命を奪った猛々しい男達が最後の刹那に女の名前を呟く意味が分かった。
抱いた快感が忘れられない。
独占できた喜びを、何度でも噛み締めたい。
俺を必死に受け入れ、甘い声で啼く主を他のやつに取られたくない。
例えばそれが新しい俺であったとしても。
主が嫌なら無理強いはしないつもりだが、あの日以降二人きりになれたのは今日が初めてだった。
あの日は俺が満足に動けなくて、ぎこちない行為に確かに狂おしい程の快楽は得られなかった。
けれど、だからこそそのもどかしさにもう一度、と強く願ってばかりいる。

秋の夜長の月夜の晩に。
こんなに綺麗な月明かりの中で。
今日は俺が動けるから。
主に無理をさせないように出来るから。
あの日以上の快楽を共に味わいたいから。

思い付いた理由は、けれど俺を不安そうに窺い見る主の望むものとは違う気がして、俺は不自然に口ごもった。

「……理由、」
「私が同田貫としたのはね、」

月明かりが当たり前のことのようにただ、美しい。
小さな声で慈しむように目を伏せた主は、なんてことのない話をするように抑揚もなくゆっくりと続けた。

「同田貫が私としたいって言ってくれたし、そういう喜びを少しでも味わってほしかったし、生に執着してほしかったし」

あの日俺が口付けた唇が妖艶に動く。
触れて舐めた、細い首筋が弱々しく骨を動かす。
そこから続く着物の下の乳房が少しだけ見えそうで、俺はごくりと唾を飲み込んだ。

「私は、同田貫と、そういう関係になりたかったから」

俺の熱で余計に蕩けた団子が指にまとわりつき不愉快だ。
一思いに口に入れてしまえばいいのだが、いつもの泣き出しそうな顔で笑った主が寂しそうに俺を見つめるものだから、どうにも動くことさえできない。
消え入りそうな声で主が続けた。

「好き、なの。ごめんね」

俺はなんにも分かっていなかったのだと、真っ赤に頬を染め上げた主が小さくそう呟いたのを聞いてようやく気づいた。
俺が屠った男達の後悔の理由を。
終わりを知ってから女の名前を呟く理由を。

蕩ける団子が手からずるりと滑り落ちるのも厭わずに、俺は掠れそうに震える声で言葉を絞り出す。
抱き合う喜びも快感も、そんなものはなんの未練にも繋がらない。

「俺の未練は、あんたの真名を知らないまま逝くことだ」

大切な女を手にしたのに、きっと何も伝えてやれなかったことこそが、最大の未練なのだろう。

「好き……、じゃなきゃさぁ、抱かねぇだろ」

主はじ、と俺の瞳を見つめて「私のこと好き?」と小さくこぼす。

「……好きだ、つーか、あんたも分かってると思ってた」
「分かんないよ。人間は好きでなくてもそういうこと出来るから」
「そんな複雑に出来てねぇよ」

主は大きく息を吐いて初めて見せる子供っぽい笑顔で笑った。
蕩けた団子をそこでやっと全部口にいれると、体を少しだけこちらに寄せた主が楽しそうに瞳を細める。

「私以外にも女はいっぱいいるのに?」
「あんたにしか興味ねぇ」
「私胸、小さいのに」
「わかんねぇよ。俺から見れば、ただ、綺麗だ」
「……下手、だし」
「あんたなぁ、俺の方が無様だっただろ」
「欲の捌け口と勘違いしてない?」
「そう思ってんなら本気で怒るぞ」
「同田貫って割と怒らないよね」
「今怒りそうになってるけどな」

もう半身、俺ににじりよった主が、不意に俺の肩に頭を押し付けた。
さらさらと音を立てる美しい髪が月明かりに照らされ、ひどく甘い匂いがすぐ近くに漂う。
汚れた右手を咄嗟に遠ざけると、主の手が俺の右手を撫でるように掴んだ。

「団子、甘い?」
「……いや」
「美味しい?」
「あんたの次には、な」

指についた蕩けた団子の欠片を主がゆっくりと口に入れる。
ぞくりと背中を駆け上がる快感が、月明かりに露になった。

「あんたこそ、」

快楽を誤魔化そうと眉間にしわを寄せたまま言葉を絞り出す。
俺の指から綺麗に団子を舐め取った主に顔を近付けた。
互いの鼻がぶつかり、吐息が熱くなるこの距離が心地いい。
今日出来たとして、明日にはまた煩わしく賑やかないつもの本丸に戻ってしまう。
そうしたら今度はいつ主を抱けるのか、どうでもいい心配が頭を過ったが、それもふまえて今夜思う存分抱けばいいかと能天気な頭がそんな結論を出した。

「俺以外にも男はいっぱいいるのに。しかも特上に綺麗なやつばっかり」
「そうだよねぇ」
「あのなぁ。他の男に靡いたら、あんたに怒るくらいじゃすまねぇからな」

柔らかな頬をゆるく撫でた。
主はそんな俺の不安を見透かすように俺の瞳を見つめ、それからうっとりと目を瞑る。

「頼まれてもしないから、安心して」

静かな声が俺にだけ響いた。
あの日と同じように、主が俺の頬を慈しむように両手で包み込む。
柔らかな快感が、俺の唇に優しく触れた。






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