「女ってわかんねえよなあ」

 坂田がぼやいた。
 手にあるのは綺麗に包装されたクリスマスプレゼントである。紺色のつややかな地に金色のラメが散りばめられたクリスマス仕様のラッピングを片手でぽんぽんと投げ弄び、ついでに一回床に落とす。

「あ、やべ。割れたかも」

 あわてて拾い上げるその手は、それでこりたのか箱形を机の上に置いた。

「まあ、もう割れたっていいんだけどさ」
「ふられたのか」

 土方は坂田の膝に頭をのせたまま包みを眺めた。
 ブランド名が端に印字された、それはそれは美しい贈り物だ。中身はもっときれいに違いない。

「ふられたっていうか…怒られた?」
「ふうん…」

 坂田はこの夏から四ヶ月の間、ひとりの女性と交際を続けている。坂田にしてみればそれはとても長続きしている方で、だから彼だってちょっと気張ってこんなプレゼントを買ってみたのだろう。
 その彼女を見たことがない土方は、でもきっと自分よりブスだという確信を抱いていた。

「いらないなら開けていいか」

 聞くと、坂田はちょっと嫌そうに動きを止めた。
 それでも、ダメだとは言わない。なにも言わず頷くので手を伸ばして包みを取った。
 思ったよりも重い。
 片手にのってしまうほどの小さな包みの金のリボンをほどきにかかると、その土方の指を坂田が掴んだ。

「やっぱ、ダメ」

 そう言って手の中の包みは奪われる。

「なんでだよ」
「別れたわけじゃないし、またあげる機会があるかもしれないから」
「プレゼント使い回すのかよ。せっこ」
「おっま、かっわいくねーのなほんと」

 呆れたように坂田が言う。
 土方がつん、と顎をあげて不機嫌な態度をとると、坂田はほのかに苦笑して、うそうそと続けた。

「うそだって。おまえが一番、かわいい」
「ならそのプレゼントくれたっていいだろ」
「おまえにはもっと良いの用意してっから」

 膝にのせた頭を撫でながら、いっそう甘い猫撫で声で坂田が囁いた。
 甘やかされるのは嫌いではない。ちやほやされるのは好きだ。
 坂田のわかりやすい愛情表現は自尊心と優越感をくすぐるから特に気に入っている。
 街のイルミネーションが眼下に広がるホテルも、ルームサービスのコース料理も、現実味のない完璧なエスコートをするスーツ姿の坂田も、今ばかりは全てが自分を賛美しているようで心地よかった。

「良いものってなに」
「んー?なんだろうな」
「今日のスーツ好き」
「そう?土方くん、おめかししてるの好きだよね」
「今日、車も新しいのだった」
「クリスマスだから。欲しかったらあげようか」
「いらない。坂田が運転してるほうがいい。呼んだらあれで迎えに来いよ」
「呼ばれなくても迎えに行くって」

 ベッドに坐った坂田が、腰をまげて土方の額にキスをした。
 くすぐったい感触に目を瞑ってかすかに笑う。

「土方ってほんとかわいい」
「さっきかわいくないって言ったくせに」
「かわいいよ。すごいかわいい」

 ころりと寝返りをうってベッドの中央に逃げるように移動すると、それを坂田が振り返った。

「坂田」
「うん?」
「セックスしよ」

 ホテルの部屋から見える月は遠い。



****



 街のイルミネーションが眼下に広がるホテルも、ルームサービスのコース料理も、現実味のない完璧なエスコートをするスーツ姿の坂田も、全ては自分とセックスをするための貢ぎ物に他ならない。

「ふん」

 酒に混ぜておいた遅効性の睡眠薬はそれなりの効果を発揮したらしい。
 ぐっすり眠る坂田にまたがって、その呆けた寝顔を見下げる。

「せっかくのクリスマスイブに、おまえなんかに抱かれてたまるか」

 やすらかな寝息をたてる姿が憎らしくて、うすく開いた唇に自分の唇を押しつけた。
 むに、とやわらかく形を変える唇の感触はひんやりと湿っていて、吐き出される息は酒気を帯びて熱い。
 それでも当然、いつものように咥内に舌を差し入れてくることはないし、意地悪なことを言うこともない。

(どうせおまえだって)

 上体を起こしてあらためて坂田を見る。
 仕立ての良いスーツの襟はよれて、ネクタイの緩んだ結び目とワイシャツのボタンの隙間から素肌がのぞいている。

「人形みたいなオレが好きなだけなんだから、お互いさまだ」

 見飽きた坂田から目を離して、シャワーを浴びようとベッドから片脚を下ろすと、ふと、サイドテーブルに置かれた包みが目に入った。
 きらきらと部屋の薄暗がりに光るそれを、土方はなんとなく手に取る。
 女へのプレゼントだと言っていた。それより良いものを土方には用意していると言っていた。

(どうせ、新しいバイブとか、そんなんだろ)

 土方は坂田に変に期待することを相当昔にあきらめていたから、ただ一時甘やかに自分を蕩けさせてくれればいいと思っていた。
 非現実的な関係は繋がれずとも途切れずにつづき、だから彼女ができたといって坂田がちょっと浮かれていたってそれをいなすことくらいは簡単だった。
 包みをなんの気なしに、手で放って弄ぶ。

(こんなちっぽけなプレゼントより、バイブのほうがいくらかマシだ)

 坂田は趣味が悪いのにセンスは良い。
 どうせ適当に目についた店で適当に見繕ったプレゼントに違いないのに、そのブランド名は誰もが一度は耳にする名で、主に結婚を夢みる少女たちの間で憧れをもって囁かれるようなそういう類のものだ。
 そういうものをクリスマスプレゼントとして軽く購ってしまえる坂田は趣味が悪いと思うし選び取ってしまう指はセンスが良いと思う。

(本気なんかじゃないくせに)

――本気なんかじゃ、ないよな?

 誰に確かめる術もなく、放った包みはやけにゆっくりと床に落ちた。
 坂田が落としたときとは違い、明らかになにかが砕けた音がした。高音と低音が合わさって鳴った音は耳に残る。
 中身はおそらく砕けているのに、見た目にはなんの変化もないのがひどく滑稽だった。

(これをそのまま渡したら、女はなんて言うんだろうな)

 坂田なんてふられてしまえばいい。
 坂田なんてふられて、結局土方のもとに帰ってきてしまえばいいんだ。
 そして傷心の自分を慰める代わりに土方を甘やかせばいい。

「…それでいいのに」

 土方は坂田に面倒な願い事などしない。
 別にどこで女を作ってきたっていいし、記念日を忘れたってかまわない。
 ただ帰ってきてくれるのならそれでいい。

 土方は床に落ちた箱形の包みをしゃがんで拾い上げ、自分も床に座ってそれを膝の上に置いた。
 やはり見た目より重い包みは、坂田のどれくらいの気持ちを一緒にくるんであるのだろうか。
 それが不安で、土方は金色のリボンに指をはわせた。

(すこし、見るだけだ)

 すこし、と言い訳をして、リボンを引いた。
 するりとリボンは蝶の形をくずしてほどける。
 その下のなめらかな包装紙を開くと、さらに中に、黒いビロードの箱があった。
 まだあらわれない壊れた中身がこの箱の中に隠されているのだと思うと、急に罪悪感が忍び寄った。
 プレゼントを台無しにしてしまったこと自体よりも、それを自分の目で確認してしまうことの方が怖くて、土方は動きを止める。
 迷って、箱の上に指をかけたままじっとその美しい拵えを眺める。
 坂田が選び出した贈り物は、箱からしてすでに特別な香りをまとっていた。

「……こんな、プレゼント贈ったって、どうせ最後にはふられるくせに」

 ふるえる指で箱を開くと、開いたそばからしゃらしゃらとなにかの欠片がこぼれおちた。
 それはガラスの破片だった。
 隙間からあふれたガラスは土方の膝にのり床に落ちて、音もたてずにきらきらと輝いていた。
 透明な光をこぼしながら箱を開く。
 開ききって、箱の中に残るのは、ガラス片とそれに守られるように佇む指輪だった。
 ガラスの小箱におさめられていたはずの指輪はすこし傾いで、そのせいでよけいに部屋のわずかな明かりを吸い込んできらめいて反射する。
 銀色の輪にダイヤが三石のった、それはとてもきれいな、婚約指輪だった。

(本気なんかじゃ、ない、くせに)

 華奢な指輪はなぜだかとても傲慢に、土方には見えた。

「さかた、」

 振り返っても、坂田は眠っている。
 起きる気配もないのは土方が仕込んだ薬のせいなのだから仕方がないはずなのに、裏切られた気分がした。

「……セックスしよう…」

 言った先から言葉に詰まった。
 手にした箱から指輪を抜き取ると、その途中ガラスに指を取られて切り傷ができた。
 血が滲むのもそのままに指輪を手の平で握りこむと、投げ捨てようと振りかぶり、でもどうしても手を放すことができずに、腕を下ろした。
 握った手の平から力を抜くと花が咲くように指輪が転がりでた。
 憎らしいほど光を集めていく指輪に、希望も悦楽もすべてが奪われてしまったように、悲しかった。

 イブの夜、枕元にはなにより欲しい坂田がいるのに、きっとそれは一生手に入れることができない。
 もう帰ってきてくれないのかと思うと、土方はベッドに戻る気にもなれずかといってシャワーを浴びようとも思えず、床に座ったままただずっとガラスの破片にかこまれていた。



****



「……頭が痛い……」

 坂田はつぶやきながら頭をおさえた。
 鈍痛は頭のもっと奥からわきあがってくるようでいて外側からしめつけられるようでもある。
 飲み過ぎた次の日のような感覚に眉をしかめて、急ぐ用もないのだからと二度寝を決め込み、隣で眠っているはずの土方に手をのばした。

「ひじかたくーん、みずー…」

 手はなんの硬さも柔らかさも感じられないまま、ぽすんとシーツの上に落ちた。

「ん?んー?…ん?」

 三度探って、三度ともなににも触れない。
 ようやくおかしさに気がついて目を向けると、キングサイズのベッドに横になっているのは坂田ひとりだけだった。

「ヤリ逃げ…?」

 それなりの絶望感を持って頭をおさえると、鈍痛が増した。
 仕方なく頭を掻きながら上半身をベッドから起こすと、黒髪のつむじが視界に入った。
 ベッドの脚に背中を預けて、土方が眠っている。
 脚を半分に折って床にへたりと座った姿は人形のようで、きれいだった。
 土方の周囲を彩ったガラス片が朝日に揺れている。

(ガラス…)

「シンデレラ…?」

 まだ回らない頭をぐるりと巡らせて土方の方を向くと、土方の手元から金色のリボン、黒い箱、そして指輪がこぼれているのがわかった。

「あ、あ、もー…こいつ結局開けてんじゃねーか…」

 怒る気にもなれず、ガラスを踏まないようにベッドから下りる。
 土方を起こそうとして肩に手をかけて、そこまで近づいてから土方の指に些細な傷を見つけた。
 ガラス片で切ったのであろう、ちいさな傷跡から出た血はもう止まってかたまっている。

(ああ、もー…)

 仕方のないやつだ、と頭を掻いて、その左手を取った。
 血の出た指をぺろりと舐めてみると、じんわりとけだして鉄の味がした。

「……ああ、もう、こいつは」

 怪我をした指。こんなに無防備に投げ出すのなら最初から勝手にサイズを計ればよかったと思いながら、床に落ちた指輪を拾い上げた。

「ああもう、めんどくせーヤツ」

 オレもか、とわかっていながら坂田は指輪を光に透かして眺めて、おもむろにそれを土方の指に通した。
 指輪はどこにひっかかることもなく骨張った土方の指におさまった。

「ああもう、どっから説明したらいいんだよこれ」

 クリスマスの今日一日を一緒に過ごすには、この意地っ張りをどう誘えばいいのか。
 これからのクリスマスを一緒に過ごすにはこの鈍感をどう誘えばいいのか。
 坂田の吐いたおおきなため息に気づいたのか、土方がぴくりとまぶたを揺らした。
 それからゆっくりと動く長いまつげに、坂田は思わず笑った。
 指輪をはめて、ガラスの服を着た土方はとても、きれいだった。




(おわり)
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