夜の暗闇に、光の飛沫は鮮やかに踊る。そういえばもう何年も花火なんて、手持ち花火でも打ち上げ花火でも見ていなかったことを思い出して、土方はその煌めきに目をしばたたかせた。

 警察の取り締まり強化でホストクラブは深夜帯営業に規制がかかり、歌舞伎町の女王お登勢率いるこの店も規制の対象になった。深夜0時までの1部営業と、早朝からの2部営業と、今の時間帯はその丁度境の時間に位置している。
 店のトイレや床では新人ホストが酒に飲まれて転がっている。にも拘わらず、店の裏の小さい敷地の庭では花火を持ってはしゃぎまわる何人もの若い男たち。彼らはホストであったり、ホストの友人であったり、短い夏の宵に、せめて一つくらい夏らしいことをと集まった夜光虫だった。

 土方はその中で、ひとり室外機の上に座り煙草を吹かしていた。
 花火を持って追いかけ回してくる沖田からひとしきり逃げたあとの小休止。2部の仕事は入っていないので、一服したら帰ろうという心積もりだった。

(若いんだか、バカなんだか)

 ぶはーと煙を吐き、庭で群れる彼らを眺める。
 その中には他店のホストも相当数交じっており、酔いに任せて自棄のように花火をする者もいれば、庭の隅で何人か、真面目に話し込んでいる者もいる。

(どっちかっつうと、バカの部類か)

 女っ気のないその景色は、高校生男子が集まって夜遊びをしている風にも見える。
 男子校出身の土方にとってはむさ苦しいなりにやはり懐かしく、愛すべきバカどものためにわずかに口元を弛めた。

「…あれ、なーんだもう始まっちゃってんの」

 がちゃりと店の裏口が開き、店の明かりと一緒にひとり、男が庭へ出てきた。
 光を背負ったその人物の出現に、庭は一瞬、言葉を無くす。

「あ、旦那!」

 沖田がかけよって、その男、坂田金時に向かって花火を振り回すと、それを合図にホストたちがわっとばかりに声をあげた。

「ちょ、おま、熱い!金さん焦げる!」
「金時さん、来てくれたんですね!」
「今日はアフターないんすか?」
「この前教えていただいた店で…」

 夜目にも鮮やかな金髪と青い目の、歌舞伎町のナンバーワンホストに花火の光が集う。

「いや熱いってお前ら、んな近づくなー」

 ぽかんとその光景を見ていた土方は、煙草の火が根元まで達してその熱で、ようやく我に返った。指を灼いた煙草を取り落とす。
 誰も気づかない、その動揺ぶりに自分だけは気づかずにいられない。土方は軽く舌打ちをしてくすぶる煙草をかかとで踏みつぶした。

(来たのか…)

 ちらりと横目で盗み見る。
 今の季節、どのコンビニでも雑貨屋でもスーパーでも売っているような、安っぽい手持ち花火を、すでに楽しそうに両手に抱えている。その手つきさえどこか香り立つ色気を放っているようで、あわてて目を逸らした。

(んだ、まだ、仕事の顔じゃねえか)

 安堵とも焦燥とも取れない息をつく。
 金時と知り合ったのは、知り合いとして言葉を交わすようになったのはつい最近のことだ。オーナー同士の提携協定が締結したこの春からの付き合いだった。

――黒髪って珍しいね、地毛?

 最初はそんな風に、甘い声で話しかけられた。営業時間内の金時は始終営業用の笑顔を浮かべて、誰に対しても口説くように話す。それが嫌みっぽくなく、また下品ではないのが金時の強みだった。持って生まれた希有な容姿も手伝って、誰よりホストらしいのにどこか普通のホストとは違う、強烈なカリスマ性を滲ませていた。
 土方の方はといえば、こちらもホストらしくなさを売りに、そこそこの売り上げを出す中堅だった。どちらかと言えば大人しい客や、ホスト慣れしていない客、逆にホストクラブ通いも堂に入った客に人気があった。至極全うな黒髪短髪で、スーツも暗い色ばかり。そこが良いという客と、つまらないという客と、半々に分かれる。

「オレは土方くん好きだよ」
「どーも」

 出勤前に偶然道で会い、お互いの店までの道中に話したこの会話が始まりだった。
 仕事の顔でやたらにきらきらを振りまく金時のその口説き文句に内心、ぐらりと来なかったと言えば嘘になるが、それよりもその時は目の中のコンタクトが落ち着かず、話半分でしか聞いていなかった。
 それから勤務時間外にまた偶然会って、誰だかわからないほどくすんでいる半眼の金時を見て(え?こいつ誰?)となったり、金なんて浴びるほどあるはずの金時が、カードを落としたからといって土方に千円を借りて電車で帰っていったり、そんな関係を続けている。
 予想外の一面を無防備に見せられるたびに土方は、ぐらりと傾く。
 そんな自分に、一番動揺する。

「あー、どっこいしょ。十代にはついてけねえや。なにアレあいつら2部も仕事すんじゃねえの?」

 土方の座る室外機がどすんと揺れた。
 はっとして隣を見ると、金髪が後ろの壁に頭をつけて、あくびをしている所だった。

(あ、ちょっと素が出てる)

「土方は1部だけ?」
「あ、ああ。つかもう帰るけどな。沖田に無理矢理付き合わされただけで…」
「ふ、あふあああ、うん」

 途中でまたあくびを交えて金時が頷く。

(ちょっと、目が死んできてる。こいつ)

「もーオレさ、最近連勤ばっかりで、今日やっと一息ついて、あー、ねむい。酒はいいからパフェ食わせろってんだよこんにゃろー」
「…後輩が見てんのに、んなこと言ってていいのかよ」
「もう見てねーって」

 ぼちぼち花火も残りわずかになったらしく、しゅわしゅわと派手な手持ち花火から線香花火へと移行している。
 変に真剣に火の玉を見つめるホストたちは、どうせ何か賭でもしているに違いない。

「疲れてんなら、こんなとこ来ねーで家帰って寝りゃあよかっただろ」

 新しい煙草を口にくわえてライターを胸ポケットで探ると、金時が片手でライターの火を差し出して来た。

「ん」
「お、う」
「だって、うちの若い子や沖田くんにも、きらっきらした目で来てくださいねっとか言われちゃうし」
「あいつらバカだからそんなん言ったの三歩歩けば忘れてるだろ」
「つかかわいいじゃん。あいつら」

 いつもより光のない目で、でも本当に愛しそうに線香花火をする彼らの背中を見る金時に、喉の奥がきゅっとした。
 先刻までは騒がしい花火の明かりでそこいら中がきらきらしていたのに、今では松葉のような線香花火の火花がちらちらと地面を照らすだけで、金時と土方の間の光源といえば煙草の火くらいだった。

「…線香花火もやって来りゃいいじゃねえか」
「うーん。ううん…」
「んだよはっきりしねえ。さっきまで花火両手にはしゃいでたおっさんが」
「おっさんんん!?」
「線香花火もしたくねーくらい疲れちまうおっさんだろ」

 隣同士という距離は、いま気がつけば珍しい。

「…いやー。なんつーか、線香花火ってちょっと苦手っつーか」
「はあ?」
「ああいう、ちょっとなんつーの?センチメンタルなのは、好きじゃねえんだよ。ねちっこいっつーか。たかが火薬が燃えてるだけのもんを、落ちないように気をつけるあの感じが、どーも、しみったれてて」
「風情がねえ…」
「いや煙草すぱすぱやってるだけの土方くんに風情とか言われたくないけどね!」
「べつに、そんなこと考えずに、綺麗だなと思って眺めてりゃあそれでいいだろうに」

 まだ長い煙草を指ではじくと、さっき火傷した人差し指と中指の第一関節のあたりがひりっと痛んだ。
 金時の言い分は、らしいと言えばらしい。
 一瞬で消える打ち上げ花火も、くすぶる線香花火も、金時を彩るには何か不足を感じる。彼はネオン街で生きる人間なのだから。
 火傷をした指に唇をあてると、金時がそっとその手をとった。

「…煙草?」

 火傷の原因を聞かれたのだと了解して頷く。
 骨張った細長い指をまじまじと見つめた金時は、思い出したようにポケットに手をつっこんだ。

「なあ、勝負しよう」
「…はあ?」

 ポケットから出てきた赤や黄色の和紙をよった紐状のそれは、紛いもなく話題にのぼった線香花火。

「嫌いなんじゃないのかよ」
「さっき若い子がくれた」
「いやそうじゃなくて…」
「賭しよう」

 元来の負けず嫌いの性格が触発される。

「オレが勝ったら、煙草やめてよ」
「はあ?なんで」
「身体に悪いから」

 あっけらかんと言う金時に、土方の目がまるく見開かれる。

「その代わり土方が勝ったら、」
「甘いもんでも絶つってか」

 バカらしい、酔っぱらいの、眠気に負けそうなホストの世迷い言だ。一蹴しようとした土方の手をまだ握っていた金時が、その手のひらをなぞった。
 びくりと肩が揺れる。

「…土方の好きなこと、してあげようか」

 金時の目がうっすら微笑んでいる。

「は、あ、な…」

 夜の王の顔が覗いた金時に、どもる土方を王様が笑った。
 うろたえる土方が視線を逸らした瞬間に、ふっと空気が緩む。

「ぶあっはっはっは、照れてんの。かーわいい」
「な、」
「指の火傷、意外と客に見つかるから気をつけなよ。つか、いちお消毒しとくか」

 よっこらせ、と爺くさく立ち上がった金時の尻を、知らず土方は思い切りよく蹴りつけていた。

「ぶわっほ!」
「ふふふふざけんなお前!きもいんだよクソホスト!いいじゃねえかその勝負乗った!」

 アルマーニのスーツにくっきりついた足型をはらう金時に、指をつきつける。

「テメーが勝ったらオレは一週間煙草抜き、オレが勝ったらテメーは坊主にしろ!」
「ええええ、土方くん頭悪いっけ!?」
「髪なんざいくらでも生えてくるけど、煙草を吸わなかった一週間は二度と戻ってこねえんだよ!」
「おかしい!おかしいよその思考回路!髪一週間じゃ生えそろわないしね!ていうかホスト生命危機にさらされるしね!」

 突然大声をあげるふたりにホストたちの視線が行く。過熱した土方にそれは届かず、荒げた声を抑えようともしない。

「オレに喧嘩売るなんざ上等じゃねえか。きっちり買ってかやらァ!」
「いや喧嘩は売ってないんですけどオレ…」

 沖田との毎日のやり取りで、激昂した土方に近寄るべきではないと知っているホストたちは裏口からこっそりと店内へと戻っていく。金時のすがるような視線を振り切った庭の者たちは急ぎ足に散り散りになり、壁際の土方と金時のまわりは一層静かになる。
 金時の手から花火を奪いとった土方は、いいか同時だからな、同時に火点けるからな、と小学生のように何度も念を押し、しゅぼ、とライターを擦った。仕方なく続いた金時が線香花火に火を灯すと、ぷっくりオレンジの玉が膨れた。

「あの…ですね土方くん」
「話しかけんなその手にはのらねえ」
「どの手!?」
「大声出してオレの玉ァ落とそうって気か」

 すっかりと賭が成立しているらしいことに、金時は重いため息を吐いた。
 すこし、からかってやろうとしたのが失敗だったことに今更気がつく。真っ直ぐで面白い子だから、軽くあしらえる程度に怒らせるのが楽しくついついちょっかいを出していたが、こんなにも熱くなるとは誤算だった。
 まさか本当に坊主にされるとは思わないまでも、やりかねない、という思いが線香花火を持つ手を真剣にさせる。

「そういえばオレ、線香花火なんてやるの、ていうか手持ち花火もだけど、初めてかも」

 ぽつりと、腕を揺らさないように金時が呟くと、土方が視線をあげた。

「…ガキのころとか」
「しないしない」
「よくそれで嫌いだなんて言えたな」
「そうかも」

 土方の憎まれ口にかるく頷いて、ぱちぱちと光の筋を散らす火の玉を見た。
 じっと見ていると、息をするのを一瞬、忘れそうになる。

「…土方くん」

 火花の散り方が控えめになって、じりじりと重心が下降する。
 花火を見ずに金時は土方を見た。花火に真剣なまなざしを向ける土方に、知らず目を細める。

「綺麗だね」

 ぽつりと言った瞬間に、金時の持つ花火の火が落ちた。
 あ、と土方の方が呟くと、金時はさっさと立ち上がって、ぱんぱんと手を払う。

「オレの負けだわ」

 さあて、何をするんだっけ?、言った金時は土方に手を伸ばして、とりあえず消毒しようねと微笑んだ。





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