ひとはしあわせの数を数えて生きていけるだろうか


 まどろむ、視線の先には午後のけだるさとあったかさをかためたような陽光がある。空気に味があるならきっと今ははちみつの味で、感触があるならとろりと流れるやわらかさだ。どうせならそれに生クリームでも飾りたい。ただの妄想で、ちょっとよだれが出た。

「ほら銀時、もういい加減しゃんとしろ」

 奥の台所から土方が、腰に手をあててお玉を片手で振り回しながら顔を出した。エプロンはイチゴ柄だ。オレのだ。
 夢と現実のあわいで、どうやらひどくむなしい幻覚を見ている。
 どうせ我に返ればこれは土方ではなく新八だったりして、どうせくしゃみひとつすれば壁にかかったエプロンが揺れているだけだったりして。

「……たまの休みなんだからいいじゃねーか」
「何を勤め人ぶったこと言ってんだテメエは。ぼやぼやしてねえで早く顔洗って、チャイナ共が帰ってくるまえに髪くらいとかしとけ」
「なんで神楽を迎えるのにそんなおめかしすんだよ気持ち悪ぃーだろ。なに神楽結婚でもすんの?」

 土方が近づいて、手にしたお玉で額をひとつ強めに叩いた。
 うが痛い。

「あのなあ寝ぼけんのもいい加減にしねえと頭カチ割んぞ」
「もうカチ割られましたーいたいー」
「あーはいはいわかったわかったからさっさと起きろて」

 ぽかぽかと頭をお玉で何度も叩かれる。こんなに衝撃があるのに目覚めない夢はそれならこれは現実だろうか?
 現実なら一体なぜ土方はこんな格好をして万事屋の台所に立っていたのだろう?
 欲求不満、毒殺、潜入捜査、マヨネーズ工場の秘密。
 イチゴ柄は正直、土方にはそんなに似合わない。

「……いいかげん目ェ覚ませ。チャイナもメガネも、サプライズバースデーパーティーするってはしゃいでたんだから、ちゃんとお前も心構えしてねえと失礼だろうが」
「いやそれ、言っちゃだめでしょ」

 土方が口元にお玉をあてた。こんなとこまでかわいくできてるんだ。うちの土方は。

「……しまった…」
「まあまあ、言っちゃったもんはしょうがないんじゃね?ああそうか…だから今日一日、なんかふわふわ現実味がなかったのか…」
「それはてめえがずっと寝てたからだ。…ああいやでも…チッ、くそ、あいつら色々準備してたのに、悪いことしたな…」

 頭を抱える土方の、目の前にある腰をとりあえず抱きしめてみる。肥えもしないが痩せもしないウエストのサイズは女とくらべれば太い。
 骨と筋肉と皮で出来たそのうすっぺらな腹に耳をあてても、もちろん鼓動は聞こえない。心臓はもっと上にある。

「妊娠何ヶ月?」
「うっせ。ガキなんか出来るかボケ」
「……だよねえ」

 目を閉じて耳を澄ますと、なんとなく血流の音が聞こえるような気がした。けれどそこにもちろん胎動の音はない。命の音はない。

「ああ、ねえ、土方」
「なんだよ」
「オレはもう誕生日なんていらねえのになあ」

 腹に強く耳を押し当てる。何も聞き漏らすまい。もう腕のなかのこの男のことを放すまい。

「結婚とか出産とかそういう、いやオレは産まないからアレかな孕ませるのってなんていうの?そういうことが人生に降りかかってくるなら、そんな未来は全然いらない。誕生日なんて二度と巡って来なくたって、オレは全然構わねえよ」
「その年でピーターパンは、痛すぎんぞ」
「いくら年くったとこで、全然大人になんかなれやしねえのなァ」

 髪の毛に、ひとの手の平が触れた。それは違わず土方の体温だ。骨と筋肉と皮でできた、たった一人の大切な彼。

「今日のケーキ、おまえんとこだけチョコプレートのってるから」
「……それもサプライズじゃねえの?」
「バカ古今東西、主役のケーキにはチョコプレートがのってるもんだろ」

 がらがら、と玄関の戸が乱暴に開く音がした。

「ほら、ガキ共のお帰りだ。…いいかパーティーがあるなんて全然知らなかった体でいけよいいなわかったな」
「隠蔽だ」
「ガキ共の悲しむ顔なんて見たくないんでな」

 ぎんちゃーん、と神楽の弾んだ声がする。バカてめサプライズならぎりぎりまでテンションは抑えとけっての。

「銀時」
「ん?なあに」
「祝われる、命があるだけ、もうけもん」
「としを」
「ちげえよ確かに語呂は良かったな確かに!」

 居間に飛び込んできた神楽は、手にさげた紙袋を隠そうともせずにまっすぐこっちに走ってきた。
 腕をいっぱいに広げて。
 受け止めるために土方の身体から腕を離す。
 離すけれど、神楽と一緒にもう一度土方も抱きしめた。

「ぎゃーっ!嫌ヨ嫌ヨマヨラーとマジでキスする5秒前ネ!」
「うっせチャイナ…てめ顔をあっち向けろマジでつくから!良い子だから!」
「ちょ、ちょっとあんたら何やって…!」
「新八もはやく来るヨロシ!」

 欲しくもないのに訪れてしまう未来に今が侵されてゆくのなら、腕のなかのしあわせのかたまりがせめて欠けてしまわないように護ってやることしかできないけれど。
 新しい命なんて一個もいらないから、きらびやかなプレゼントなんて望みもしないから、代わりに何を与えろとも言わないからせめて奪わないで欲しいと。
 いい加減願い事なんて裏切りの前置きでしかないとどうしてバカなこの頭は学んでくれないのかと呆れてしまうような良い天気の午後。
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