*銀土、CP要素希薄、直接的ではないですが死ネタです苦手な方は注意






















 絶対に悔いてはいけない。この罪を懺悔してはいけない。

mono:

 見上げた窓に灯りはひとつ。真っ暗な夜に浮かぶ澪標は切ないほど明るい。
 きしむ階段をあがって、一歩一歩近づく扉が視界で揺れた。記憶に刻み込まれたこの道のりが遠い。
 黙ってその家のなかへ足を踏み入れ歩き出しかけて、ふと振り返って靴を揃えた。ついでにバラバラに散っていた二足の靴も並べ直す。ちいさな赤い靴と、黒いブーツ。そこに並ぶ自分の履いた黒い革靴。
 暗い廊下をわたって明るい室内へ入ると、そのソファの上でひとりの男が眠っていた。
 近づいて、うつむいた銀色の頭を見下ろす。
 開けた窓からそよと微風が吹いて、その髪を散らしていた。吹きあおられた前髪を、右手でさらりと直してやる。
 撫でると、思うより硬く、獣毛のような髪。部屋の灯りを受けてきらきらと光る髪に色はひとつもない。

「……ん、んん…」

 男が首を揺らした。
 手を引くと、まるで引いた指からつながる糸にあやつられたように、男がその角度へ顔をあげた。

「ああ、土方くん…」

 寝ぼけた目に自分の姿が映っている。

「起こしてくれればよかったのに…ああ、いま起こしてくれたのか…」

 目をこすりながら男があくびをした。ひっそりと胸が痛んだ。
 引いた手を、またそっと男の頭へのせる。すべらせて、頬を撫でる。両手で包みこむように顔をなぞる。

「なあにい」

 猫のように目をほそめた男が言う。なんでも、ないよ。
 ゆっくりと手を肩まですべらせて、合わせて姿勢を低くする。男の肩に腕をまわして、頭を抱く。抱いて、その肩へ顔を埋めた。
 されるがままの男の匂いを嗅ぐ。

「……お香の匂いがする」

 男がのんびりとつぶやいた。
 ひそやかに息を凍らせると、それに気付いたのか、気付いてはいないのか、彼が背中に腕をまわした。

「あんまり好きな匂いじゃない」
「なら、離れろ」

 そのまま腕を緩められる気配はなく、こちらも顔は埋めたまま上げなかった。男の首と肩がつくるちいさな闇のなかに、まぶたを押しつける。

「はなさないよ」

 男が言った。思いのほか語調が強く、ふるえているように聞こえたのは気のせいだったのかもしれない。
 そうしてくれればいい、と思った。
 放さないでいてくれればいい。このままでいてくれればいい。
 出来ることなら、もうすこし早く、そうしてくれればよかったのにと思った。思わずにはいられなかった。

 
di: 

 底からすくわれるように意識が浮かび上がった。目の前のガラスの壁を指でなぞると、正面に立つ誰かと目が合った。それが誰かは、すぐにわかった。
 ガラスはぐるりと筒状で、人ひとりがやっと立っていられる広さしかない。そのガラスの円筒に満たされていた液体がつながれたパイプから吐き出されて、思いがけない重力を身体に感じる。
 目覚めた意味は知っていた。だからこそ肩にかかる重みには別の意味も含まれているように感じられた。
 見えなかったつなぎ目からガラスの壁が開いて、一歩、外へ踏み出す。
 濡れた身体にも外気は冷たくはなく、渡された布切れで身体を拭く意味もないように思えるほど空調は完璧な調節をされていた。

「…泣かないでくれよ、近藤さん」

 正面の男へ笑いかける。
 男が誰のために泣いているかはわかっていた。その目に映る自分のためではないと知っていても、コピーされた記憶が選び出した台詞は、泣かないでくれ、だった。

「トシ、」

 男が、腕をつかんだ。肌に直接感じる人の体温の、なんと熱いことだろう。

「なんで、オレなんか庇ったんだ」

 その言葉で、自分が目覚めた原因を知る。しかしそれは知らなくてもいいことだ。これから生きていく自分に、死んだ理由がどうして要るだろう。
 男の止まらない滴を拭ってやると、またその瞳に涙があふれた。

「なんでなんだ、なんでおまえは、いつもそうやって、オレのために、ひとりで行っちまうんだ」
「あんたが無事なら、それでいいんだ」
「無事なわけ、ねえだろう。弟みてえなおまえが、いなくなって、大丈夫なはず、ねえだろう…っ」

 男は泣き崩れて、地面に額をこすりつけた。

「オレは、ここにいるよ」

 膝をついて、男の肩に手を置いた。 

「身体も、記憶も、全部元のままの土方十四郎だ。あんたのために生きて死んだ土方十四郎だ」

 男は顔を上げて、その傷ついた表情は胸を抉った。

「……オレは、おまえを、ゆっくり休ませてやることもできねえのか…」

 肩に置いた手を引いて、かるく握った。首を振って、微笑む。
 男は手の平で顔を覆って、ずっと、ずっと泣いた。
 時々呼ばれる名前が、悲しいほどかすれていた。



tri:

 感情も、嗜好も、同じものを共有している。彼は自分自身に違いなく、また自分も、彼自身に違いない。
 定期的に脳内に注ぎ込まれるのは彼の記憶だとわかっていても、自分が現実に経験したことだと感じた。
 彼の代替品として生み出された命は、彼に合わせて成長を早められ、彼に追いつくとゆっくりと記憶を咀嚼した。同じ時を重ねるわけにはいかないので抜け落ちた記憶もある。そういう意味で、やはり自分は彼自身には成り得ないのかもしれない。
 彼は自分が死んだときのために、クローンを残した。
 そうした彼の気持ちを完全に把握し、当然のように共感し、むしろそうしたことを自分の判断のように感じていても、その選択が正しいのかはわからない。
 コピーは最後の保険で、できるなら使う機会がなければいいと、彼は感じ、自分もそう思っている。
 目覚める機会がなければよかったと思っている。
 そう思っても、こうして命はたったひとつ遺された。



tetra:

 これで終わりにしよう、と決めて、部屋に置いた線香を庭に捨てた。
 手の平から落ちていく深い緑の線が無地の地面に模様を描く。

「どうしたの、それ」

 背後から男が訊いて、振り向かずに、こたえる。

「湿気た。もう火、点かねえから」
「ふうん」

 最後に落とした線香がやわらかい地面につきたって、それを足で折ってから、振り返る。

「約束より時間、早ェ」
「悪い悪い、近所まで用があってその足で来たら、ちょっとはやくついちゃって」
「もう仕事は一段落したからいいけどよ…」

 濡れ縁に立った男の方へ足を向けかけると、それよりはやく彼が庭へ下りてきた。

「裸足」
「あー…やっぱ坪庭だと、あんまり風もねえな…」

 となりに立った男は、どこかに引っかかっている風を探すように首を左右にめぐらせた。

「今日も暑かったなあ」
「夏なんていつもこんなもんだろ」

 残照がまだ地面を照らしている。額を熱ばませる光は、落ちてまだ強い。
 男が着物の袂から、煙草の箱を出した。

「さしいれ」
「パチンコの景品だろ」

 手からそれを抜き取る。いつも吸う銘柄だ。
 目覚めるまで煙草など吸っていたはずもないのに、はじめて吸ったときから煙は肌に合った。同様に刀もすぐ手に馴染み、どうやらこの身体は眠っているときからなにか弄くられていたらしい。念の入った、ありがたいことだ。
 煙草を一本くわえて、ポケットを探るとライターがなかった。
 いつも忘れず携帯しているのに、部屋の机のうえに置いてきたらしい。
 焦れる間もなく、男がシュッ、とライターを擦った。

「あん?」
「さしいれー」
「ああ、景品な」

 ぽつりと先端に灯った火が、煙を吸うと明るさを増した。
 肺にまで届くように長く、煙を吸う。

「土方くんてさあ」
「あん」
「自分の写真とか、撮んの」

 動揺は表に出さない。それは昔からの、片割れが生きたころからの癖だ。
 遺影。浮かんだ言葉を、そっとまぶたの裏に隠す。

「特には」
「あそー。オレ定期入れにいれときたいから欲しいんだけど」
「定期なんか持ってねえだろ。無職のくせに」

 煙草のフィルターを噛んで、なにも見えるはずがないのに庭を区切る外壁を見つめた。日はもう落ちきって、夜が迫っている。

「一応、幹部っつうことで公的な写真は時々撮られるけどな。そんくらいだ」
「えーそれ見たい。土方くんのキメ顔見たい」
「してねえし」

 うすく笑って、煙草から灰を落とした。ぽつ、地面に落ちる。

「でもねえ、本当はオレ、定期入れ持ってても、おまえの写真は欲しくねえの」

 ぽつ、地面に落ちる。

「土方くんのことは、きっとなんでも憶えてるから、いらない」
「どこの少女漫画から拾ってきた」

 笑って揶揄うと、男も笑った。
 笑えて、いたかどうかはわからない。

「だから遺影だって、オレは欲しくないんだよ」

 ふと線香の匂いがした。地面を見ると、落ちた線香に煙草の灰が火を、つけていた。
 火を消さなくてはと思った。
 思ったように身体が動かない。
 手から煙草が落ちて、線香の先端がよけいに赤く燃えた。それはまるで夜の闇に浮かぶ澪標のように、なにかを導くように、けれど灯りの道は蛇行してどこへも行けない。
 ぽつ、地面に涙が落ちた。

「ていう、オレの殺し文句」

 男はこちらを向いて、照れたように笑った。それに返す表情はなく、ただ、この身体でははじめて流す涙の止め方を思い出せなくて戸惑う。

「え、え、なんで泣いてんの土方くんそんな良かった?もっかい言う?」

 地面に落ちる涙では灯った火は消えない。
 どうした、と言って男が、頭を撫でてきた。黙って首を振ると、今度は肩を抱かれた。
 どうかそのまま放さないでいてほしい。今度こそは。

「そういえば線香、火、ついたな」

 男が気を紛らわすように言って、それに頷く。当たり前だ。

「……おまえがつけた、火だからだよ」

 男は煙の昇るのに合わせて視線を上げて、夜の空を見た。見上げた空に灯りはない。
 夜に浮かぶのは、祈りの火、だけなのだ。


おわり
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