03
綾部少年に言い渡された処遇は、三日間の謹慎だった。
名前にそう報告してくれたのは、彼と同室の平少年だ。
今にも頭を丸めんばかりに勢いのある謝意を述べ、本人に代わって土下座まで披露しようとしてくれた。繰り返し自身の監督不行届を詫びていたが、忍術学園の同室制度とは、五人組的な連帯責任制度だったのか。

***

てっきり監視の目を掻い潜り、派手に脱獄騒ぎを起こすものと思われた綾部少年は、しかし大多数の下馬評に反する殊勝な態度で、何事もなく三日間を乗り切った。反省文の提出を仕上げとし、彼はまた、今日から日常生活に戻ることになる。
……そしてこの情報もまた、例によって平少年からのタレコミである。
別に頼んだわけではないのだが、彼なりの罪滅ぼしのつもりらしい。
何か進展がある度に、律儀に耳打ちしにやって来る。
本音が許されるなら、忍者から情報を受け取るのは気が進まない。
でも、これに関しては“名前に対しての詫び”という明確な対価が存在しているので、ひとまず彼の気が済むまで好きにさせていた。

「……あ」
「…………」

ーーそんなこんながあり、名前もまた事件の日から四日目を迎えた。
誰もいない食堂で鉢屋少年と遭遇したのは、その朝の出来事だ。

「授業はどうしたんですか?もう始まってる時間ですよ」

朝食の盆を待ち、名前は一足先に着席していた彼に聞いた。
名前は普段、生徒達とは食事の時間をずらし、誰とも鉢合わせぬよう気を付けている。
理由は、混雑緩和に協力しているというのが一つ。もう一つは、純粋に周りの目が気になるからだ。良くも悪くも、ここでの名前は目立つ。

そういうわけで、今は名前にとっては朝食の時間でも、他の勤勉な忍たま達にとっては、とっくの昔に授業中のはず。
さてはサボりか?という名前の思考を先読みしたのだろう。奴は味噌汁の椀と箸を置き、主語すら明らかにせず「違う」と言い放った。

「生憎だが、私はまだ入院中の身だ。明日から授業に復帰する予定だから、リハビリを兼ねて食堂に食べに来た。これを食べたら、また保健室に退室するさ」 

だから邪魔してくれるなよ、ということらしい。
名前は「ふーん」と相槌を打ち、奴とは別の卓に着いた。
何せ食堂は広いのだ。二人で貸切にしている以上、座席は選びたい放題のより取り見取り。せせこましく一つのテーブルに雁首揃える必要はあるまい。名前はプライバシーに配慮できる先進的な天女なのだ。

……なのだが、そう思っているのは名前だけのようだった。
名前がサイレントいただきますの後、ずずっと味噌汁を啜った瞬間。
目の前でガチャリと、食器同士がぶつかる音がした。
は?と思いながら顔を上げると、何ということでしょう……お盆ごと名前の向かい側の席に引っ越してくる、鉢屋少年が目に入るではないか!
あんぐり口を開けたまま見守っていると、何故か不自然な程こちらを見なかった奴が、ふと名前に目をやりーーフハッと吹き出したのだった。

「口が開いてる」

なおも微かに笑いながら、鉢屋少年は名前の下顎に手を添え、強引に口を閉じさせる。
大人しく黙り込む名前を満足げに見下ろし、奴は改めて席に着いた。

「博愛の精神をお持ちの天女様は、暇な怪我人の話し相手になってはくれないのか?」
「え?いいけど……ご飯食べてるから暇ではなくないですか?」

名前は頷きつつも、怪訝さを隠すことなく眉を寄せた。
鉢屋少年と世間話?どういう風の吹き回しだ。
特に話題が思いつかぬので、無難に天気の話でも切り出すべきか?
まさかこんな展開になるとは思わなかったから、ろくに空も見ずに来てしまった。今日の天気が何だったか思い出せない!
ーーと言った具合に、心中で一人押し問答を繰り広げる名前だったが、対する鉢屋少年は気楽なもので、全く気負う素振りもなく、いとも容易くセンシティブな話題を口にしてきたのだった。

「綾部とのことは聞いたよ。あんたも災難だったな、厄介な奴に惚れられて」
「う、うわぁ……」

会って早々、そんな直球を投げられるとは思わなかった。
名前はうっかり、ほうれん草のおひたしを丸呑みにした。

「相変わらず手心のない言い方を……。綾部少年のあれは、たぶん惚れたとかそういうんじゃないですよ。本人の名誉のために言いますけど」
「……というと?」
「え、この話掘り下げる気ですか?それはちょっと嫌かも……」

一応は言い淀んでみせるも、鉢屋少年に視線だけで促され、名前は抵抗を諦めた。拒んだところで、どうせ遠回しに脅されるか、拷問の類義語的行為によって、無理やり口を割らされるのがオチなのだ。
名前は自戒を込めて、ゆっくりと切り出した。

「綾部少年の暴走は、本人の感情どうこうではなくて、“天女”の気に当てられたせいだと思います。……以前、和尚が言っていたことを覚えていますか?天女には、人に欲しいと思わせる魅了の力が備わっていると言っていました。つまりこれも、」
「これも、綾部本人の意思は無関係で、天女の異能による不可抗力の結果……そう言いたいわけか?」

急に言葉を遮られたと思ったら、鉢屋少年に先の発言を丸ごと引き継がれた。
驚きはしたものの、合っているので無言で頷く。
すると彼は、不意に乾いた笑いをこぼし、しかし これっぽっちも笑っていない目で「言いたいことはそれだけか?」と唸るように告げた。

「え!?なんで急に怒るんですか!?」
「あ?何でそうなる。別に怒ってないが」
「う、嘘つけ……!」

明らかにキレた顔をしておいて、どの口が言うか!

「あなたは知らなかったかもしれないけど、その感情こそが怒りと言うんですよ!見るからに殺伐とした目付きと、頭につけられた“あ?”が動かぬ証拠!」
「……その迂遠な言い回しは何だ。日頃の私への当て付けか?」
「自分の発言が回りくどい自覚あったんですね!」

ーー明らかに今、会敵後のバトルモードが始まるBGMが流れた。
鉢屋少年は割と冷静な方だと思っていたのに、やっぱり戦闘民族であることに変わりはないらしい。職業差別をするつもりはないが、こちとら血の気の多い忍者仕草にはうんざりなのだ。喧嘩をしたいなら他を当たってください。
名前は自分の食事を持ち上げ、席を引越しすべく立ち上がったーーが。

「この手は何ですか」
「……一人寂しく粗食に徹する哀れな怪我人を捨て置く非道な天女様を引き止める手だな」
「文字数が多い」

がっちり掴まれた手首がびくともしなかったので、名前は渋々逃走を断念した。

「……それで、怒ってない鉢屋少年は天女に何の用があるんですか?」

観念して席に座り直すと、一応の礼儀として聞いて差し上げる。
しかし鉢屋少年は、自分から水を向けたくせに、すぐには答えず視線を逸らすなどした。相変わらず難解な情緒の持ち主である。

「何の沈黙ですか……?」
「……敵に塩を送って良いものかどうか考えていた」
「はあ?」
「そうだよな。お前はそういう反応になるな」

鉢屋少年は、苦虫を噛み潰したような顔をする。

「綾部の件で、お前は一つ勘違いをしている。それを正してやる程度なら、さほどの痛手にはならないと判断した」
「痛手ってどういう……あ、やっぱいいです」
「賢明だな」

名前は突っ込むことをやめ、聞き役に徹することにした。
ーー結果として、その判断は誤りだったのだが。

「……なぁ、天女様。あんたは自分の身に何かある度、その原因を天女の異能のせいにしたがるが、他人の感情まで天女様の支配下にあると思ったら大間違いだ。思い上がりも甚だしい。綾部の感情はアイツのものだし、私とてそうだ。人の好悪を操れるほど、お前の力は大したものじゃないだろ」
「うっ……」

発言を許した途端、待ってましたと言わんばかりに特大の斧を振り下ろされた。そういうのは禁句じゃなかったっけ!?

「何だかんだと言いつつ、天女である自分に陶酔しているのはお前自身じゃないのか?私達とは別格の存在であると周りに誇示し、自分が特別であると喧伝して回っている」
「うううっ」

無意識の自惚れを指摘され、名前は顔が赤くなるのを感じた。
天女の肩書きに不便さを感じる一方で、そこに特別性や全能感を見出していたことは、紛れのない事実だったから。
やれやれ、ま〜た天女何かやっちゃいました?とか、心の中でニヤつきながら煽り散らしたことも、一度や二度じゃない。
でも許してほしい。14歳とは得てして“そういう“年頃なのだ……。
名前の黒歴史は何ページに及んでしまうのか。結末を知るのが怖い。

羞恥に身悶える名前はしかし、ここで話の流れが変わったことに気付けなかった。
流れと言うか……正確には、空気と言うべきか……。

「ーー綾部は当然反省すべきだが、お前も少しは、アイツの思いを汲んでやるべきだったんじゃないのか?お前は天女という肩書きに固執しすぎだ。自分と私達が、全く別の生き物であるかのように振る舞っている。だが、実際はそうじゃないだろう?お前は天女であると同時に、普通の人間でもあるはずだ。その可能性を示したのは、お前自身だった」

その言葉で思い出すのは、天女比べを終え、ドクタケ城から帰る道すがら。名前が何気なく語った、“実は天女って、ただ異世界から来ただけの一般人に過ぎないのではないか?”説のことだろう。

「そんな話、よく覚えてましたね」

あっさり聞き流された話題だったので、まさか鉢屋少年が覚えているとは思わなかった。賞賛のつもりで呟けば、しかし彼は、妙にドスの効いた声で「“よく覚えてました”ねぇ……?」と、今度こそ絶対怒ってる感じの台詞を吐いたのだった。

「そりゃあ覚えているだろうよ!お前のその言葉一つで、多少救われた気になったアホがここにいるからなぁ?」
「ここ?鉢屋少年のこと?」
「お前頭が悪いのも大概にしろよ!私以外の誰を想像した!?」
「ヒッ!」

大きな音を立てて鉢屋少年が立ち上がったので、名前は慌てて味噌汁を一気飲みした。騒動に乗じて汁物を溢されては敵わないからだ。

「ほぉ……随分と余裕だな……」
「えっ、ちが、誤解です!」
「何が誤解だ」

テーブルを回り込み、鉢屋少年が隣に仁王立ちになる。
背後は壁だ。袋の鼠と化した名前は、両手を上げて投降した。

「すみません!また天女何かやっちゃいましたか!?」
「………………」
「嘘です!すみません!」

はぁ〜……と、頭上からため息が降り注ぐ。
それからすぐさま、隣に鉢屋少年が座り直す気配を感じた。
頭を抱えてうずくまっていた名前は、相手の沈静化に気がつくと、恐る恐る面を上げる。
鉢屋少年は、すっかり疲れ切った様子で項垂れていた。

「もういい。全部無駄だと分かった。どうせお前は……天女は……私が何を言ったところで、異能に誑かされた被害者の妄言としか捉えないんだろう」
「そ、そんなことはないよ!さっきあなたに説得されて目から鱗が落ちましたからね。天女は脱・中二病宣言をしますよ!」

何かと思えば、まだイタイ奴だと思われていたらしい。慌てて首を振れば、鉢屋少年は疑わしげにコチラを睨み、「じゃあ言うが」と。

「お前、私が天女に惚れていると言ったらどうする?」
「……え」
「どうするんだ」

貼り付けたような真顔に見えて、その奥には、どことなく焦りにも似た感情が見え隠れしている。
名前はしばし固まってから、ダラダラと冷や汗を流した。

「え、えっと……やっぱり、その……じょ、冗談を疑う……かな……?最初は……さすがに……嘘かなぁと……」

答えながら、チラッと相手の様子を伺う。
すると鉢屋少年は、いつの間にか止めていたらしい息を吐き出しーー何だかとても、胸が引き攣れるような仕草で目線を落とした。
そしてたった一言、「だろうな」とだけ。

「あ、あの……!」

その顔を見た瞬間、吐き気を催すほどの罪悪感が喉元まで迫り上がって、名前は思わず声を上げていた。
ーーどうしても、彼の言葉は真に迫って聞こえたのだ。
言うべきではない、言ってはいけない。そんな自制心を振り切ってでも、どうしても口にしたかった、痛みの訴えに聞こえてしまったから。

「ほ、本当なんですか……?今のは、その……天女が……」

どこを見て話したら良いのか分からず、名前はウロウロと視線を彷徨わせながら、今にも消え入りそうな声で尋ねた。
思わず伸ばした手を宙に置き、その指先が震える様を凝視する。
……震えの理由は分からない。恐怖か、悲しみか、あるいは。
血の気を失った腕が乱暴に掴まれたのは、まさしくその時だった。

「……ッ、ああ!そうとも!私はお前が好きだ!悪いか!?みっともなく惚れていたさ!誰が嫁になんてやるものか!どこにも行くな、元の世界になんか帰るなと縋りつきたい程に、女々しくお前を求めている!」

名前は、呆然とするほかなかった。
肌に食い込む手の平が、ゾッとするほど冷たかったから。
耳朶に突き刺さる鋭利な声が、痛々しい程の切実さを纏っていたから。
名前を射抜く目の中に、飢えにも似た恋しさを見つけてしまったから。
ーーその手を振り解かなかった理由を、必死に後付けで思い描いた。

「ごめんなさい……聞かなかったことにするから。だから、ごめんなさい。忘れてください……お願いします……」

名前は明日、黄昏甚兵衛の元に嫁ぐ。

第6話[ 完 ]


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