羽衣伝説リターンズ
誰が言いふらしたわけでもないのに、名前の嫁入り話は瞬く間に広まった。
しかもどういうわけか、お姫様と相思相愛だった黄昏甚兵衛に名前が横恋慕した挙句、半ば脅すように寝取ったことになっている。
人の口に戸は立てられぬし、さもない噂には尾鰭が付きものだ。
しかし、今回は尾鰭だけに飽き足らず、背鰭と胸鰭とエラまで付いてきて、そのうえ勢い余って足すら生えた。
悪事千里を走ると言うが、恋の噂は万里を行くのだ。
これはもう噂の域をとっくにはみ出て、創作小説の類いだが……。

「天女様お久しぶりで〜す」

今日もまた、いわれない痴情のもつれを背負わされ、とんだ悪女の誹りを受けていた名前である。
ただでさえ朝から鬱々としていたところに、更に聞きたくない声まで聞いてしまって、名前は更に一段テンションを下げた。
……我ながら、この気分の落ち込み具合に、まだ下があったとは驚く。
限界知らずのドン底メンタルで、名前は呻くように答えた。

「遅かったですね五条弾。あなたを待っている間、天女が何回道行くデリカシー無し忍者達に、ヒソヒソコソコソ噂されたと思ってるんですか?とんだ晒し者でした。とにかく謝ってほしい」

名前は現在、忍術学園の食堂にいる。
そして目の前には、相変わらず掴みどころのない五条弾が。
ーー今日はタソガレドキの関係者を交え、輿入れに際して必要となる、諸々の話し合いを行う予定だった。

「天女様、もうすっかり人気者ですね〜。毎日噂で持ちきりだそうじゃないですか。なんでも、うちの殿を力尽くで寝取ったんですって?……いやぁ見かけによらず、案外天女様って情熱的なんですね!こんなに愛されて殿も幸せ者だ。私も臣下として誇らしいです」

奴はどこからともなく手拭いを取り出し、ヨヨヨ……と泣き真似までしてくれる。この無礼者、どこまで人をコケにすれば気が済むのか。

「誰が世間話しろって言ったんですか。天女は謝れって言ったんだけど。……待ち合わせ場所を食堂にしたの、完全にわざとでしょ。健気な天女を虐めてそんなに楽しい!?」
「と〜っても楽しいです!ちなみに、ここに来た生徒さんのうち、実に12人が天女様の噂話してましたよ。ホットな話題なんですねぇ。それにいちいち天女様が反応して百面相してるから、本当に眺めていて飽きませんでした」
「遅いと思ったらどっかに隠れて見てたな!?」

今は授業中の時刻だ。既に周りに人気はなく、食堂は貸切状態。
この性悪忍者は、すっかり人がいなくなるまで天井裏にでも身を隠し、名前がジロジロ見られる様を観察しては、しめしめって具合にほくそ笑んでいたのだろう。
この性格の歪みっぷり……本籍が地獄にあるとしか思えない!

「久しぶりに天女様にお会いできると思ったら嬉しくなってしまって、ついはしゃいでしまいました」
「はしゃぐって言葉の使い方違うと思います」

名前は、それ以上の追求を諦めた。
嗜虐趣味の人間にいくら楯突いても、すなわち全てが逆効果なのだ。

***

「五条さん、頼まれた物を持って来ました」

名前が諦念を抱き始めた折、また違う人物が現れた。
声からして性別は男。
あまり背は高くなく、両腕に大荷物を抱え、歩きにくそうに登場する。
見慣れた黒装束なので、五条弾と同じくタソガレドキの忍と思われた。

「……あれ。あなた、どこかで会ったことありましたっけ」

新参の忍者と目が合った途端、名前は既視感に襲われた。
彼の顔そのものに見覚えはないが、どことなく似た雰囲気の人に会ったことがある気がしたのだ。
あともうちょっと……ここまで出かかってるんだけど……。目を細め、まじまじと相手を眺めていると、不意に五条弾が「あ!」と呟いた。

「ほら、コレをこうしたらどうです?思い出しました?」
「あ、ちょっと五条さん!?」

何を思ったのか、五条弾は懐からサングラスを取り出し、それを謎の人物の顔にかけたのだ。
当然ながら、一瞬にして消える彼の目元。
ーーそして次の瞬間、名前の脳裏に閃きが過ぎった。

「あー!ドクタケ忍者隊にいた人!」

デジャヴの正体とは、作法委員会協力のもと野良信者達を根こそぎ生け取りにした際、立花氏に騙されて穴に突き落とされた名前を、天女比べの会場まで連れて行ったドクタケ忍者だった。
そういえば、あの時も彼は五条弾と親しげに会話していたし、実はタソガレドキ忍者が化けた姿だったのか……!なんと言う盲点!

「あの時は色々立て込んでて、きちんと自己紹介もしてなかったですからね。……ほら尊奈門、恥ずかしがってないでちゃんと名乗るんだよ」
「恥ずかしがってなんかいません!」

元ドクタケ忍者は、しかめ面で「諸泉尊奈門だ」と名乗った。
五条弾とは所属部隊が異なるが、一応後輩にあたる存在らしい。

「その荷物は何ですか?」

お互い名乗り合ったところで、名前は本題に触れた。
諸泉氏が持って来た荷物は、紫色の風呂敷に包まれた、長方形の大きな箱だ。厚みはそれほど無いが、とにかく縦に長い。立たせると、長辺が諸泉氏の顎あたりまで到達する。触ると硬いので木製だろうか。

「そんな大荷物持って、よく小松田さんの目を掻い潜れましたね」
「いや、私は普通に入門表にサインして来たから」
「えっ!普通に入れるの?それなら五条弾も忍び込まずにそうしなよ……。小松田さんが可哀想だよ」
「私のは癖なんです。お気になさらず」

五条弾の回答は全く答えになっていないが、奴は気にせず風呂敷の結び目に手をかけ、荷物を開く。
ーー中身は思った通り、少し年季の入った木の箱だった。

「これ、うちの殿が天女様のために用意したんです。どうか見てあげてください」

機嫌良く笑った五条弾は、軽々と木箱の蓋を持ち上げた。
中には、煌びやかな織物が幾重にも折重なり、うっすらと焚き染められた品の良い香が、ふとした拍子に鼻先を擽る。
それはまるで、竜宮城から持ち帰った玉手箱の様相である。

「……これ」
「花嫁への贈り物です!でも、天女様は普通の奥方とは違いますからね。これらは皆、巫女衣装風に仕立てられています。あなたはただの側室ではなく、“天女”として嫁いでくるわけですからね」

試しに一枚持ち上げた布は、鳥肌が立つほど肌触りが滑らかだ。
金色を基調とした厚手の衣の上に、うっすらと向こう側が透けて見える、白地の布が重ねて織り合わされている。
気が遠くなるほど緻密に描かれた刺繍は、いずれも銀色の輝きを纏っていて、糸の一本すらも生半可なものは無いのだと悟った。

「羽衣だ……」

蜘蛛の糸のように淡い質感の布が、ひらりと落ちた。
これもまた、ほとんど透明にも近いほど薄い素材で出来ている。
一目見て、それが“天女の羽衣“に違いないと分かった。

「まずは形から入れということですよ、天女様。天女様は元々雰囲気が変わっておいでなので、外見さえ整えてしまえば、かなりそれっぽく化けられますよ」
「…………」

でしょうね、と名前は呟いた。
伊達に一年も天女業で食べていたわけではない。
あの頃に着ていた衣装は、ここまで手が込んで豪勢ではなかったが、それでも誰一人として、名前が偽物の天女であると疑う者はいなかった。
普通にしていても、どこか異質な雰囲気を纏う現代人は、どうしても目立ってしまうのだ。
溶け込むことが出来ないなら、いっそその特性を生かすしか道はない。

「この衣装はまだ仮縫い状態なんです。大よその見立てで作ったので、今日天女様に試着してもらって、裾上げを含む仕上げの工程に入ります」
「随分と気合が入ってるんですね」
「当たり前じゃないですか〜。我が国の威信がかかってますよ。天女様は諸国相手に、これでもか!と見せびらかして行く所存ですからね」

オーマガトキではかなり出し惜しみされていた自覚があるし、忍術学園に来てからは、名前は完全に仕舞い込まれていた。
どうやらタソガレドキでは、天女はじゃんじゃん使い倒される存在らしい。給料上がると良いけどな……。名前は早くも時給の計算を始めた。

***

仕上げの試着は、場所をくのたま長屋に移し、久しぶりの山本女史に手伝ってもらった。
今日の彼女は老婆の姿である。以前見た若々しい美女姿とは別人のようだが、れっきとした同一人物らしい。
疑問に思うだけ無駄なので、そう説明を受けた時、名前は何も言わなかった。まぁ忍者だし、たまにはそんなこともあるよね。知らんけど。

「さぁ、出来ましたよ」

ほけほけとしたお婆ちゃんに優しく背を叩かれる。
不思議なことに、若いバージョンの山本女史は、名前よりよっぽど背が高かったのに、今は名前より随分と低い位置に頭がある。どんな仕組みなのかさっぱり分からない。
骨格ウェーブが急に骨格ストレートになっても良いのか!?

「あー……なんか懐かしいですね、こういう格好」

手渡された小さな丸鏡に、なんとなく上半身を写し出してみた。
色彩やデザインは巫女衣装をモデルにしているだけあり、至って大人しく上品だ。しかし、使っている布が一級品なので、どことなく華やかな装いに見える。
何より、首元に引っ掛けられた羽衣が、かなり“それ”っぽい。
外に出て風にはためいたら、さぞかし人外感が増すのだろうと思う。

天女として立つ以上、名前の姿はもはや、可愛いとか可愛くないとか、そういう次元で語ることは許されないのかもしれない。
名前に求められているのは、きっと異貌のそれだ。
いかに超然とした存在を演じられるかが、この衣装にかかっている。

「ーーん?何の騒ぎです?」

そんな時、不意に外が騒がしくなり、名前は考え事を中断した。
気のせいではない。忍たま長屋の方角から、慌ただしい物音が複数聞こえる。忍者は基本的に足音を消して歩くので、彼らがこんなに気配を露わにすること自体が異常なのだ。
不安を抱く間もなく、知らせはすぐにでも名前の耳に届いた。お姫様の影武者をしていた鉢屋少年が、負傷して帰還したとのことだった。

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