03
名前が飛び出したと見るや、大男は驚異の反射神経で刃を引いた。
お陰で、名前は擦り傷一つ負うことなく舞台の真ん中に躍り出た。

「…………あ、えっと」

ーーで?って言う。
この先の展開を全く考えていなかった名前は、瞬間的に後悔した。
寒風吹き荒ぶ冷え切った空気、全くどうしてくれようか。

「こちらのお嬢さんは?」

今にも凍え死にそうな名前に声をかけたのは、よりにもよって黄昏甚兵衛だった。信じられない程わざとらしい質問である。何もかもを知っているくせに、これ見よがしにしらばくれやがって……。

「これなる乙女は、オーマガトキにて長く天女を名乗っておられたお方。この度、わけあって忍術学園に居住を移されたとのことでございます。出自は不明とか」

名前の登場に少なからず驚いていた様子の大男は、しかし殿様の問いかけに淀みなく答え、いっそ大袈裟なほど丁寧な物腰で、名前に恭しく手を差し伸べた。

「“天女様”に刃を向けるなど、無礼な振る舞いをお許しください。恐ろしい思いをなされたでしょう。お怪我はございませんか?」
「い、いえ……」

名前は差し出された手を取らず、歯向かうように一歩後ずさった。
男は無言で手を引き、ほんの僅かに目を細めた。

「さて、天女様。貴女様が背後に匿うその娘、天女の名を騙る罪人にございますれば、今すぐ私が裁かねばなりません。尊き身の上に大変な不敬ではございますが、今一歩そこから動いて頂いてもよろしいでしょうか?やんごとなき御身に障りがあってはいけませぬゆえ」
「ヒッ……」

名前はうっかり白目を剥きそうになった。
この非常に勿体ぶった鼻に付く大仰な喋りは、絶対にわざとなのだ。
畏まると見せかけて、名前を馬鹿にしている。どうせ何も出来ない愚かな小娘と侮って、揶揄するつもりで慇懃無礼な態度を取っている。

「い………いやです」

面白そうに歪められた男の目玉を睨みながら、名前は震える声で答えた。嫌なのだ。お前達の思惑に乗るなんて、まっぴらごめんなのだ。

「天女がどいたら、あなた、この人を殺すでしょ。だからどきません」
「……それは何故です?」
「ななな何故って!?」

名前は絶句した。
人を殺さぬ理由に明確な説明を求められるとは。

「そ、それは……えっと、えっと……」

名前は、またしても煙を吹きそうな脳みそを必死にフル稼働させーー

「そっその人が偽物だと言うのなら、天女だってそうなの!なぜなら!天女はもう処女じゃないらしいからです!」

ーーたぶん、今辿り着ける中で一番最悪な解を導き出した。

「ブフッ」

名前が、いかにも名案を閃いた!といった具合に叫んだ瞬間、会場の至る所から吹き出すような声が響いた。たぶん、その殆どは忍者だったと思う。おい……お前ら心を殺す訓練とか受けてるんじゃないのか……。

「やっ、あの、分かんないけど、四捨五入したら処女じゃないかもしれないと言うだけで、実際のところはどうだか分からないですけど、でも、天女の資格が無いかもしれないという点においては、天女もこの子と変わらないわけなので」

アタフタと言葉を続けるが、言い訳すればするほど発言が胡散臭い感じになっていく。あれ、こんなはずでは……。

「ほぉ〜。ではお嬢さん、貴女もその罪人同様裁かれたいと、そういうことですかな?」

どんどん混乱のドツボにハマっていく名前を見かねたのか、黄昏甚兵衛がそれとなく軌道を修正してくれた。名前も、これ幸いと流れに乗る。

「そう!この子をどうしても裁くと言うのなら、順番的に先に天女を裁かないとおかしいと思います。天女も、資格を奪われた結果こうしてこんな所に流れ着いているので」

正直なところ、これは一か八かの賭けだった。
ここで「ハイそうですか」と言われてあっさり殺されたら、何もかもが水泡に帰してしまう。
いかに名前が本物の天女と言えども、タソガレドキ程の大国であれば、ここであえて本物を切り捨て、世界に旱魃を呼び寄せた挙句、周辺国が弱った隙を狙って攻め落とす!とかいう鬼畜作戦を決行しても何らおかしくないのだ。
実際、名前は歴代天女に比べて扱いにくいだろうし、全部をリセットするため、新たな天女を呼び寄せたくなる気持ちも分かる……。

でもきっと、彼らはそんなことより“自らの愉悦”を取ると感じた。

天女が名前である必然性が無い以上、名前がこの先も生き残るためには、彼らが“名前自身”に興味を持つよう仕向ける必要がある。
俗っぽい言い方をするなら“おもしれ〜女”ってやつになりきるのだ。
関心から生まれる慈悲と憐憫の情を、途絶えさせてはいけない。
彼らの言いなりになりたくないなら、天女が名前でなければならない、名前にしかない価値を、奴らに認めさせねばならないからーー。

「この子を殺すなら天女のことも殺すべきです。それが法というものでは?天女は許してこの子は許さない。そんな曖昧な物差しで、神にも等しい天女を裁こうなど、それこそ不敬ではありませんか」

……だから、結局のところ、これも保身なのだ。
自分を良く見せたい。自分だけは清廉でありたい。そんな邪まで浅ましい思いが生んだ、口先だけの綺麗事に過ぎない。背中に庇う乙女を言い訳にして、名前はまた、自分が助かる道だけを探そうとしている。

***

どれほどの沈黙が流れたのか分からなかった。
微かな笑い声が聞こえて、名前は恐る恐る面を上げた。
ーー黄昏甚兵衛と大男が、何かを含むように笑っていた。

「なんと見上げた御心にございましょう!これぞまさしく慈悲深き恵みの天女に相応しき偉業!この黄昏甚兵衛、感動に胸を打たれ申した!」

芝居がかった口ぶりで黄昏甚兵衛がそう言うと、大男は心得たと言うように身を屈めーー名前を力尽くで横にどけた。

「なっ、何を……」

咄嗟に楯突こうとした声は、情けない息の音となって掻き消えた。
大男が、身の毛がよだつほど冷酷な目で名前を見下ろしたから。
視線で人が殺せるなら、きっとこの瞬間、名前は死んでいたと思う。

「…………ぁ、」

初めて殺気に充てられた体は、金縛りにあったように動かなくなる。
そんな名前を侮蔑の目で見届けた男は、やがて刃を振りかぶりーー
涙に暮れる女性の髪を、肩の辺りでばっさりと断ち切ったのだった。

「……これで、この娘は一度死んだ。あとはまた、己の力でやり直すと良い」

切り落とした髪をぞんざいに投げ捨て、男は平坦な声で言った。
それは、きっと“許す”という意味だった。

***

「…………天女は汚い奴だ……」

足元に散らばる黒髪を踏みつけ、名前は小さく身震いした。
ただのゴミと化した艶のある長髪は、名前が今まで足蹴にしてきた、沢山の人達の善意や尊厳のように思われた。

あの男の眼差しに射抜かれた瞬間、どうしても手足に力が入らなくなった。……それはたぶん、彼が全てを見透かしていたからだ。
名前の汚い思惑も、保身に走った事情も、本心も、全部。
そして何より、名前自身が、彼に大きな負い目を抱いてしまったから。

(人を勝手に悪者扱いして、それで、悪事を止めた天女は正義のヒーロー気取り?ほんと、気持ち悪い……)

どうしても、考えずにはいられなかった。
彼に、天女候補者を害するつもりはなかったのではないかと。
最初から髪を断ち切って、それで終わりにするつもりだったのでは?
それなのに、名前が“殺さないで”と見せかけの正義を振りかざしたから、引くに引けなくなっただけで。
彼が冷酷な人だと決めつけ、先に突き放したのは自分だ。
大衆が見守る前で糾弾し、悪人の烙印を押し付けた。
だから、どれだけ冷ややかな視線を向けられようと、それは当然の報いのはず。名前に、人並みに傷付く権利なんてない。

「…………」

名前の処分はまだ決まらないのだろう。
黄昏甚兵衛の指示で、名前は両手を縄に縛られた。

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