天女・オブ・ザ・デッド
山ぶ鬼嬢と話し込むうち、名前はいつの間にやら眠っていたらしい。
ーー何者かが激しく柵を揺さぶる音で、名前は質の悪い目覚めを得た。

「寄越せ!寄越せ……ッ!俺に、俺に早く!早くアレを寄越せ!」

覚醒と同時に視界に飛び込んできた光景は、いっそ悪夢であってくれと願いたくなるような有り様だった……。
状況を端的に説明するなら、“朽ちかけた木の柵を全力でガタガタ言わせる大柄な男”といった所だろうか。しかし、そこには“ただし目が完全にイッている”とか、“口から舌が飛び出している”とか、“顔色が人間のそれじゃない”とか、なかなかどうして不吉な注釈が大量に付き纏う。

どこか舌足らずな言葉遣いで、それでいて言い知れぬ狂気を孕む男の様相は、これまで見てきた信者達とは些か異なるように思われた。
そんな彼のどんちゃん騒ぎにより、名前同様健やかに眠っていた山ぶ鬼嬢も起き出してしまい、今やすっかり怯えた様子で身を縮めている。

今までは、名前達を閉じ込める忌むべき檻であった物が、一つ壁を隔てた先にヤバイ奴がいる現在、この檻こそが唯一にして最強の心の拠り所となりつつある。それでもって、初めは長所に思えた作りのモロさが、今度は心配ポイントに早変わり……。頼むから持ち堪えてください。

「な、なになに何なのよ〜!?怖いよ〜!」

山ぶ鬼嬢は再び高周波の泣き声を響かせながら、丸太と化している名前にヒシッとしがみつく。
しかして、乙女二人が恐慌状態に陥る間に、奴は口角から白い泡を飛ばし、目玉を爛々と光らせ、尚一層の激しさで檻に体当たりするのでーー

「ややややばい!やばい壊れる!やばいマジやばい!」

名前が知性のカケラもない悲鳴を上げた、まさしくその時。

「ぐぎゃあっ!?」

一体全体どこのゾンビ映画ご出身ですか?と問いたくなる風貌の男が、いきなり不自然な体勢でずっこけたのである。

「お待たせしてすみません天女様!」

名前が呆然としていると、倒れた男の向こう側から、何だかもう泣きたくなるほど(実際ちょっと泣いた)聞き覚えのある声が聞こえた。
これがテレビ番組なら、果たしてその正体やいかに!?と一旦CMを挟みかねぬ場面だが、色んな意味で悲しいかな、ここは現実。間髪入れず現れたのは、一度は名前を見捨てた浦風&黒門少年だったのである。

「お……遅いんだが!?」

二人の顔を見た瞬間、この上なく複雑な感情が奔流が如く湧いてきて、名前は一周回って真顔になった。それから思い出したようにジタバタ暴れてみたものの、今一つ覇気に欠けてしまう……。のちに浦風少年は、その様を岸に打ち上げられた死にかけの魚に喩えた。マジ許すまじ。

「ななな何、何してやがったんですか今まで!天女こんなに杜撰な扱いされたの生まれて35回目だよ!」
「あ、結構ご経験あるんですね」
「うるせー!文句なら山田利吉に言いやがりなさい!」

黒門少年に縄をほどいてもらい、名前はようやく自由の身となった。
当たり前すぎてお話にならんが、もちろん体はバッキバキである。
ラジオ体操第一による、急速筋肉解凍作業が急務となった。

「……で、この人何なんですか?二人は分かってるみたいですけど」

足元で目を回す男性は、どうやら浦風少年が振り下ろしたエクスカリ棒の一撃で沈んだらしい。大人しそうな外見とは裏腹に、かなり大胆な真似をする子だ。本人は予習の成果が出たと喜んでいたが、そんな物騒な予習があってたまるかという気持ちである。予習って何かの隠語か?

「この人は……あ〜……それより、一旦ここを離れましょう。天女様のお陰で、大体目的は達成されたようなので」
「え?なに?何なの?」
「ここはまだちょっと危ないんです」

などと言ってる側から、フラフラと別の信者が現れた。
こちらも大分キている様子で、見るからに正気を失っている。
この世界はいつからゾンビワールドになってしまったのだ。

「なんで!?何なの本当に!?」
「天女様こっちです!」

ーー浦風少年に手を引かれるまま、名前は夜道を駆けた。
刻一刻と増えるヤバ信者共のシルエットが、闇の中で静かに蠢く。
鳴り止まぬ鼓動、微かな呻き声、変わり果てた姿の人間達。
何だろう、やっぱウォーキング・デッドにこんなシーンあったな……。

***

逃避行の末辿り着いたのは、打ち捨てられたような掘立小屋だった。
中には薄明かりが灯り、何となく見覚えのある人影が揺れている。
……このシルエット、十中八九作法委員の残りのメンバー達なのだ。

「ただいま戻りました!」

引きずるように名前を連れ、サッと木戸を潜った浦風少年である。
彼の礼儀正しい挨拶に、立花氏は鷹揚な微笑でもって応えた。

「ご苦労だった。おと……ゴホン、天女様もお疲れでしょう。無理をさせてすみませんでした」
「もう囮りで良いです」

がっくりと肩を落とした名前は、しかしーーその落とした先に何やら不穏な物体を見つけ、ゴシゴシと目を擦るなどした。
けれども、再三再四言う通り、ここは紛う方なき現実世界。目を擦った程度で視界が塗り替わるほど、世の中甘くも視力が悪くもない。
……そんなわけで、渋々手を退けた後も、そこには目を擦る前と何ら変わらぬ景色が横たわり、名前に静かなる恐怖を植え付けたのである。

「免罪符……?」 

名前が見出したのは、小屋の一角に山と積まれた免罪符だった。
こちとら生産者である。逆立ちしても見間違うはずがない。あれは、確かに名前が売り出していた天女印の免罪符だ。
ーーでも、何かが違う。
ほとんど直感のような代物だが、怖いくらいに確信があった。
そしてその確信は、立花氏の言葉によって しかと裏付けられるのだ。

「おっしゃる通り、これは天女様がしんべヱのパパさんと共同で売り出しておられた免罪符です。……が、これはある意味紛い物。外部の人間によって手を加えられた粗悪品です」
「ど、どういうこと」
「……喜八郎」

立花氏の短い呼びかけに応じ、綾部少年はおもむろに手近な免罪符に火をつけた。なんて罰当たりなことを!などと名前が説教する間もなく、煙と共に辺りへ充満する妙な匂い。
火はすぐにでも消し止められ、異臭も開け放たれた扉の外に吐き出されたが、しばしの間胸焼けのような違和感が付き纏う。これは一体……。

「厄介な薬物ですよ」

鼻を押さえて狼狽える名前を見下ろし、立花氏が静かに切り出した。

「どこぞの心ない人間が、あなたの作った免罪符に中毒性の高い薬物を混入させ、高額転売しているんです。あの様子のおかしな信者達は、皆薬物中毒になった人間の末路です」
「そ、そんなまさか……」

その言葉が事実なら、あまりにも笑えない話だ。
しかし、忍術学園で見た信者達とは、明らかに様子の異なる“奴ら”を思えば、それがあながち冗談でないことも分かるーーいや、むしろ、彼の考察はとても正しくて、理にかなっているのかも。

薬物を摂取することで、人は幻覚を見る。その幻覚が、免罪符を求めるほど“救われたい”と願う人間の深層心理と合致し、あたかも本当に神聖な体験をしたかのような錯覚を植え付けるのだ。
それは、いかがわしい新興宗教でもしばしば使われる悪辣な手口。
紛い物の感動は、きっと一度味わったが最後二度と抜けられなくなる。

「我々は何も聞かされていませんでしたが、恐らくタソガレドキはこのことを知っていて、あえて私達を遣わせたのでしょう。まんまとしてやられました」
「え、それはどういう」
「ーー知っていたのか?山ぶ鬼」

名前の言葉を遮り、立花氏が不意にひやりとした声を放った。
その矛の向かう先は、先程から全く喋らなくなった山ぶ鬼嬢である。
何だか嫌な予感がして彼女を振り向くと、山ぶ鬼嬢は目を見開き、凍死寸前かと思うほど小刻みに体を震わせていた。

「し、しらっ、知らなかったの……わた、わたし、こんな、こんな物だって、知らなかった……ッ!」
「ちょっと!大丈夫ですか!?」

その尋常ならざる様子に度肝を抜かれ、名前は慌てて背中をさすろうとした。しかし、一連の動きは綾部少年によって阻まれる。外見にそぐわぬ剛力で腕を引かれ、前進が叶わない。

「なにを……」
「これを先導して作ってたのはドクタケ城です。そこのどくタマを本物の天女ってことにしてたんですね。本人は何も知らなかったみたいですけど、場合によっては無知も罪なのでー」

相変わらずの棒読みだが、綾部少年の言葉はどこまでも冷淡だ。
しかし、山ぶ鬼嬢の反応を見る限り、その言葉は凡そ正しいのだろう。

恐らくドクタケ城は、名前が出奔するより前からひそやかに薬入り免罪符の転売を行なっていた。
そして、本家免罪符では得られなかった“神がかり体験”が味わえるとして、いつしか偽物こそが本物と称えられるようになる……。
そうなると、免罪符を作り出す天女の真贋さえも逆転する。
あれほど盲目的だった野良信者達が、掌を返すように方々の派閥傘下に散っていった背景は、免罪符の効力差による疑惑が大きかったのだ。

「ーーしかし、薬物を混ぜ込んだ免罪符は高額だ。とても一般人の手が届く代物ではない。薬に溺れた信者達は、ついに免罪符そのものを生み出す“天女”を拉致しようと考えたというわけか」

きっと、福富屋が襲われたのも同じ理由だ。
福富屋が所有する貿易船には、今も大量の免罪符が積まれている。

何だかもう、頭の中がめちゃくちゃだ。
名前のやることなすこと、全てが悪い方向へ繋がっている。
結局、名前は何もせず、何も語らず、じっとお人形のように座っているべきだったのだ。
頭の中で、山田利吉が「それ見たことか」と鼻を鳴らした。

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