02
ーー結論から言うと、お風呂はとても良いものでした。

「生き返った〜!!!!」

濡れた髪を山本女史に拭いてもらいながら、名前は叫んだ。
一晩中逆風に煽られ続けた結果、すっかり鳥の巣状態だった髪の毛が、見違えるように綺麗になっている。
慣れぬ乗馬でガタガタになった関節や、寝不足で血の気が失せた顔色も、じっくり湯に浸かることでかなり改善されたと思う。
日本人で良かった。名前は、熱くなった目頭をそっと押さえた。

「ふふ。お気に召して頂けたようで何よりです。このあと学園長の元へご案内致しますね。天女様が着てらしたお召し物は汚れてしまいましたから、僭越ながらこちらで用意した着物を着て頂くことになりますが」

優雅に微笑み、彼女が取り出したのはごくごく一般的な小袖。
取り立てて高価なわけでも、デザインが飛び抜けて可愛いわけでもないが、私服と言えば巫女服モドキしか持っていなかった名前である。初めて“普通”の服を入手し、人間レベルが1上がった。

「大変スッキリしました!ありがとうございます。今のメンタル状況なら、学園長だろうが悪天候だろうがドンと来いという感じですよ」
「今日は晴れていますが……?」
「語呂が似ている」

ともあれ、そういうことなので名前達は場所を変えた。

***

前もって予告されていた通り、続いて名前が案内されたのは学園長の庵であった。忍術学園の離れに位置する、こぢんまりとした佇まいの草葺き小屋だ。都会の摩天楼に囲まれて育った現代っ子な名前も、うっかり懐かしい気持ちになってしまう眺めである。
……まぁ、懐かしむ過去は無いんですけど。記憶を捏造するな。

「お邪魔します」

一声かけて襖を開ける。
その瞬間、中にいた人々が一斉にこちらを見たので、思わずビクッと身を竦めてしまった。
名前の怯えを感じ取ったのか、彼らは直ぐさま視線から険を取り払い、取ってつけたように人の良い笑みを浮かべたが。

「待っておったぞ天女様!お噂はかねがね」

名前の登場に際し、真っ先に口火を切ったのは白髪の老人であった。上座に座っているし、恐らく彼が学園長であろう。
一方他の人々は、壁に沿ってコの字型を描くように座っている。
その殆どが初対面の成人男性だが、中には見慣れた顔もあった。先ほど別れた偽福富屋である。そして、奴の隣の人物もまた、名前と年頃が近そうに見えた。目がクリッとしていて……う〜む、こう言っちゃなんだが、結構ヘンテコな髪型の少年なのだ。
無視を決め込む偽福富屋とは対照的に、彼は名前の視線に笑顔を返し、ヒラヒラと片手を振った。紛れもない陽キャであった。

「ヘムヘム、お茶を出してあげなさい。天女様も、そんな所に突っ立っておらんで座りなさい。ヘムヘムの淹れてくれる茶は旨いぞぉ」
「ヘム〜!」

促されるまま座布団に腰を落ち着ければ、二足歩行の犬に茶を出された。確かに美味な茶である。最近の犬は進んでいるな。

「して、天女様。まずは挨拶が先じゃな。ワシはここ、忍術学園の学園長をしておる大川平次渦正。この犬は忍犬のヘムヘムじゃ。よろしく頼む」
「ヘム!」
「…………名字名前です」

皆の視線が痛い。もうだいぶ慣れたとは言え、初対面の人と話す時は緊張するものだ。試すような目で見られる機会が増えたこともまた、その一因だろうか。
出来ることなら過度な期待は避け、極力ハードルの低い状態での邂逅が望ましいのだ。“天女”の肩書きが、それを許してくれないだけで……。
名前は居住まいを正し、乾いた喉を茶で潤したのち、緊張した面持ちで切り出したーー「あなたは、天女の敵ですか?」と。

「ほっほっほ。面白いことを聞くお嬢さんじゃの〜。仮にワシが敵だよと答えたら、天女様はどうするつもりなんじゃ?」
「白旗を挙げて全面降伏しますが……」
「潔いのぉ」

ゆるゆると笑う老人から、敵意らしきものは感じられない。
しかし、人は見かけによらぬもの。この世の中、悪い奴ほど善人のフリが上手くできているのだ。その最たる例と言えよう、己の護衛の顔を想起し、名前は改めて気を引き締め直した。
思い返されるのは、人並外れて麗しい顔面にそぐわぬ、ささくれ立った冷たい気性……。綺麗な薔薇にトゲがあるように、ベニテングタケが猛毒であるように、優れた容姿は性格が破綻した代償である。天は二物を与えずとは、まさしくこの世の真理なのだ。

「山田利吉は、あなた達の仲間なんですか?天女をずっと見張らせて、頃合いを見計らって誘拐したってこと?ここは、オーマガトキに敵対する勢力なんですか?オーマガトキが頭悪すぎて、そのまま天女を置いておいたらまずいことになると思ったとか?」

相手に口を挟む隙を与えず、矢継ぎ早に問う。
すると、学園長はいきなり「七十点!」と叫んだ。

「え、なに……?」
「天女様は推理力に長けておられる!いい線いってる。でもちょっと惜しい。だから七十点!」
「へ、平均点はいくらですか!?話はそれからだ!!」

ーー学園長が懇切丁寧に解説してくれた種明かしは、ざっくり噛み砕くと以下のような内容であった。

まず、山田利吉は学園の手先ではない。
今回の名前誘拐事件も、完全に山田利吉が独断で行ったこと。学園側は奴に協力を要請され、それを受け入れた立場にすぎない。

「しかし、我々もまた天女様の動向には注目しておったからな。利害が一致したとも言う」
「……それは、国同士の力関係がどうのこうの、みたいな話?」
「うむ。天女様はよく勉強しておるようじゃの。偉い偉い」

忍術学園は、どの国にも属さぬ中立の存在を貫いている。そうした特性上、日常的に各国の情勢に目を光らせているそうな。

「オーマガトキの城主は、ああいう男だからのぉ。天女様を上手く扱えぬのは当然として、世間の常識が分からぬ愚か者じゃから……。利吉くんも、どこぞの国に雇われて天女様を監視しておったようじゃが、似たような間者は他にもわんさかいたじゃろうな」

一人で納得したように茶を啜る学園長だが、名前は首を捻った。
ぜんぜん話が見えん。

「じゃあ、山田利吉はタソガレドキに出し抜かれたんです?」
「いや、利吉くんの任務内容は、基本的に内部情報をリークすることだけじゃろうな。他の国と競うとかではなくて。……まぁ、忍者に忍務の内容を聞くのはマナー違反なんじゃが」
「んんん???つまりどういうこと???」

つまりこういうことらしい……。
本音を言えば、どの国も喉から手がでるほど“天女”が欲しい。
しかし、天女を囲うということは、同時に不特定多数の敵に国を狙われることと同義。いくら戦国の世とはいえ、無用な争いは避けたいのが人の心理である。
だから、下手に天女を奪い合うより、毒にも薬にもならぬ、そこそこおバカで、そこそこ能天気な国に天女を留め置き、皆で監視していた方が結果的に平和……という世論が一般的なのだ。

けれども、天女の利権が他の強国に移れば、話は変わる。
賢い国が天女の力を正しく扱えば、世界の情勢は一夜にしてひっくり返るだろうから。
そうなった時素早く対処出来るよう、オーマガトキには数多の間者が身を潜めており、山田利吉もその一人だったというわけだ。

「じゃあ、今回タソガレドキがその不文律というか、暗黙の了解みたいなのを破ったせいで、世は大天女争奪戦時代に突入したってことです?」
「それを阻止したのが利吉くんじゃな。世間的に、今“天女”はいないことになっておる」
「おお!なるほどなるほど!」

名前は、ポンッ!と手を打った。
そう言えばそうだった。名前は表向き、山田利吉にあんなことやこんなことをされ、天女の資格を剥奪されたことになっていた。

「ん〜でも、それなら山田利吉は天女を忍術学園じゃなくて、自分を雇った城に連れて行けば良かったんじゃないですか?」

名前がそう言うと、何故か学園長はーーそれから、周りに控える男性達も、揃って含み笑いのようなものをこぼした。

「それはまぁ、利吉くんのなけなしのプライドのために、ワシは何も言わないことにしようかのぉ」
「………………は???」

謎が解けた先から、また新たな謎が生まれた瞬間であった。

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