02
「侍女Aと五条弾が同一人物??天女、ずっと不審者と一緒だった??マジで?嘘でしょ?吐きそう……」
「あはは、そこは“ご冗談を〜”とかいうところですよ。五条弾だけに」
「この期に及んでそんな愉快な発言かましてる余裕ないわい!」

己の節穴っぷりに戦慄する名前はしかし、ふと気になるフレーズを思い出して、警戒の手は緩めず相手に向き直った。

「そ、そう言えば……山田利吉が天女を逃すつもりって、どういうことです?」

ド直球に尋ねれば、くだんの山田利吉は苦々しい表情を浮かべ、反対に五条弾は、面白い物を見つけたようにニンマリとした。

「それはほら、この後の展開を見てのお楽しみです」
「お楽しみ……?」

名前が訝しげに呟いた瞬間、“それ”は起きた。
ーードッカーン!!
鼓膜が軽く弾け飛ぶような轟音と共に、目と鼻の先の壁が一瞬にして瓦礫と化したのだ。

「な、な、な、何事ーー!?!?」

割と頑丈な作りに見えた石壁は、しかし元の姿など見る影もなく、今や大小様々な砂利にメタモルフォーゼ。
もうもうと立ち込める砂煙に混じって、香ばしさにも似た火薬の匂いが漂ってくる。
至近距離で炸裂した大音量のせいで、耳鳴りが酷い。
途端に平衡感覚が危うくなり、名前は頭を抑えながらよろけた。

「こ、こんなダサい死に方は嫌です……」
「簡単には死なせないから安心しなさい」
「えっ」

ふらりと倒れそうになる名前の体を、誰かが受け止めた。
おかしい……ここは牢屋の中。憎き木の棒に隔てられ、名前を支えられる人物などいるはずがない。一体どういうことなの!?と、振り返った先には山田利吉。安定の展開すぎて今更驚かぬが、じゃあ檻はどこに行ってしまったの?という話である。

「壊しました」
「壊しました!?」

さらりと告げられる衝撃の事実。そして確かに、目の前の格子戸は木っ端微塵に粉砕され、名前一人どころか、軽く五人は通り抜け可能な大きさの穴が空いていた。お前さん牢屋に親でも殺されたのか?という徹底的な念の入れようだが、本当にどうした。

「こ、こんなことをしたらただじゃ済まされないよ……!更に天女の罪を増やしてどうしたいんですか!?」

本能的に相手の胸ぐらに飛びかかろうとしてしまうが、名前の見え透いた攻撃は、いとも容易く回避された。

「どうもしません。ただの手助けです」
「て、手助け!?山田利吉が手助け!?それって何かの暗号ではなく!?明日は槍でも降るんですか!?」
「……」
「信用されてないなぁ」

名前の馬鹿正直なリアクションを受け、気難しい顔で押し黙る山田利吉とは対照的に、五条弾は手を叩いて喜んでいた。意味不明である。
……しかし、そんなゆるい空気も長続きはしない。
ひとしきり山田利吉をからかって満足したのか、五条弾は不意に纏う空気を切り替え、冷ややかに目を細めたのだ。

「細かいことを説明する義理は私にはありませんが、一つ確かなことは……私とこの男の目的は相反する、ということです」

言うや否や、五条弾の手元に白刃が閃いた。
得物を抜いたのだ!と名前が感知した頃には、返す刀で二撃目が繰り出されている。
名前の動体視力では、白っぽい光が描く軌跡しか視認できなかったが、山田利吉は冷静に軌道を見極め、軽く身を引いて避ける。
ーー僅かに刃先が届いたのか、黒一色の衣に細い亀裂が走った。

「ひっ!?」
「天女様こちらです!」

眼前で繰り広げられる一進一退の攻防。
見るに見かねて名前が息を呑んだ途端……壁にぶち開けられた穴の外から、予想外すぎる人物が顔を出した。

「今のうちにこちらへ!逃げる手筈は整っています!」
「ふ、福富屋……?」

鳩が豆鉄砲をくらう、とはこう言う気分なのだろう。
意表を突かれ、さぞかしおかしな表情をしているだろう名前を見て、彼はーー福富屋の気の良い主人は、平和そうな顔で笑った。

***

福富屋は、精悍な面持ちの青年と共に、大きな馬に相乗りしていた。そしてその横に、もう一頭立派な馬が控えていて、馬上には小柄な少年が跨っている。この世界に来て、自分より年下(と思しき)人間と接するのは初めてだ。思わず身を固くする名前と裏腹に、少年は名前を見ると人懐こい笑みを浮かべた。

「天女様ですね?俺……僕は加藤団蔵です。安全な所までお連れするので、急いで後ろに乗ってください」
「え、なに、誰、なんで……」
「詳しいことは後!今は逃げることだけを考えないと、」

名前が狼狽えている隙に、遠くでもう一爆発起きた。
すると、途端に名も知らぬ若者が顔色を変える。

「若旦那!もう時間がありません。行きます!」
「わかった!……先輩、天女様を乗せるの手伝ってください!」
「先輩って誰の、ふぎゃっ!?」

いきなり体が宙に浮き、名前はみっともなく悲鳴をあげた。
反射的にもがいたが、間髪入れずどこぞのツボを突かれた瞬間、全身がふにゃりと弛緩してしまう。敵は相当な手練れと見た。
ならば、せめて冥途の土産に犯人の顔だけでも拝んでやろう!と、最後の力を振り絞って振り向いたがーーそこに鎮座まします人物を見た途端、名前は更なる脱力を味わうことになったのだ。

「ふ、福富屋……なんで……てか、この流れさっきやった」

名前を軽々持ち上げていたのは、この中で一番可能性が低そうだった福富屋。
そして何故か、加藤少年の頭には特大のタンコブが出来ていた。

「君もその頭どうしたんです!?この一瞬でこんなタンコブ出来るとかありえる!?」
「あはは〜、ちょっと口を滑らせちゃって」
「足じゃなくて!?足を滑らせてコケたとかじゃなくて!?」
「あ〜……じゃあ、そういうことにしておきます」
「堂々と嘘つかないでください!」

とかなんとか、名前が生意気な口を利いていられるのもここまでだった。名前の体が鞍に収まったのを確認すると、少年は素早く手綱を取り、「ハイヤー!」みたいな掛け声を上げたのだ。

「え、急にな……うわああああぁあぁ!?」
「口閉じて!舌噛みますよ!」
「注意すんのおっっっそ!!」

予告もなしに走り出した馬は、スタミナ配分なにそれ美味しいの?と言わんばかりのフルスロットルで、序盤から飛ばしに飛ばしている。
無意識のうちに、背後へ飛び去る景色を追いかけてしまい、ものの数秒で目を回した。危うく落馬するところを少年に助けられ、呆れ半分に目を閉じるよう指示される。これまた言うのが遅い。

「あああああ、やだ!怖い!怖いんだってば!助けて!」
「だから今助けてる所なんですって。あと、舌噛むからあんまり喋らないでください」
「痛い!!舌!血が出た!まずい!」
「言わんこっちゃない……」

乗馬とは、もっと優雅なものだと思っていたが、実際はとんでもない。その辺の地震が可愛く思えるほどの縦揺れに加え、思いがけず高い視点や、掴まる所のない不安定さが恐怖心を刺激する。

加藤少年は「とりあえず馬の首にでもしがみついててください」などと非常識な事をぬかしていたが、いざ触れた馬首は、生き物ならではの生々しさを感じさせ、どうにも安定感に欠けるのだ。
体温がある。脈拍を感じる。そんなザ・生物!に、どうして全力でしがみつけようか。名前が求める“掴める物”とは、無機物なのだ。もう泣きそうだし、それ以上に酔って吐きそうだった。

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