生きるか死ぬか**するか
進行方向には謎の黒尽くめ。後ろを振り向けば知人の黒尽くめ。
前門の虎、後門の狼。進退これきわまる〜!黒と黒に挟まれたからには、伝統のオセロルールに則り、名前も黒に染まるべきか。

「……思っていたより早い接触だったな」

束の間の沈黙を破ったのは、後門の狼こと山田利吉であった。
奴はグイッと覆面を外し、名前を庇うかのごとく前に出る。

「タソガレドキの忍か。コソコソ嗅ぎ回っているだけかと思えば、まさかこうも簡単に馬脚を現すとは」
「おや。どうも勘違いしているようだけど、私に泳がされていたのは君の方だからね?立場は弁えるべきだ」
「……それはこちらの台詞、と言っておこうか」

名前を挟んで睨み合っていたはずの二人は、いつの間にやら名前そっちのけで急接近。片や掴み所のない笑顔、片や能面のような真顔という阿鼻叫喚の絵面で、バチバチと火花を散らしていた。

「よ、よく分からんがヤバイことだけは分かるぞ……」

名前はこっそり後退しながら、滝のような冷や汗を流した。
山田利吉の台詞からして、どうやらお相手はタソガレドキの忍者らしい。もちろん驚いたが、さりとて「どうして敵国の忍がここに!?」と叫ぶほど、今更おぼこいリアクションも取れぬ。
ああいった手合いの大国は、往々にしてあちこちの国に密偵を放っているもんなのだ。
とりわけ、オーマガトキには天女がいる。いずれ、自らの懐に招き入れるつもりの存在だ。情報は多ければ多いほど良かろう。

「なんで急に天女に近付いたの、」

問題は、奴がいきなり名前に接触してきたことにある。
スパイならスパイらしく、全てが終わるその日まで大人しく潜んでいれば良いものを、わざわざ観察対象の前に現れて見せたのだ。あまつさえ真の姿を晒し、正体を知る者に見抜かれる始末。
これが“うっかり”ならともかく、どう考えても計算づくの行動にしか見えぬのが怖い所。思惑が読めん。一体何が始まるんです?

「天女様、“待て”」
「わん!」

……あれこれ考えあぐねていたのが裏目に出た。
じりじりと距離を稼ぎ、それなりに安全地帯まで遠ざかった所で、山田利吉に目ざとく呼び止められたのである。
まるで、飼い犬を相手取るかのような物言いに、しかし反射的に鳴き声を返してしまう己の情けなさを恥じた。この口が憎い。

「え、えぇ〜……天女様ってそういう……」

山田利吉の影からひょこりと首を伸ばし、こちらの様子を伺っていた男も、飄々とした笑みに一掴みのドン引き成分を混ぜる。
彼はそのまま「ないわ〜」と言わんばかりに山田利吉と名前の顔を見比べたがーー四つん這いで項垂れ、全身全霊で“絶望”を表明する名前はともかく、相変わらず表情筋が死滅している山田利吉からは、これっぽっちの感情も読み取れないようだった。

「ちっ、違……!今のは違うんです!間違えたんです、本当に!普段はこんな感じじゃないから!断じて!」

好奇の視線に晒され、名前は屈辱のあまりさめざめと泣き真似をした。とんだ変態疑惑をかけられてしまったものだ。
……とはいえ、立ち止まったからには腹を括るしかあるまい。
実際、黒服コンビは既に二人っきりの世界を脱し、再び名前を挟む形で対峙しているのだ。名前を巻き込む気満々じゃないか。

「ぐぬぬ……」
「ふはっ!面白いですね、それ唸ってるんですか?威嚇?威嚇なんです?もう、天女様ってば可愛いですねぇ」

いつになく警戒する名前を嘲笑うかのごとく、当の男には緊張感の欠片もない。むしろ伸び伸びと、名前の眼前で猫じゃらしを振りやがる。……なんだこいつ、人を動物だと思っているのか!?無礼者にはいざ天誅!と、思い切り猫じゃらしを叩きのめせば、なおさら図に乗せてしまった。玩具を操る手が一段と速くなる。

「あはは!本当に犬猫のようですよ。ほらほら〜」
「無礼!バカ!謝れバカ!」
「動きが鈍いですねぇ。ハエが止まりそうな速度ですよ」
「ハエ!よりによって、ハエ!天女がハエに集られると!?」
「発想が斜め上で良いですねぇ、本当に。ほら、頑張って」

「…………」

パシッ。不意に、乾いた軽い音と共に、男の手から猫じゃらしがはたき落とされた。やったのは名前ではないーー山田利吉だ。

「……おっと。子飼いの猫が取られて嫉妬でもしたか?怖い顔だ」

邪魔されたにも関わらず、男は怒るどころか楽しそうに笑う。
一方の山田利吉は依然として表情を動かさず、ただ黙って名前の腕を手繰り寄せ、自らの背後へと誘導したのだった。

「お体が冷えます。そろそろ戻りますよ、天女様。……こら、目を離した隙に威嚇をするな」

興奮冷めやらず、謎の男相手に「フシャーッ!」とやっていた名前は、しかし山田利吉の予期せぬ発言に我が耳を疑った。

「えっまさかこのまま戻るの!?本当にいいんですか?あの変な奴のさばらせておいて!城の治安が悪くなるぞ!」
「天女様が心配なさることではありません。とにかく、今は早く中に戻りますよ」
「答えになっていませんよ!……あ、ちょっと、引っ張るな!」

いかに抗議したところで、片腕を囚われた名前は無力そのもの。
なすすべない現状に、思わずやさぐれた態度を取ってしまう。
……ところが、“奴”は名前の膨れっ面をどう勘違いしたのやら。指名手配中の不審者の分際で、聞き分けのない幼児に言い聞かせるかのように、こんな捨て台詞を吐いてのけたのだった。

「おーい、天女様〜!私ならまた会えるから、心配しなくても大丈夫ですよ〜!あと、私の名前は五条弾って言います。冗談みたいな名前ですけど、本名なので覚えてくださいね〜」
「不審者……名前あったのか……」
「そりゃありますよ。失礼ですねぇ。それではお元気で」

ヒラヒラと手を振る真っ黒な人影は、やがて背後の暗闇に溶け、どんなに目を凝らしても夜と見分けがつかなくなった。

***

部屋に辿り着くまでの道中、山田利吉は全くの無言であった。
何度か腕の拘束を解こうと試みたものの、名前渾身の抵抗は、いずれも赤子の手を捻るかのごとく簡単にあしらわれる。
さもあらん。名前は最後まで一矢報いること能わぬまま、血も涙もない護衛の手により、元いた場所までドナドナされたのだ。

「うぎゃっ!」

戸を開けた瞬間、山田利吉は実に呆気なく腕をほどいた。
反動で振り飛ばされた名前の体は、ゴミ捨て場に投棄される粗大ゴミかのように、なんの手心もなく地面に叩き付けられる。
落ちた先が布団の上だったので、辛うじて怪我は免れたものの、そこで笑って許せるほど名前は人間が出来ていない。じんわりと痛む額をさすりながら、犯人に殺気だった視線を向けた。

「オイコラ山田利吉!これは一体どういうつもりですか!護衛ともあろう者が、天女の扱いがなってないんじゃないですか!?天女は謝罪を要求します!今すぐめちゃくちゃ反省して!」

度重なる不敬の連鎖。名前は屈辱にわなないた。
しかし、山田利吉は泰然とした佇まいを崩さず、湖面がごとく凪いだ目で名前を見下ろすばかり。当然、返事などある筈もなく。
ーーじりじりと焼け付くような沈黙が、暫し二人の間を漂う。
直前の怒声が大きかっただけに、静寂が一段と染み渡るようだ。

「…………」
「…………」
「…………うぐっ」

始めこそ、負けじと睨めっこに応じていた名前だったが、時間経過と共に、何やら筆舌に尽くし難い気まずさを覚えてきた。
全身黒尽くめとはいえ、きちんとした装いで直立する奴を見ているうちに、己のしどけない体制が小っ恥ずかしくなったのだ。

「な、なんで黙るのだ……。ちょっと、バカとかアホとかなんでもいいから、とりあえず何か言いやがれ……」

威嚇の声すら、先走る羞恥心のため尻すぼみに。
今さら立ち上がるのも憚られたので、名前はひとまず乱れた寝巻きの裾を直し、正座するなどしてみた。それから意味もなく髪を整えたり、髪を整えたり、髪を整えたりした。服装が素っ気なさすぎて、髪以外に整える所がないことに愕然とした。
……とはいえ、水を打ったような静謐さの中では、そんな些細な物音さえも理不尽な程響き、いちいち心臓に悪い。何故こんなにも緊張せねばならぬのか。名前の一挙手一投足に注視する、山田利吉の妙な視線が気になるせいだろうか。大至急謝って欲しい。

「だ、だから!ほんとどういうつも……」
「“どういうつもり”?それは、私の方こそ尋ねるべき問いですね」
「!?」

名前の言葉を遮り、ようやく……本当にようやく、山田利吉が口を開いた。
やっと喋ってくれた〜!と、うっかり喜びの笑顔を浮かべてしまったが、奴の表情を見た瞬間、名前の笑顔はピシッと凍りつく。

ーー山田利吉は、超マジぶっとび激烈ありえんレベルで尋常じゃないくらい真剣に“激怒”していたのでした。死んだかと思った。


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