03
ところがどっこい。残念ながら、話はこれで終わりじゃなかった。
会議がひと段落したかに思われた瞬間、押都長烈は部屋の戸へ、雑渡昆奈門は天井目掛けて、目にも止まらぬ速さで手裏剣を打ったのだ。

「なにっ!曲者!?」

名前は思わず飛び上がると、雪丸を抱いて机の下に潜った。
小学校の頃からやり込んで来た、避難訓練の教えが実を結んだのだ。

「二人いるね。取って食ったりはしないから出ておいで」

雑渡昆奈門は、怖気付く名前達を一瞥してから、思いがけず静かな口調で呼びかけた。
ーー侵入者相手にかける言葉にしては、いささか優しい。
力づくで引きずり出すことも可能だろうに、相手の出方を伺っている。
とは言えタソガレドキのすることだから、その物腰こそがコソ泥を誘き寄せる罠で、油断して出て来た所をグサッとやる、という人でなし戦法も否定できないわけだが。むしろ、こっちの方が有力説まである。

果たして、沈黙が流れること数秒。
先に動きがあったのは、廊下に面した戸の方だった。
今まで、気配はおろか人影一つ見当たらなかったのに、はらりとめくれた隠れ布の下から、あまりにも予想外の人物が登場したのだ。

「な、七松氏!?」

名前はあんぐりと口を開き、妙に堂々と登場したその人ーー忍術学園六年ろ組、七松小平太氏を仰ぎ見た。
彼は、こんな状況にも関わらず楽天的な様子で「これを見破るとはさすがタソガレドキだなぁ!」などと言いながら哄笑している。
無造作に広げられた手には、押都長烈の投げた手裏剣が握られていた。

「ど、どうして七松氏がここにいるの?」

名前も机の下から這い出し、会話に口を挟む。
しかし、もう少し長く続けようとした言葉は、押都長烈の「天女様」という、短いながらも威圧的な一声で掻き消された。

「恐れ入りますが、今はお控えください」
「え?何で……うわっ!?」

今度は、せっかく地上に出た頭を、乱暴に押し戻される。
この異様に巨大な手の平は、紛れもなく雑渡昆奈門のものだ。
どうやら二人で結託し、名前を会話に入らせまいとしているらしい。
抵抗虚しく、こちらの顔をすっぽり覆うほど大きな手に追い立てられ、名前は机の下に逆戻りした。……羽化に失敗した蝉の気持ちを味わう。

「上にもいるな。早く降りておいで」

名前の心情など露知らず、雑渡昆奈門の視線は いつの間にか天井に向かっている。
またしても無言で待つことしばしーー今度は、頭上の羽目板が一人でに外れたかと思うと、そこから逆さまの善法寺氏が頭を出したのだった。

「あ、あはは……お邪魔してま〜す」

長いこと天井裏に潜んでいたせいで、彼の顔は真っ黒に煤けている。
ここからだと見えないが、恐らく全身がそんな具合なのだろう。
汚い姿で降り立つことに躊躇しているらしく、宙吊りのまま身動きが取れずにいる。
結局、最後は諦めて畳を汚していたが、そんな常識を持ち合わせているのなら、そもそも人んちの屋根裏に勝手に上がり込むなと言いたい。
忍者にありがちな傾向だが、気の遣い所を盛大に間違えていると思う。

「随分とお行儀の良い登場だね。さすがは忍術学園の生徒さんだ。私でなければ見落としちゃう所だったよ」

どうやらこの二人で、曲者は全員出揃ったことになるらしい。
執拗に名前の頭を押さえ付けながら、さりとてそんな素振りはおくびにも出さず、雑渡昆奈門はさらりと嫌味を吐いた。

「伊作くん、君は相変わらず危機感がないようだから忠告しておくけど、ここにいるのが私達じゃなかったら、下手したら死んでたからね」
「うっ、おっしゃる通りです……」
「常々思うけど、伊作くんは本当に忍者に向いてないよね」

槍玉に挙げられた善法寺氏は、しょぼくれた様子で頭を下げた。

「失礼なご挨拶になってしまいすみませんでした、ちょっと粉もんさん……。一応、ここに潜入するところから実習が始まってて……」
「雑渡昆奈門だけどね」
「でも、ちゃんと学園長経由で黄昏甚兵衛様にはお話が通っているので、僕達が今日からお伺いすることは、お殿様もご存知のはずです!」
「そこじゃないんだけど……まぁいいか」

絶妙にズレた会話を繰り広げる二人は、一見して知らぬ仲ではないようだ。“伊作くん”と下の名前で呼ぶ程だし、よっぽど親交は深いのかも。
雑渡昆奈門のお説教も、彼を心配する気持ちから生み出された言葉のように感じられる。その背景には、うっかり怪我をさせなくて良かった、という安堵の本音が隠れているのかもしれない。

「……で、そこにいる天女様は何で顔を隠しているんだ?」

名前が狭小空間で一人頷いていると、ついに核心に触れる者が現れた。声からして七松氏である。名前も机の下から「それな」と返した。
ーーが、それがいけなかった。
直後、名前の口に突っ込まれる謎の布。どうやら口封じが目的らしく、以降の声は思惑通り「モゴモゴモゴ……」という、不明瞭なオノマトペの底に沈んでいったのであった……。もっと他に手はなかったのか。

「七松くん、だったかな。君達の実習課題については、我々から天女様にお伝えする。申し訳ないが、今後は直接天女様に接触することは控えてもらいたい。……彼女はもう、我らが殿の奥方様となられた方だ。必要な場以外で、人前に顔や声を晒すことは許されない」

名前を懲らしめるので忙しい雑渡昆奈門に代わり、押都長烈が説明を買って出た。
彼曰く、城主の元に嫁いだ名前は文字通りの“お姫様”になってしまったので、それ相応に勿体ぶった扱いをさせてもらう、という魂胆らしい。
……これは名前にとって、とても意外な情報だった。
てっきり、大々的に“天女”を売り出すつもりのタソガレドキならば、惜しみなく名前を晒し者にすると思っていたし、何なら天女レンタル業とか始めてもおかしくないとすら考えていたのだ。月額500円くらいで。

でも、実際はもう少し堅実だった。
名前は、天女であると同時に城主の妻でもある。
この世界における高貴な女性は、あまり人目に己の姿を晒さない。
いずれは天女として祭り上げるつもりでも、現時点で“正式な“天女の肩書きが山ぶ鬼嬢にある以上、今の名前は“城主の妻“要素の方が強い。
天女としての格が保証されるまで、妻にあるまじき奔放な振る舞いは控え、姫君に相応しい貞淑さを見せつけよ、という思惑なのだろう……。

「ふーん。今さら姫君扱いとは笑い草だな。散々天女様を雑に扱っておいて、さすがはタソガレドキ。その変わり身の速さで、一体いくつの国を裏切ったんだ?」
「こ、小平太!!」
「モゴモゴッ(七松氏)!?」

そんなこんな考えを巡らせる隙に、唯我独尊・七松氏が爆弾発言をかましてくれたので、名前の思考回路はあっという間に焼き切れた。
え、本気?普通この場でその話する!?剛の者すぎない!?
思わず悲鳴をあげたことで、名前の口には追加の布が詰め込まれたが、今はそんなの構っている場合ではなかった。
七松氏!後生だから喧嘩の相手は選んでほしい!捨てたプライドは後で拾いに戻れるけど、落とした命はそれっきりなんだぞ!?
ーーしかし、意外や意外。恐々とする名前とは裏腹に、怖いもの知らずの七松氏に対して、雑渡昆奈門は鷹揚に笑うだけだった。

「我が殿は、時勢を読むのが大変に得手でいらっしゃる。先見した采配を、その場限りの気まぐれと受け取られるのは心外かな」
「……詭弁だな。我が身可愛さから身内を切り売りすることを采配と呼ぶのなら、私はそんな城に仕えたいとは思わない」
「若いって良いねぇ。私にも昔は、そんな真っ直ぐな時代があったようななかったような」

今にも七松氏の首が飛ぶのではないかと怯えていたが、思いがけず雑渡昆奈門が真剣に取り合わなかったので、このやり取りは不問となった。
視界の隅で、蒼白な善法寺氏がヘナヘナと座り込む様が確認できたが。

***

あまり良い空気ではなかったものの、一旦部屋から忍たまの二人を追い出し、室内は元のメンバーのみに戻った。
名前もようやく机の下から出ることを許され、久々に吸ったシャバの空気に歓喜する。……ついでに、口に突っ込まれていた布を吐き出したところ、二枚とも押都長烈の面布だった。汚れた時用の予備らしい。

「手荒な真似しちゃってごめんね。説明してる時間がなくて」

貞子よろしく四つん這いで這い出した名前を見下ろし、雑渡昆奈門は心のこもっていない謝罪を口にした。
本当に、これのどこが姫君扱いなのかと小一時間問い質したいところだが、色々と疲れ切っていたこともあり、一旦怒りのフェーズはスキップすることにした。重ね重ねの主張になるが、名前は本当に多忙なのだ。

「もうそれはいいです。……それより、七松氏と善法寺氏が何しに来たのか謎のままなんですが。何となく、実習の一環で来たようなこと言ってましたけど」

雑渡昆奈門は「それなんだけどね」と、顔色ひとつ変えず答えた。

「ドクタケ城との戦の件で、忍術学園の協力を仰ぐっていう話はさっきしたと思うけど、そのパイプ役として来ていたみたいだね。実習の課題にされていたのは知らなかったけど……まぁ別に、うちとしては真面目にやってくれれば問題ないから」
「なんかフワッとしてますね……」
「この件に関しては、天女様はギリギリまで出る幕ないからね。詳細を聞いたところで混乱するだけだと思うよ」

さっくり会話を斬られ、名前は眉を寄せた。
結局、また肝心なところで蚊帳の外なんですけど。

「分かりました。じゃあお言葉通り、天女は天女で好き勝手に動くので。誰か暇してる忍者貸してくださいね」
「生憎、暇してる忍者はいないんだけどね。押都の所のだったらある程度自由が効くかな。あとは尊奈門とか持ち回りで」

あーそれと、と覇気のない声で付け足す。

「今後、忍術学園の子達が城に出入りすると思うけど、天女様には今の立場をわきまえた上で、節度ある態度を取ってもらうよ。……要は、顔見知りがいても気軽に話すな、近付くな、顔を出すなってことだから」
「……分かっています」

容易く承服できる内容ではないが、名前には受け入れる以外の道が残されていない。
ーー今までとは、何もかも環境が変わってしまったのだ。
かつてオーマガトキに私蔵されていた名前が、巡り巡って敵国にも等しいタソガレドキに流れ着いた。
発端として、オーマガトキに愛想を尽かす原因となったのがタソガレドキだったのだ。それを因果と見るべきか、まんまとしてやられたと呆れるべきか……たぶん正解は後者だろう。
名前の身柄を忍術学園に置くよう仕向けたのもタソガレドキだったし、思えばずっと、名前はこの強国の手の平の上で転がされている。
一矢報いたいのは山々だが、既に名前とタソガレドキは一蓮托生モードに入っているので、下手な動きは御法度。全くもって名前は無力!

「さっきも本当は、もう少し話したかったな……」

ろくに言葉も交わせず別れてしまった七松氏と善法寺氏を思い、名前は深く息を吐き出した。
こういう未練がましい気持ちを味わいたくなかったから、今まで頑なに友達を作ってこなかったのに。忍術学園で過ごすうち、名前は自分で思うよりずっと、自身が人恋しく感じていることを知ってしまったのだ。

「やっぱり、ダーリンのこと一発殴っておけば良かったです」
「え、また夫婦喧嘩するの?」

あながち冗談でもなかったので、名前は雑渡昆奈門の声を黙殺した。

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