黒ねこのおきゃくさま(5)




 イザヤは頭をすっぽりとフードで覆い隠し、上手いこと猫の耳を隠していた。尻尾は窮屈らしく、少し裾の長いコートの中に、上に持ち上げた状態をキープしているらしい。

「散歩も良いもんだね」

 少々風が強く砂が舞うが、イザヤは機嫌が良さそうで、口元に和やかな笑みを浮かべている。

「ここらは来たことあるのか?」
「うーん、俺のねじろは新宿だったからね。池袋は……まあ、仕事の関係で」
「そうか……」

 なんとなく曖昧な物言いが、それ以上尋ねてくれるなと言っているように思えた。
 池袋の路地裏で倒れていたこいつは、やっぱり仕事中に危ない目にあったんじゃねぇかと心配になる。
 それでも、口に出すことはしない。楽しそうなイザヤにそんな質問をして、空気をぶち壊したくなかった。 

 イザヤは前を向いて、足取り軽く歩いていく。猫だからなのか、歩みが早い。並べば俺の方が少し背は高いのに、すらりと伸びた脚は奴を思ったより長身に見せていた。
 次の話題を振ろうと口を開きかけたとき、横から甲高い声が割って入ってきた。

「あれあれあれ、静雄さんじゃないっすか!」
「眼福だわ、眼福」

 振り向くと、見慣れた面子が揃っている。遊馬崎に狩沢、後ろから呆れ顔でそれを制す門田だ。道の端に寄せられたバンには、渡草がもたれ掛かって一服していた。

「おまえら、挨拶くらいちゃんとしろ。と、悪いな、静雄。久しぶりじゃねぇか」
「そんなに暫くになるか? この前……」

 そう話している内に、温度差はあれど、三人の視線がイザヤへ向かっていることに気がついた。
 イザヤは不思議そうに俺を見上げていた。服の裾を摘まんでいる。

「あー、こいつは……なんつうか、その、なんだ」
「同居人のイザヤ」

 どもる俺に、さらっとイザヤが口を挟んでくる。かねがね頭の回転が速い、利口な猫だとは思っていた。

「そう、そうなんだ。最近訳ありで」
「同居人!」

 声を大きくした狩沢が何を考えているのかは分からないが、とりあえずイザヤの紹介は上手く済んだ。実は同居猫だなんて言えるわけがない。
 少し背中に隠れるようにしているイザヤを振り返って見下ろすと、唇が不機嫌そうに尖っていた。さっきまで上機嫌だったのに、猫ってやつはやはり気まぐれだ。――と言うより、知り合いで盛り上がって、イザヤが話に入れないのが面白くないのだとしたら、当然だ。俺は早々に切り上げることにした。

「じゃあ、俺たちは行くから――」

 その時、急に勢いを増した風が、俺たちの正面から吹き付けてきた。門田と狩沢が驚いたように帽子を押さえ、俺は眼に飛び込んできた砂に思わず顔を顰め、砂を流そうと溢れる涙を拭いながら――、隣のイザヤのフードが、はらりと背中へ落ちていくのを見た。

「――――あ……」

 ひこひこ、と二つの耳が動く。確実に生き物の質感をもったそれを、門田たちは唖然とした表情で見つめていた。
 イザヤが、慌ててフードを被り直そうとする。すると、狩沢の手が、イザヤの肩をがっしりと掴んだ。

「kwsk」

 真顔で迫る狩沢に気圧されたように、イザヤが俺の腰に手を回して後ずさる。耳が後ろに寝てしまっている。

「えっ、カチューシャ……じゃない…? 動いてる! ……やだ! 本物!? ゆまっち! 猫耳! 猫耳美少年だよ!」
「いや、ちょ、やめてやってく――」
「いやぁ、良く出来た小道具も増えてるっすから、ファッションじゃないんすか?」
「ちょ、ちょっと触らせてもらっていい……? これは! これは生えてるよ! 現実に猫耳少年キタコレ!」
「お、おまえら!」

 止める俺と門田を振り払う勢いで、二人はイザヤを取り囲んで、その猫耳を確かめるように、わしわしと頭を掻き乱している。すっかり萎縮してしまったイザヤは、ただどうしたらいいのかわからないという表情で、混乱に焦点の定まらない眼に涙を溜めていたが、一度「しゃー!」と鳴くと、俺の胴へ手を回し、爪を立ててしがみつき、顔を埋めて隠れてしまった。フードに隠れていた尻尾が、大きく膨れ上がっている。

「おまえら、謝れ。初対面の人にやりすぎだ」

 そりゃあ物珍しいとは思うが、門田は驚いた様子も見せずに、二人の首根っこを掴んだ。

「……興奮しちゃって、ごめんね、イザイザ」
「申し訳ないっす……」

 イザイザとは、イザヤのあだ名なのだろうか。かく言う俺も、イザヤと同様にシズちゃんと呼ばれたり、シズシズと呼ばれたり、こいつらのテンションには今一ついていけないところがある。決して悪いやつじゃないんだが、イザヤの頭を撫でて、「許してやってくれ」と言うと、イザヤは俺の背中でもそりと頷いた。

「かわいいこだね」

 狩沢が俺に向かって大人しく微笑むと、力の篭っていたイザヤの指が、少しだけ力を抜いた気がした。


 しがみついて離れないイザヤのフードを掛けなおしてやって、手を握ってやる。まったく、同じ成人男性の体格のくせに、子供っぽいところが可愛いやつだ。もともと赤みの差した眼を、僅かに充血させながら、イザヤは大人しく俺の後ろをついてきた。

「悪かったな」
「……別に。なんでシズちゃんが謝るのかわからない」
「結構古い付き合いのあるやつらなんだ。特に、あの落ち着いてたやつな、門田とは高校も一緒だった。あいつら、俺はよくわかんねぇけど、アニメとかとかが好きで……、ああいうテンションが爆発したときは上手く抑えられねぇし、何言ってるかわかんねぇときもあるけど、素直なだけで悪いやつらじゃねぇから……」
「……そんな話、どうでもいいよ!」

 声を荒げたイザヤを振り返ると、顔を真っ赤にして、俺を睨みつけていた。
 明らかに機嫌を損ねているイザヤを前に、俺が動揺していると、握っていた手が強く握り返される。

「俺は別に怒ってないし。ちょっとびっくりしただけだから。あの人たちが悪い人じゃないってくらいわかるよ。シズちゃんは嘘つくの下手だし、それくらいわかるよ。だからもういいじゃん、せっかくシズちゃんと出かけてるのに」
「せっかく……?」

 俺がイザヤの言葉を反芻するように繰り返すと、イザヤの白い頬がわかりやすく真っ赤になる。視線は逸らすのに、手は離さない。

「……なんだよ、揚げ足取らないでくれる」
「いや、別に、そんなつもりはなかった」

 ふん、と拗ねた様子のイザヤだったが、移動販売をしているらしいソフトクリームを買ってやると、すぐに機嫌を直したらしく、ちろちろと舌で掬いながら、身体を左右に揺らして愉しそうだった。ちなみに、俺の手はまだ離さない。






 ちょっと散歩に出るつもりだったのに、ショーウィンドウを見ながら、「あの時計、かっこいいんだよな」とか、「シズちゃんにはこっちの服が似合いそうだね」とか、「ここのケーキ屋は美味しい」とか、二人で手をつないだままブラブラしていたら、あっという間に時間が経ってしまい、昼も外で食べた。まるでこれじゃデートみたいだろうと、女とこんな充実した時間を過ごしたことがないってのに、つい最近やってきたイザヤと一日を満喫していることが不思議だった。
 特に面白かったこともあった。道端に綺麗な白猫がいたので、思わず犬を呼ぶようにチチチ、と舌を鳴らすと、イザヤの爪が俺の手に食い込んで、無言の怒りを感じた。振り返ると、「なに? 浮気?」とでも言いたげなイザヤのキツい視線があったので、デートみてぇとか思ってた俺は、思わず笑ってしまい、そうするとまたイザヤは拗ねた。

「何考えてんだよ」
「こっちの台詞だよ」
「まあ、大体わかるぜ、『なに、余所見してんの?』って怒ってるわけだろ」
「はぁ!? ……別に……、そう思うなら余所見しないでよ」
「手前は天然っつーか、なんつーか……。ちょっと苛めたくなる」
「なんだよそれ……、これでも警戒心とガードは強いつもりでいたんですけどね」
「いやあ、天然だわ。だからよぉ、その、可愛いっつってんだよ、そういう意味だろ、分かれ」

 そう言って笑ってやると、イザヤは頬を染めたままぷるぷると唇を震わせて、「……ば、ばっかじゃな……!」と消えそうな声を搾り出したが、結局、赤らめた顔を隠すように、俺の肩に押し付けて来たので立ち止まった。

「…………ね」
「あ? なんだ?」
「――楽しかった。また、連れてってくれる?」

 急に不安そうな顔つきになったイザヤが、俺を見上げていた。

 ――ああ、と納得した。
 こいつは、今になって、俺は捨てられるんじゃないか、これは最後の晩餐なんじゃねぇかとか、思っちゃってるわけだな。馬鹿だな。楽しかった一日が終わってしまうので、ちょっと寂しくなっているのは俺も一緒だった。俺は、笑って頭を撫でた。「もちろんだ」と言ってやると、イザヤははにかんだ笑顔を見せてくれた。

「帰ろうか」
「ああ、帰ろう」

  当然のように、俺たちは同じ家路へとつく。それはとても不思議な感覚だったが、心の奥がほっこりして、なんだかあったけぇなって思った。
 ずっと繋いでいた手の温もりは、一緒にベッドに入るまで、ずっと続いていた。





 
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