のある話




「はいシズちゃんこんにちは。わざわざ新宿までご足労ありがとう。それで、君が俺になんの用かな?」
「殴らせろ」

 どうぞと答えたら今にも顔面を砕きそうな拳は、いっそ壮快さすら感じさせる。

「俺との取引において、単刀直入なところは高感度アップだね。でもごめん。今日は定休日」

 言い終えるが先か、シズちゃんの鼻先を掠めるようにドアを閉め、即座にチェーンをかけてロックした。シズちゃんの怪力の前ではチェーンもセキュリティーロックも意味がないとは分かっていたけれど、今は自分の身を守りなさいと大脳が命令している。
 もちろん、瞬時にドアノブは破壊され、ドアはくの字にへこんでもぎ取られてしまったけれど。

 ドアを持ち上げ仁王立ちしている怪物の横をすり抜けて、ひゅうひゅうと吹き込む夜風に身震いした。寒い。寒い寒い。こっちは薄着なんだぞ。と思ったら、シズちゃんも防寒着を纏わずの、いつものバーテン服姿だった。頭がぼんやりとして、思考回路が数本断たれてしまったのではないかと思う。きっと俺のニューロンはズタズタで、金切り声をあげているに違いない。その金切り声が頭痛の原因、そうに違いない。

「寒空の下に人を放り出すたぁ、冷たいじゃねぇか、イザヤ君よぉ。まあ、許してやるからしね」

 メキ、とか、バリ、とか、グシャ、とかいった不快なノイズが耳を劈いたと思ったら、ドアは真っ二つに折れて床に転がっていた。
 俺の頭はその光景を見つめながら考えることを放棄し始め、もういっそ殴られて早急に事を済ませてしまって、あたたかい寝床に潜るのが最善策のような気がしてくる。
 自分の息遣いが、耳元で囁かれているかのようにやたらと大きく聞こえ、顔全体が熱くてたまらない。

「理不尽すぎるよ、シズちゃん。死んで花実がなるものか、ってね。面白い人間がたくさんいるから、まだまだ俺は死ねない、よ……」

 ああ、脳と舌は別の生き物だったのか、と感じるほど、俺の舌は意識の外でよく動いた。ゆっくりと目の前に床が近付き、華麗なるクソッタレな生涯に幕引きがされているという事実はとても承認しがたく、目の前の男をどうやって殺そうかと考えたけれども、それほどの体力は残っておらず。

 反射的に飛び出してきたようなシズちゃんの右手が俺の手首を掴み、上へ引き上げた。
 何かの罠じゃないかって勘繰っているような、訝しげな表情が俺の視界を満たす。

「見逃して、なんて言っても、だめ、だよねぇ」

 俺の意識は白い世界へ螺旋を描いて落下していくようだった。






 薄っすら開いた瞳に飛びこんで来たのは、見慣れた曇りない天井だった。
 それを認識した時点で、俺は死んでいないのだ、と気づく。

 横たわっているのは、自室のベッドだった。いつも目を覚ますと鼻をくすぐる、毛布の柔らかい匂いを、暫く感じたままでいる。思い切ったように背中を起こすと、汗をかいているのに気づくと共に、頭に鈍痛が走った。殴られたのかと手を当ててみたけれど、内側からくる痛みで、外傷はないらしい。

「……シズちゃん?」

 真っ暗な室内に問いかけた後で、なんてばからしいことだとこめかみに指を当てた。
 俺が無事に目覚めるのを確認してから去っていくほど、シズちゃんがお人好しだとは思えない。ただ、自力でベッドに辿り着いたとは思えないので、誰かが運んでくれたに違いない。もしかしたら、シズちゃんが新羅を呼んだのかもしれない。なかなか俺が目を覚まさないので、帰ってしまったのかもしれない。

 ともかく、シズちゃんは病人の俺を見逃してくれたのだろう。本当に、仁義を重んじた、馬鹿な男だ。

「新羅には借りができちゃったなあ……。今度依頼があったら特別価格で提供してやろう。……寝よ」
「誰に借りができたってぇ?」
「――――!?」

 さっさと布団を被った俺に浴びせられる声に、反射的に跳ね起きた。

「シ、シズちゃん。どうして」

 電気がつくと、言い終える前に胸元を掴まれて、立ち去ったと思ってばかりいたシズちゃんの顔に引き寄せられる。凄んだシズちゃんのこめかみには青筋が浮いていた。頭がぐわんぐわんと揺れる。

「どうしてもこうしても、テメェが勝手に倒れるからだろうが! 身体はクソあっついしよぉ! 新羅に電話しても携帯どころか家電にも繋がらねぇ。セルティもいねぇ。ノミ蟲は動かねぇ。玄関先で手持ち無沙汰な俺。借りをつくった相手が誰だかわかるな?」
「……シズちゃん、みたいだね……」

 瞳孔の開いた目を見ながら呟くと、シズちゃんはなぜだか満足そうに俺を突き放した。

 ベッドにぼふんと倒れこみながら、俺は初めて、使った記憶のないコップが、白い水滴を垂らしたまま置かれていることに気つく。その横には、真新しい解熱剤の箱が、開封されて投げ出されていた。まさかとその箱を手に取ると、シズちゃんの手がそれを奪い取っていく。シズちゃんの手は、なぜだか湿っていた。
 

「コンビニで買った。牛乳で飲ませた。寝かせたはいいけど、テメェがくっついて離れねぇから、ついさっきまで動けなかったんだクソノミ蟲」
「? く……っ、つい、て? は? なにそれ」

 予期せぬ言葉に、思わずクハハと声を上げて笑った。しかし、シズちゃんは至って真面目に、忠実に現実をつきつけているだけのようだ。
 そう気づいたのは、シズちゃんの顔が少し赤くて、緩められたネクタイの下に覗く肌は、俺と同じように汗ばんでいるのを見てからだった。顔色が引いていく。

「ごめん、ちょっと……、詳しく、説明宜しく?」
「だぁかぁらぁよぉ、こう、そこにテメェが横になってて……こう、俺の腰に手ェ回してくるから俺もそこに腰掛ける形になって……。よっぽど殴って離れようかと思ったけど、一応病人だって手前、できねぇだろ! 辛そうにウンウン唸って締めつけてくるわ、こっちに寄ってくるわ、寝相悪ィんだよ!」

 シズちゃんがご丁寧に身振り手振りで再現してくれて、俺はようやく、何をしでかしたのかを理解した。シズちゃんに抱きついて、ベッドに拘束してしまったのだ。意識がなかったとはいえ。いや、正確にはあったのだろうが、朦朧として覚えていなかったのだ。機械的に笑うことしかできなくなった。

「え、え……俺、全然覚えてないんですけどハハー笑えるすっげー笑える。さいあく。――どうしよう? ごめん、って言っとく? 俺、よく生きてるね、今」

 シズちゃんが指や首といったありとあらゆる間接をパキポキと鳴らし始めると、俺の口からは、自然と謝罪の言葉が出てきていた。
 殴られるのが怖いなんてことはない、ただ、無意識であってもシズちゃんを抱き締めてしまったことと、寝顔を見られたことに、自分自身の恐ろしさを感じた。

「最悪だ……」
「俺もだ……」

 二人して、額に手を当てて項垂れた。シズちゃんの背中に顔を押しつけて、離さない俺。病人を殴るわけにもいかず、今にも爆発しそうな思いを堪えて、それを耐えきったシズちゃん。犬猿の仲の二人。なんとおかしい構図だろう、しかし今は笑えない。

 イライラするとすぐにタバコに手を出すシズちゃんが、胸ポケットのタバコを取り出そうと差し入れた右手を、仕方なさそうに元に戻す。一応、俺の体調を気遣っているらしい。本当に、そういうところ、反吐が出る。

「そういうところ、」

 思ったことを口に出そうとしたら、なんだかまた眠たくなってきた。今、何時だろう。シズちゃん、終電なかったらどうするつもりなんだろう?
 力を抜いてベッドに埋もれる俺を、シズちゃんが見下ろす。何か言わなくちゃ。言いたいけど、瞼も口も、もう眠たいのですと活動をやめようとするのだから、どうしようもない。

「看病してくれる相手くらい、つくっとけ」

 呆れたように呟いたシズちゃんの声音に、少しだけ、少しだけ心配するような響きがあったなんて思うのは、風邪にあてられたからに違いない。
 普段は綺麗な秘書がいるんだよ。今日はお休みだけどさ。自慢してやりたかったけど、俺の意識は夢の中へ、ふわり、ふわりと落ちていく。

「シズ、ちゃん……」

 我ながら、小さな声だと思った。ちゃんと届いているだろうか、シズちゃんの表情を見ようにも、もう瞼を開ける気力がない。

「借りはいつか、返すからさ……。電車がなかったら、適当な場所で、寝てよ。冷蔵庫の中のものも、好きに食べていいよ……。部屋は、壊さないでね。おや、すみ」
















 夢を見た。

 優しく、シズちゃんが俺の頭を撫でてくれる夢だった。

 目を覚ましたとき、何が夢で何が現か、いまいちよく覚えていなかったのだけれど、シズちゃんが俺の頭を撫でるなんてありえない。だから、夢に決まってる。朝方、部屋を出て行く人の気配を感じたけれど、全部全部、夢でなければ、いけないのだ。

 額に手を当てると、すっかり常温のようだった。


「今回ばかりは……、感謝するよ、シズちゃん」


 熱は下がったはずなのに、やたらと火照る頬になんて、気づきたくもなかったよ、馬鹿。







 fin.

 PCサイトを作ろうとしていたとき書いた、確かシズイザ初作品です。だから、季節が冬でした。仮題そのままにしてしまいました。
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