懐01



 津軽島静雄が、折原臨也のマンションに訪れる際に、必ず受けなければならない洗礼がある。

「つーがるー!」

 それは、飛び出してきたサイケの、熱い熱い抱擁である。
 津軽は、高い跳躍力をもってして飛びついたサイケをしっかりと抱きとめ、笑顔を返してやる。サイケが津軽を迎えるときに、必ずと言っていいほどよく見られる光景だった。

「津軽、いらっしゃい」

 サイケが微笑めば、津軽もつられて笑う。当然のように手を繋ぎ、サイケが津軽を家の中へ上げる。終始恥ずかしくなるような振る舞いだが、清く正しい二人の交際は、仲睦まじいと心温まるものだった。

「俺はね、午前中にメンテナンス終わったよ。津軽も終わったらね、ケーキがあるからね、皆で食べようねって、臨也くんが」
「……そうか。……おまえは何ケーキが食べたい?」
「俺? 俺は、ショートケーキかなぁ。でも津軽が先に好きなのを選んでいいよ!」

 津軽は、サイケと同様、臨也に定期的なメンテナンスを施されている。
 それを怠るとどうなるのかまでは分からず、試験的な部分も多々あるのだが、二人は臨也に身を任せている。今日がそのメンテナンスの日だと、津軽は呼び出されていた。

 手を引きながら、サイケは臨也が準備をしている応接間へ向かった。

「臨也くん、津軽が来たよ」

 パソコンに向かい、軽やかにキーボードを叩いていた臨也が、その声にふっと顔を上げた。
 手を振るサイケと、その後ろに佇む津軽を見て、座っていた椅子から立ち上がり、薄っすらと笑う。

「相変わらず君は時間に忠実だねぇ。……ちょっと仕事が立て込んでいてさ。今から準備するから、少し待っていてくれるかな? ――サイケ、あっちで一緒に遊んでおいで」

 そう告げると、臨也はパソコンにコネクターを接続した。 どこか疲労した様子で溜息をつき、またパソコンに向かっては、キーボードを叩き始める。
 名指しされたサイケは暫し首を傾げた後、「うん!」と大きく頷いて、明るい笑顔で津軽を振り返った。

「ちょっと待つんだって。津軽、あっちのお部屋でお話しよう? お茶、淹れるから、お部屋で待ってて」

 サイケが津軽の手を離し、キッチンに行こうとする。
 ――津軽の返事は、ない。

「……津軽? どうしたの?」

 足を止めて、サイケは振り返った。動かない津軽は、臨也の姿をぼんやりと見つめたままだ。駆け寄ったサイケの腕が絡みついて初めて、話しかけられていたことに気がついたかのようだ。

「津軽? 臨也くんが気になるの? 俺と一緒に遊ぶの、いや? 俺は、津軽と一緒にいたい、けど……」

 津軽の眼を見れば、自然と上目遣いになり、サイケは不安そうに尋ねる。

「……おまえは、本当に甘えん坊だな」

 ふっと津軽が笑い、サイケの頭を何度も優しく撫でる。
 サイケは、そんな津軽がとてつもなく愛しそうに顔を綻ばせた。これもまた、微笑ましい光景。いつもの、普段通りの。


「――でも、俺はおまえと遊べない」



 津軽はサイケの腕を優しく解いて、パソコンと睨みあっている臨也のもとへ歩み寄る。
 臨也は急に降りてきた大きな影に、不思議そうに顔を上げた。
 くるりと椅子を回して、横に立つ津軽と向かい合う。もともと感情表現が豊かでない津軽だが、大人しくそこに立ったまま、臨也を見つめる。

「……えっ、なに、どうしたの?」

 戸惑ったように臨也が尋ねた。津軽は、マウスを握る手の上に自分の手を重ね、そっと引き離した。
 当惑している臨也の頭を、優しく、何度も撫でる。
 いつも、そうしてやっているように。

「サイケ、おまえじゃ危なっかしい。ちゃんと、臨也にやってもらえ」

 津軽はゆっくりと、立ち尽くしたままのサイケ――、サイケの服を身に着けた臨也に視線を戻す。
 津軽の目の前にいる、臨也に扮したサイケは、故意的に眉根を寄せて細めていた眼を、いつものようにぱっちりと大きく瞬かせた後、余計な力を入れていた顔の筋肉を緩め、臨也の顔色を窺うように視線を送った。

「…………ふ、」

 臨也は口元に手を添えて、くつくつと肩を揺らした。次第に堪えきれなくなって、大きく声を上げて笑った。手を叩く。見抜いた津軽を賞賛するように、笑いが治まるまで、臨也は津軽を称えた。

「は、ぁ……。いやぁ、本当に呆れたね。なんで気づいたの? サイケの演技が下手だった? それとも俺かな。頑張ったと思うんだけど」

 ところどころに湧き上がる笑いを交えながら、臨也はヘッドフォンを外し、首に掛けた。
 純心を装っていた笑顔を引き締め、目つきは鋭さを取り戻す。
 丁寧に整えられた、ピンク色の爪先。いつもつけている指輪も、サイケに移した。
 顔は同じ、声も同じ、体格も同じ。まさか、気づくはずはないだろうと思っていた。
 
 津軽は、真面目な顔つきを変えずに、答える。

「理屈じゃない。わかる。サイケのことだから」

 傍にいるサイケは、津軽の横顔を見ながら、僅かに瞳を揺るがせた。それが臨也の癪に障ったようで、フンと鼻で笑う。

「ちょっと遊んでみたのに、意外にも反応が面白くないんで、だめだね。まぁ、予想はしていたけどさ。君が大人しく部屋を出て行ったら、入れ替わってやるつもりだったのに。なんでだろうね、ちょっと負けた気がして悔しいのは。――……あいつなんか」

 臨也が一息ついた。自分の腕を抱きながら、不愉快そうに床に向かって吐き捨てる。

「シズちゃんなんて、全然気づかなかったのにね。俺のこと、サイケだと思って、サイケはかわいいな、臨也と違ってやさしいな、ってさ……。ホント、ばっかみたい。目の前にいるのが俺だっていうのに、頭撫でちゃって、おかしくてさ。ほんと、馬鹿で単細胞で、勘は鋭いと思ってたのに、使えないよ、使えないよねぇ……」

 そこまで吐き出すと、臨也は苛立ったまま、頭をくしゃくしゃと掻いた。サイケのコートを脱ぐと、仕事用のデスクに投げ出して、二人に背中を向けて二階への階段を上がる。
 サイケが何か声を掛けようとした、けれど、ちらりと見える臨也の横顔を見れば、何も言ってやることができなかった。

「とんだ茶番に時間をとったみたいだ。すぐに準備するから、サイケ、今度こそ津軽の相手をしていてやって」

 サイケは静かに頷いて、津軽の着物の袖を掴んだ。三人もいるのに不思議なほど、家の中は静まり返っていた。











「――いざやくん、泣いてるね」
「……そう、かもな」
「泣いてるよ、さっき、泣きそうだったもん」
「静雄に……、何か言ってやったほうが、いいんだろうか」

 二人で身を寄せ合う、甘く微睡んだ恋人の姿は、日々傷つけあう二人の姿に良く似ている。
 錯覚でも、幻想でもない。確かに二人はそこにいる。誰の代わりにいるのでもない、サイケと津軽は、そこにいる。

「……静雄さんは、気づいてたよ」

 サイケが、悲しそうに告げる。

「俺、臨也くんに言えなかった。言えなかったけど、知ってる。今日みたいに臨也くんに頼まれて、臨也くんのフリしてたんだ。サイケと違って、手前なんか、って何回も言われた。いつも優しい静雄さんが、どうしてこんなに臨也くんのこと嫌いなんだろうって、悲しかった。だけどね、帰るときね、静雄さんを玄関まで見送りにいったの」

 胡坐を掻いた津軽の脚の隙間の中で、サイケは丸まりながら語る。

「『ごめんな』って、俺の頭、撫でてくれた。静雄さん、わかってたんだよ。静雄さんもいつも臨也くんのこと見てるんだ、わかってるに決まってるよ。臨也くんが俺に成りすましてるのわかってたのに、頭撫でて、ぎゅってして、かわいいなって、言ってたの。なんで、そんなことするのかなって考えたよ。ねぇ、それってさ、きっと、静雄さんは臨也くんのこと嫌いなんかじゃないからだよね」

 サイケは頬を膨らませ、津軽の腕の中で身じろいだ。

「二人とも見栄っ張りなんだ。ごめんなさいもありがとうも、好きも言えないの。どっちかが言わなきゃ、ずっといっしょなのにね。臨也くんは俺のこと子供だって言うけど、臨也くんだって子供なんだから」

 その言葉に津軽が小さく笑う。ぷーっと膨らませた頬を指先でつつくと、やだやだと脚をばたつかせる。
 少なくとも津軽にとって、サイケは幼く見えるのだが、それを言うとサイケが怒るので、黙っておく。
 サイケがくるりと首を回して後ろを向いた。津軽が瞬きすると、サイケが身を捩って津軽の唇へ、自分の唇をちゅっと押しつける。

「つがる、すき」
「俺もだ、サイケ」

 そのまま手を握り合った。
 機械の彼らは、人間の彼らよりも、素直に愛を語り、愛し合うことができてしまう。
 津軽は目を閉じた。
 「俺は代わりにはなれない」と、野暮なことを言わなかったことに、今更ながら安堵していた。

 一人、二階で泣く彼の心に巣食うウイルスは何なのか、こんなにも明白なのに、本人だけが気づくことができないままでいるのだ。






 fin.


 メンテナンスが必要なのは、サイケでも津軽でもなくて。

 いつも同じような展開になるのは、幸せなツガサイに嫉妬する、シズちゃんと結ばれない惨めな臨也さんを書きたいからです。





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