さよならMr.グレーゾーン



 


 
 サイケはその日、その白い頬をほわりと上気させて帰宅した。
 静雄の家にいる津軽のもとへ遊びに行ったサイケが、臨也と同じ顔を、目一杯幸せに緩ませて帰ってきたのだ。
 臨也は、自分と同じ顔のつくりなのに、よくこんな顔ができるものだと感心してしまう。

 話しかけたら、膨大な時間を奪われることは確実だ。サイケは惚気だすと止まらないのだ。――いつものことではあるが。
 サイケを横目に見ながらも、あえて何も聞かなかったが、元気よく部屋へ飛び込んできたサイケはそのままパソコンに向かう臨也の後ろに回り、飛びついた。

「臨也くぅん!」
「…………なんだい」

 臨也が嫌々振り向くと、それは輝かしい笑顔があった。全身で喜びを表現するサイケは、あのね、あのねとたどたどしく話す。臨也には、大体彼の口から出る言葉が予想できた。

「津軽が、俺のために作詞してくれた曲を歌ってくれたの!」

 ――――津軽ね、ハイハイ。

 一日中、暇さえあれば、「津軽」「津軽」と言っているようなサイケにうんざりしながらも、臨也は取りあってやる。

「それは良かったね。俺も今君に新曲を――」
「すごく素敵な曲だったよ! 今度は作曲もできるといいなって。静雄さんの曲はいつもいい曲だよねぇ。……あっ、臨也くんの曲も全部気に入ってるよ?」

 言葉を遮られて、無言で微笑む臨也から何かを察したのか、慌てて付け加えたサイケは抱きつく腕を解き、「……ごめんなさい」と項垂れた。

(臨也くんは、静雄さんの話をすると怒っちゃうんだった……)

 正確には、怒る、と言うより、不愉快そうにしている。
 音楽に関しても張り合っているようだし、決してお互いの曲を誉めたりしなかった。

「お、俺も作詞したいな! 臨也くんの曲なら、俺みたいなのが書いた歌詞でも、すごくいいのに仕上げてくれそうだし……」

 機嫌を取るように言うと、臨也の眉が釣りあがる。

「サイケが? 作詞?」
「……だめ?」
「…………ふぅん、じゃあ、試しに書いてみたら?」

 高級そうな椅子の車輪を転がし、臨也は不要な紙とペンを取り、サイケに与えた。
 途端、サイケにの顔にかかっていた雲が晴れたようだった。

「やった! ありがとう臨也くん!」
「君が俺の歌を歌う中で、どれだけ成長したのか見てみるのも面白そうだからね」

 という臨也の呟きは耳に入っていないようで、サイケは来客用のテーブルに紙を広げると、調子の取れていない自作の歌らしきものを鼻歌で歌いながら、唸っては消しゴムをかけ、照れては消しゴムをかけ――――。
 臨也が自分の作業を終え、ヘッドフォンを外して時計に目をやったときには、もう2時間ほど経過していた。テーブルにはこんもりと消しゴムのかすの山ができており、丁度サイケが満足そうな顔で「できたー!」と声をあげるところだった。

「できたの? 見せて」

 臨也が手を伸ばして催促すると、サイケは丸めた紙を握って、もじもじと動かない。

「……恥ずかしい」
「…………恥ずかしがってちゃ、曲にもならないよ」

 頬杖をつきながらもう一度催促すると、サイケはおずおずと近づいて、その紙を差し出した。

「どれどれ―――――」

 紙を広げた臨也の顔は、瞬時に半笑いのまま強張った。

 丸っこく下手くそな小学生のような字で、ぎっしりと綴られたそれは、

『大好きなつがるのため歌
 作詞:サイケ

 一ばん

 つがる いつもやさしくて カッコイイつがる
 誰よりも世界一宇宙一すてきなつがる
 ぎゅってされると わたあめみたいに とろけちゃいそう
 でもおれはわたあめじゃないよ
 わたあめより、前につがるがくれたリンゴあめがおいしかったよ
 でもおれは つがるがいるだけでうれしいよ
 大好きっていってくれてありがとう
 俺もつがるが大好き(以下略)』

 A4用紙いっぱい、みっちりとこの調子で埋められている。一番と書いてある部分で、半分以上は使っており、裏返してみれば二番は裏面まで続いていた。
 もじもじと内股を擦り合わせ、指先を弄りながら、サイケは上目遣いに尋ねる。

「ど、どう?」

「どうって……、ラブレターか! 勝手にやってろよ! このまま読み上げてやれよ!」

 ――と言ってやれれば。と、臨也は深く溜息をつきたいのを堪える。サイケの期待の眼差しが痛いのだ。
 臨也だって、自分がかわいい。サイケをいじめるのは、自分をいじめているようで、気が引ける。自分の顔をしたサイケを酷く扱って、みっともない顔でびゃーびゃーと泣かれるのも嫌いだった。

(ちょっと本でも読ませたほうがいいな。まあ、それはそうとしてこいつの二時間の努力だしね――、静かなお陰で作業も進んだし)

 ニコッ、と臨也が笑顔を作ると、サイケは単純に目をきらきらとさせた。

「じゃあ俺が作ってやるよ……、フフ、何分の大作になるんだろうね、これ……」
「大作!? 大作なの!? わーい、臨也くんありがとう、だいすき!」

 擦り寄ってくるサイケの頬が、臨也の頬をぷにぷにと押し上げるが、臨也は自分の顔にこんなことをされても嬉しくもなんともない。
 それとなく引き離すと、適当にリズムに乗せてやろうと考えたが、サイケが「いい曲だった」と褒めた静雄の曲に、適当な曲を返すのも腹立たしい話だった。

(悔しいけど、あいつ、曲だけはいいの作るし、なあ……)

 曲だけは、と心中で繰り返す。
 最初は、あの乱暴者が! 作詞! 作曲! と腹を抱えて笑ったものだった。高校時代から音楽のセンスを垣間見せたこともない静雄が、国語の授業もまともに受けていなかった静雄が作る曲など、と笑っていたが、静雄の曲は、作った本人の顔を薄れさせてしまうほどに、言葉遣いは細やかで、そのメロディーは柔らかくて、時々気分屋らしく荒れもしたが、臨也は到底一笑に付すことはできなかった。

 サイケの書いた、ラブレター改め歌詞を見る。

「うれしい、大好き、ねぇ。こんなの歌われたら、そりゃあ喜ぶだろうさ」

 臨也の頬から離れたサイケが、首を傾げる。

「……そういえば、臨也くんの作る歌は、恋の歌が多いのに、いつもばいばいしてばっかりだよね」
「? ばいばい?」
「いつも一人で悩んで、お別れしちゃうんだよね。大好きとか、あいしてるとか、そういう歌を歌ったこと、ないよね」
「……そうだね」
「なんで?」

 不思議そうな顔で覗き込んでくるサイケの頭を、臨也はくしゃくしゃと撫でて肩に押し付ける。「む!」と呻いたサイケの頭を、髪の毛を梳かすように整えてやった。
 核心に触れられて目を伏せた、自分の顔など、見てほしくなかった。




「俺は、好きな人に好きだって言ってもらえたこと一度もないから、書けないんだ」



 サイケを撫でる手を止めると、身じろぎしたサイケがぷはっと顔を上げた。
 臨也は微笑んでいる。サイケはその顔をじっと見つめた。その顔に、涙の跡はない。それでも、なんとなく、今の一瞬に臨也が泣いていたような、そんな気がして、抱きついた。

「臨也くん、好きなひと、いるの?」
「いるよー。好きだと思うな。俺の愛は歪んでるから、わからないけど」
「……それって、静雄さん?」

 臨也はパソコンの画面を見つめ、笑いを含んだ声音で言った。

「さぁね。俺は、あいつのことが嫌いだからね」

 何か言いたげなサイケを制すように、「さ、今から曲を作るから邪魔しないでね」と声を掛け、向こうの部屋へ行くように促す。
 サイケが振り返ってみた背中は、いつもの背中に変わりがなかったけれど、パソコンに向かう顔は一体どんな表情なのだろう。気がかりそうに何度も振り返りながら、サイケは隣の部屋に静かに去っていった。

 扉を閉め、そこに背をつけて、電気もつけない暗い部屋の中に、サイケはしゃがみこむ。

 思い返せば、臨也は、一度だけ、希望味のあるラブソングを書いたことがあった。

 それも、練習段階で、歌わせてもらえなくなってしまったけれど。

 サイケの記憶では、あの曲を作った日の臨也はとても上機嫌で、静雄と飲んだ帰りだった。

(あの歌がゴミ箱に入ったのは、きっと、臨也くんがいつも以上にボロボロになって帰ってきた日)

 臨也が心乱されるのは、きまって静雄に絡んでいるときだ。
 嬉しそうな顔をするのも、辛そうな顔をするのも。それは決して本人に見せることはないけれど、サイケは何度もそんな臨也を見ている。

(嫌いなのに、好きなの? 好きなのに、嫌いなの? どっちが、嘘? どっちも、本当?)

(おれには、まだ、わからない)


 津軽の顔を思い出せば、胸が温かくなる。
 自分も彼も、等しく誰かに恋をしているのに。

(どうしてあんなに辛そうなんだろう)

 いつか尋ねることができる日が来るだろうか、きっとその時にはまた彼の傷ついた顔を見ることになるんだろうな、そう思えば尋ねる日は一向に来ないだろうと、サイケはゆっくりと目を閉じた。





fin.


 サイケと津軽を通じて自分の恋にもやもやする静臨が好き




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