冬支度





 吹き抜けていく木枯らしに身を縮める。髪の隙間から覗く耳と、袖から露出した指先が痛めつけられるようだ。
 コートの前をしっかり閉じた臨也は、襟を立てて身を震わせる。寄せられた眉根は如何にも不機嫌そうで、やがて何度も繰り返した言葉を口にした。

「寒い……。寒いなぁホント、やってられないよ……」

 ちら、とやや斜め上に上げた視線は、金髪の男を捉える。
 臨也の季節相応な防寒着とは対照的に、年中無休のバーテン服だ。臨也からすれば、見ているだけで身震いする格好だ。あてつけるように呟くも、当の静雄は何とも思っていないようで、己を刺す視線を感じれば煩わしそうに睨む。

「なに見てんだ、手前」
「やだやだ、見た目だけじゃなくて中身もチンピラみたいなこと言わないでよ」
「あ゛ぁ!?」
「……はぁ。何故その格好でそんなに元気でいられるのか、甚だ疑問だ」

 今にも噛みつかんとする静雄に呆れた視線をくれてやりながらついた溜息は、白くなって冷えた空気へ消えていく。

「今くらいなら平気だ。手前が軟弱すぎるんだよ。寒いのはこれからだぞ、これから」
「何を呑気な……。そろそろ本格的な寒さだろ。シズちゃんさぁ、コートの一着くらい持ってるだろ?」
「…………たぶん」
「多分!?」
「どっかに仕舞っちまってなぁ、あると思うんだけどよ。暫く見てねぇから」
「論外だ、論外。男ならさ、彼女が『さむーい』とか言ってる時に、そっと脱いでかけてやるくらいしなくてどうするの?」
「十分暑苦しい格好してる手前にかける上着はねぇ」
「酷いなぁ……」

 呟きながら、臨也はぴたりと足を止めた。不思議そうな顔をして、数歩先を行った静雄が振り返る。

「どうした?」
「俺の家行くの、後回しにしよう。シズちゃん、こっち」
「はぁ? あ、おい、手前引っ張んな」

 臨也は早足で歩み出すと静雄の手を取り、歩いていた脇道から大通り沿いへと向かった。「何処行くんだよ」と静雄が問いかけても、一瞥して溜息をくれるだけ。苛々しながらも手を振り払うことはせず、静雄は渋々と足を動かす。次第に増えてきた人の隙間を軽々と縫うように進む背中に従った。やがて臨也が立ち止まったので、倣うように静雄も立ち止まり、大きなウィンドウの中に飾られているポーズを決めたマネキンを見つめた。

「入るよ」
「おい、なんだ此処」
「いいから」

 高そうなアイテムを見につけたマネキンの立ち姿は、間違いなく「デキる男」を演出している。焦った静雄は逆方向に手を引っ張ってみたものの、諭されるように引きずり込まれてしまった。

「いらっしゃいませ」

 落ち着いた物腰の店員が声をかけてくる。臨也は動揺して目玉が左右に落ち着かない静雄の背中を押した。

「今日は彼のコートを探しに来たんだけど」
「コートですか。なら、丁度今日新作が来たばっかりなんですよ。こちらです」
「シズちゃん、行くよ」
「あ、あぁ」

 手をぐいと引くと同時に、握ったまま入店したことに気づいた臨也は慌てて離すと距離をとった。
 店員は恭しくコートを手にしてみせる。シンプルなベージュのトレンチコートを前に、臨也は顎に手を当てて上から下まで眺めた。
 
「こちらですと、シルエットが……。お色味が…………。かつ機能的で………………」

 店員の折角の説明も、静雄の頭には入ってきやしない。
 今までファッションに拘ることがなかった静雄にとっては、どこに値札がついているのか、そしてそれが幾らなのか以外、気にする点はなかった。

 相槌を打っていた臨也は、すっかり言葉を失っている静雄を一瞥すると、溜息と共に首を振った。

「やっぱり駄目かな。彼、よく汚すから、汚れの目立たない色の方がいいな。俺は好きだけどねー、ベルトとかの装飾品もなるべくない方がいい。煩わしがるから」
「なるほど。カジュアルなものでしたら、こちらのダウンは……」
「あー、俺の好みじゃない。他にない?」
「でしたら、こちらのPコートは…………」

 臨也があれやこれや支持するたび、店員は複数のコートを手に、時々バックヤードに駆け込みながら、動き回る。
 散々、静雄にとっては違いの分からないコートが行ったり来たりした後、臨也の目に留まった二着のコートが残った。

「ねぇシズちゃん、シングルとダブルだったらどっちが好き?」

 名前を呼ばれて、静雄はようやく会話の中に入ることができた。
 ブラックの、ボタンが一列に並んだコートと、ネイビーの、前を合わせるダブルのコート。
 笑顔を崩さない店員と、臨也が答えを待っている。


「黒は手前とお揃いみたいだから、青の方がいい……」


 静雄がようやく発した精一杯の言葉だった。
 フン、と臨也は鼻で笑うと、「じゃ、羽織ってみて」とネイビーのコートを差し出した。
 それを拒絶しながら、静雄は耳打ちする。

「お、おい。この店高いだろ。やばいだろ」
「はー? そんなこと心配しなくていいんだよ。シズちゃんは黙って、着ればいいんだから!」

 あれよあれよと臨也に押し切られて、流されるままに店員によって広げられたコートに袖を通す。文句を言って暴れようにも、傍に置いてある縦長のショーケースの中の時計や、煌びやかな照明一つとっても高級そうで、静雄は大人しくしてしまうしかなかった。

「とてもよくお似合いですよ」

 鏡の前に立たされると、特徴的なバーテン服が覆われた姿は、ごく普通の青年のように映った。「へえ」と、臨也も目を見開く。
 臨也に見立てられたコートは、軽くて着心地がよく、腕を曲げ伸ばししても窮屈さを感じないのに、暖かい。
 静雄が感心している間に、臨也はレジへと向かっていた。

「カードで。タグも取ってもらえます? このまま着ていくので」
「かしこまりました」
「おい!」
「15万円と、税が……」
「大きな声出さないで。他のお客さんに迷惑でしょ」
「…………おい……っ」

 小声にはなったが、抗議しようとする静雄は、またもあれよあれよとコートのタグを取られて、臨也が会計を済ますのを待つばかりとなった。

「ありがとうございました」
「どーも。お世話様でーす」

 店を出た臨也は上機嫌だったが、静雄は納得がいかない。かと言って、先ほどとは比べ物にならない暖かさを脱ぎさることもできなかった。スキップを始めた臨也の腕を掴んで、未だ戸惑ったまま声をかける。

「おい、手前、じゅ、15万……」
「俺はシズちゃんと違って稼いでるからねぇ。一着くらい良い物持ってたってバチは当たらないよ? それにその値段なら、まあまあって所だよ」
「まあまあ…!? 馬鹿言え、15万なんて大金だぞ!? 何のつもりだ……?」
「別に。クリスマスプレゼント、ってことでもいいよ。君の寒そうな格好を見ていると、俺まで寒いんだよ」

 そう言いながら、改めてコートを着用した静雄の姿を眺めて、満足そうに頷く様はどこか誇らしげだ。 
 
「……なんか、動くのにも気を遣うじゃねぇかよ」
「アハ。それでシズちゃんが暴れなくなるなら、安いもんだねぇ」
「……なんだ、その、サンキュ。絶対返すから」

 臨也は聞こえないふりで、その場で両手を広げてくるりと回る。
 室内で温まったはずの身体はすぐさま冷えてしまい、鼻の頭が赤くなっている。にも関わらず、臨也は自分のコートを脱いだ。
 とうとう頭がおかしくなったか。呆れ顔で見る静雄に、脱いだコートを腕に掛けた臨也が笑う。

「シズちゃん、寒い」
「そりゃそうだろ」
「シズちゃん、寒い。寒いなぁ……」

 言葉通り身震いする臨也の言わんとすることが分かった。
 静雄は思わず喉奥で笑うと、今しがたプレゼントされたコートを脱いで、臨也の肩へふわりと掛けてやる。
 肩幅が大きくずり落ちそうになるのを片手で押さえ、振り返って笑う臨也は得意顔だった。

「これこれ、これがしたかったんだよ」
「わかんねぇなあ……」
「はは。わからなくてもいいよ。わからない方がいいのかも、ね」
「その答えがもう、意味わかんねぇよ」

 臨也から取り返したコートを羽織り直し、歩きながら、静雄はショーウィンドウに自分の姿が映るたびに、そわそわとそちらを見るのだった。 

 これからの冬が、少し楽しみになった気がした。

 






不器用でいてくれた方が、余計な虫がつかずに済むだろう。
昔から書きたかった、買い物に付き合わせてシズちゃんをコーディネートして「やっぱ俺の彼ってイケメンだなぁ!」ってホクホクして見せびらかしたくなっちゃう臨也さんの話(ばかっぷる)。


20140507


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