※今更注意する間でもないですが
 人ラブをこじらせた臨也さんがあっちこっちでイザビッチしてる前提です




 薄汚れたビルの壁に、臨也がぐったりと凭れ掛かっているのを発見したのは、つい先刻のことである。
 湿った空気と、唸る室外機が発しているカビ臭いにおい。
 臨也は項垂れ、天敵が間近にいるというのにピクリとも動かない。

 人目につかない場所を選んで建物の隙間に逃げ込んだのか、人目につかない場所だからこそ此処で何かあったのかは、静雄の知ったことではない。どんな場所に居ようと、不愉快な香りが鼻を突くのだから、誘われて見つけてしまうのだ。普段なら相手も察して逃げるはずなのに、今日はなんと無防備なことだろう。
 息の根を止める絶好のチャンスだが、静雄は煙草をふかして、黙って害虫を見下ろしていた。肩からコートがずり落ちて、白い首筋が露になっている。鎖骨の辺りに残された歯型に気づくと、露骨に顔を顰めた。

「起きろよ、ノミ蟲」

 つま先で脚を小突く。軽く揺り動かすくらいの気持ちであっても、刺激が強かったらしい。「う、」と呻いた臨也の旋毛を見下ろしながら、携帯灰皿で火をもみ消した。
 手で顔を覆った臨也は、危なっかしく揺れながら顔を上げる。仁王立ちしている男を見るなり、半開きだった口が諦めたような笑みを浮かべた。唇の端には血が滲み、左の頬が腫れている。静雄はますます眉間の皺を濃くした。

「こんな所で昼寝たぁ、暢気だな? イザヤ君」
「イテテ……、はは、最悪の目覚めだよ。死んでないのが不思議だ」
「……どう手前を殺そうか悩んでんだよ、もうちょっと待てや」

 静雄の話を聞き流しながら、着衣の乱れを整える。苦痛に顔を歪めながらも、壁に手をついて漸く立ち上がり、服をはたいて砂埃を払った。ポケットに突っ込んだ右手が何を握っているかなど、見る間でもない。一瞥しながら、静雄はサングラスを外して胸のポケットに引っ掛けた。

「早死にしたくねぇなら止めとけ」
「へえ? 挑発するなんて君らしくもない。…とと、ま、出来ることならシズちゃんの相手なんかしたくないよ、特に今はね……」

 肩を背後の壁に押し付け、眉根を寄せて息を吐き出す。伏せられた瞳には疲労の色が浮かんでいる。恐らくその原因の一つであろう、目立つ印を静雄は指差した。普段から1ミリの好感も持ち合わせていない男に、穢らわしさと誹りと、ありったけの不快感を詰め込んだ声音で告げる。

「首んとこ隠せよ、気持ち悪ィ」
「……あぁ……。忘れてたよ」

 身体へ視線を落とした臨也は、今にも舌打ちしそうな表情で己の肌をなぞると、コートのジッパーを胸上まで上げる。
 目も合わせずにその場から立ち去ろうとするのを、静雄は腕でも脚でもなく、言葉で制する。

「そのうち殺されるんじゃねぇの」

 目の前に大きな杭でも突き刺されたかのように、ぴたりと脚を止めた臨也は、薄ら笑いを浮かべながら振り返る。

「心配してくれてるの?」

 この状況が不利だと分かっていながら、静雄の神経を逆撫でする言葉と表情をよく知っている臨也は嗤う。建物に挟まれたこの空間では、室外機と、中身が空のポリバケツくらいしか、静雄の獲物になりそうなものはない。力を振り絞って壁を蹴れば上へも逃げることができるはずだ。

 案の定、静雄の蟀谷に青筋が浮いた。

「ウゼェ。心配する価値もねぇ。理解できねぇ」
「高校の時もそう言ったね、シズちゃん」

 十年ほど前にも、こんな会話をしたことがある。

 静雄にしてみれば到底理解できない、臨也の遊びだ。
 相手が男か女か、一人か複数か、苦痛か快楽か、相手に愛があるか――、そんなことは臨也にとって重要ではない。
 己に溺れ、欲望に埋もれ、獣のように求める姿を愉しむ。痣も、傷も、愚かで愛しい人間たちがくれたものだから。殴られたって脚を折られたって、そんなことは些細なことだ。

 愛の理想が、相思相愛とは限らないよ。

 十年前の臨也の言葉は、今になっても理解できないままだ。


「俺は人間を愛しているから」

 唇の端に滲む血を舐めて、微笑む。
 広げた両手に何を抱いているのか、静雄には視えない。
 我が子を可愛がる母親のように、愛しげに細められた目は、静雄の存在だけは拒絶する。

「君にはわからないさ」
「わかりたくもねぇ。手前の言う愛なんざ」
「俺も理解して欲しくなんかないしね」

 頭上から臨也の声が降ってくる。
 ビルから張り出した看板の上に飛び移り、ひらひらと手を振っていた。

「今日は大人しく帰ることにするよ。此処に捨てられたのだって不本意だったんだ」

 じゃあね、と、目配せして笑い、フードを被ると、そのまま反対側の建物の屋根に飛び移って走っていった。その動きは普段静雄が追い掛け回すときよりも鈍りを感じさせるものであり、相当痛めつけられたらしいと推測する。

(ざまあみろ)

 と、思ったところで、本人は痛い目にあったなどと思ってもいないのが腹立たしい。

(ノミ蟲め)

 いや、違うな、と静雄は首を振る。
 蛾だ。歪んだ愛の繭に閉じこもる蛾。
 そのほころびの糸を解いた、丸裸の姿を見てみたい気がする。

 そこに中身があるかどうかも、わからないままなのだが。


 サングラスをかけ直して、静雄は日向に出た。
 電柱の下に落ちたままの、脆くなった蛾の死骸が風に散っていった。




うみねこの「愛がなければ、視えない」のフレーズが好きで、なんかそんな感じのことを臨也さんに言ってほしかったんだけれども
最終的に蛾の話になる雰囲気だけの話


20140318

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