ピアノソナタが聞こえない





 貴族たちのパーティーがお決まりになっているホールは夜になっても爛々と光を灯し、続々と現れる街の貴族たちを受け入れる。軽いとはいえ高級な食事とお酒、そしてダンスを楽しむ優雅な夜だ。薔薇に彩られた庭はライトに照らされてムーディな演出となり、グラスを片手に夜風にあたりに出てくる男女を出迎えている。

「素敵ね」
「庭でお茶もできるんだ。昼の薔薇も綺麗だよ。でも、君の方が……」

 庭に備え付けられているテーブルとイスを指しながら、男が陳腐な口説き文句を吐こうとした、その時――――テーブルは盛大な音を立てて割れながら綺麗に整えられていた薔薇を薙ぎ倒すように吹き飛んでいった。

「え?」

 風が巻き起こる。
 何者かが飛び込んできたのだ。そしてテーブルは吹き飛ばされた。土煙が舞っている。人々はざわめき、悲鳴が上がった。
 土煙の中から華奢なシルエットが飛び出したかと思うと、その後に続くように体格のいい男が駆けていく。一瞬の出来事だったが、その正体を見た人々は「あぁ、また臨也と静雄だ」と呟いてさっさと会場の中へ引き上げていった。

「イーザーヤーくぅぅぅん……街には下りてくんなって何度も何度も言ってるよなーぁ……!?」
「だってシズちゃーん……、食事しなきゃ俺死んじゃうんだよ!? そんなのが当たっても死ぬったら。幽霊じゃないんだからさ!」
「だから死ねっつってんだろうが! 餓死しなくても……俺が殺すッ」

 後を追う男、静雄が手にしていた鎖を引き、引き摺っていた大きな物体を振りかぶると、前方の背中目掛けて放った。
 人間業ではない。外套の下には鎧を纏い、更に背丈を優に超える十字架を担ぎ、片手では鎖の繋がった棺桶を振り回すのである。
 話を聞く気がないらしい静雄に苛立った臨也は、チッと舌打ちをすると地面を蹴った。すぐ後ろの地面に重たい棺桶が減り込むのを感じるが早いか、背中からは大きな翼が生え、バサバサと風を起こして舞い上がると、宙に浮いたまま悔しそうな顔をしている静雄を見下ろした。

「手前ッ! 飛ぶのは反則じゃねぇのか!」
「何それ、ギャグのつもり? 君が振り回してるそのでっかい十字架と棺桶の方がよっぽど反則でしょ」

 静雄は地面に十字架を突き立てると臨也を睨んだ。臨也は挑発するように脚を組んで嗤う。

「だいたい俺、十字架なんかちーっとも怖くないしね!」
「何も手前を怖がらせるために持ってんじゃねぇよ。手前を殴るために使うんだよ」
「そんな野蛮な考えだから神父をクビになるんだよ」

 静雄はいわゆるヴァンパイアハンターだ。昔は聖職者であり、協会の中で悪魔祓いも請け負っていたエクソシストだが、罪のない民の中に入った形のない悪魔を引きずり出すのが苦手で、根負けするとすぐに手を出してしまい、何度か問題を起こしている。吸血鬼は悪魔と違い、実体がある。その手で女性に触れ、血を吸うのだから、幽霊などの類とは違う。ヴァンパイアハンターの中にはもともと吸血鬼を殺す能力を有する、吸血鬼との混血者もいるが、静雄はれっきとした人間である。ただ、少し力が抜きん出ているだけ。それだけだ。聖書や聖水などは一切使わず、物理攻撃という論外の方法で数々の吸血鬼を葬り去ってきた、その界隈ではちょっとした有名人であった。
 その静雄が最近かかりっきりになっているのが、臨也という吸血鬼である。
 普段は山の上にある古城に住んでいるのだが、「人間が好きだから」などという理由で頻繁に街へ下りてきては、血を吸うばかりでなくただ単に雑談を楽しむという風変わりな吸血鬼なのだ。
 その美貌と人当たりの良さで、住民から苦情が来るでもない、しかし静雄としては封印しない他はないということで、もう数年に渡ってこの追いかけっこを続けているのだった。この街では最早名物になりつつあって、知らない人間の方が少ないのではないだろうか。

「今は手前を殺すことしか考えてねぇんだよ……」
「いい加減諦めなよ。俺はシズちゃんに迷惑かけてないだろう? 街の人が何か言ってる? ねぇ、ただの私怨じゃないか。勝手に俺を見つけて追いかけてきてさ」
「いるだけでムカつくんだよ。それに臭ぇ。手前が来れば、すぐにわかる」
「怖ッ……。失礼しちゃうなあ」

 月明かりを受けた臨也の瞳が煌いた。もともと白い肌が余計に青白く見える。赤い舌が色の薄い唇を舐め、ふぅ、と一息ついた。
「……降りるけどさ。殴らないでよ。何もしてないのに殴るのは、暴力だからね」

 静雄は黙ったまま臨也を見上げていた。
 静雄と臨也はときどき休戦する。
 確実に獲物を仕留めてきた静雄が、数年をかけて臨也を追い掛け回しているのはそのためだった。二人はできているのではないか、そんな噂が街に流れることもあった。
 地上に降り立った臨也は、不満そうに唇を尖らせている。

「手前、年いくつだっけ」
「永遠の21歳」
「あー、そうだ。そんなウゼェこと言ってたな」

 火のない所に煙は立たない。静雄は手にしていた仕事道具を離すと、臨也の腕を掴んだ。そのまま庭の端まで引っ張っていくと、何やら有名な彫刻家が手がけたらしい像の裏――茂みの影へ突き飛ばした。そのまま馬乗りになる。

「は……ッ、ちょっと、外でヤるつもり……?」

 うつ伏せになった臨也から伸びる羽根が邪魔で、押しのけるようにしながら静雄は言った。

「いや、ヤんねぇけど。ただ、ちょっと襲いたくなっただけだ」
「最低だ……」

 言いながらも臨也は羽根をしまった。一瞬のうちに縮んで皮膚の下へ消えてしまうのだ。マントとシャツには突き破られた穴が残っていて、少しだけ肌が覗いている。浮き出た肩甲骨は、それだけで羽根のようだな、と静雄は思った。臨也は二つも翼を持っているのだ。

「手前の羽根は、俺が毟る」
「いや、毟らせないから――痛いな!」

 静雄が肩のあたりに噛み付くので、臨也は涙目で声を上げた。
 巨大な十字架と棺桶を引き摺る静雄の力は常人のそれではなくて、デコピン一つでも額が割れそうなくらいの痛みを感じる。静雄が纏っている鎧は決して自衛のためではなく、自分の動きを制御するためなのだが、それでも充分に立ち回ることができた。

「顔のとこに葉っぱが……、痛い」
「あー?」

 臨也がぶつぶつと呟くので、静雄は腕を引っ張って強引に臨也の身体を反転させた。髪の毛に絡んでいる枯れた落ち葉を払うと、赤い目が静雄を見つめた。堂々としたものだった。この距離ならば一撃で臨也を仕留められるが、そんなことはしないだろうと高を括っているようだった。

「なあ、なんで怖がらねぇの」

 静雄の力を目にしたものは、誰もが怯える。そのせいで孤独な幼少期を送った過去さえある。静雄が封印した吸血鬼は、どれもこんな余裕を見せることはなかった。まさか、こんな人間がいるなんて、と驚愕で歪んだ表情で消えていくのだ。
 臨也は違った。出会ったそのときから、今まで会った吸血鬼とも、人間とも違った。
 「君となら楽しめる」
 そう言ったのだ。静雄との出会いを楽しんでいた。

 臨也は静雄の質問に軽蔑したような視線を向けながら答えた。

「怯えられた方が燃えるタイプ?」
「……ハ」
「何笑ってるの」

 愚問だったな、と静雄は思った。臨也は常に人生を楽しんでいるのだ。人間の生きる様を何百年、何千年と観察しながら、未だに楽しんでいる。吸血鬼なので、”人”生という表現には些か問題があるかもしれないが、臨也にとって静雄の過去や力など取るに足らないことなのだろう。

「手前を封印する暁には食っちまおうかと思ったんだよ。怖がると血液中にアドレナリンが増えて、美味くなるらしいな。だから、俺が手前を殺すときには、存分に怖がっていいぞ」
「あのさ、俺が人間の身体じゃないの忘れてる? 吸血鬼を食べるだなんて、どっちが化物なんだか……」

 冗談めかした静雄の言い方に、臨也も口端を吊り上げた。
 ちらりと鋭い牙が覗く、そこに唇を寄せて舌を挿し入れる。
 会場から漏れてくるワルツが風の音で掻き消された。こんな夜には『月光』の方が合っているな、と臨也は思った。覆いかぶさる静雄の後ろに見える白い月は何千年も変わらないけれど、目の前の人間はあと百年もしないうちに見る影もなくなってしまう。静雄も月になればいいのに。馬鹿げた考えだとは思いながら、静雄の背中に手を伸ばした。





 Fin.






設定がぐだぐだだけども、多分臨也さんは吸血鬼になっても人間界を引っ掻き回して戦争の一つ二つ起こしていると思う。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -