薄っすらと光を透かし始めた曇り空に、雀の囀りが飛び交う早朝。
 「いい加減離せよ!」「大人しくしろ!」と物騒なやり取りを玄関前で繰り広げられた岸谷新羅は、パジャマ姿のまま二人を出迎えた。

「朝からどうしたって言うんだい。骨折も出血もしていないみたいだけど……?」
「臨也の頭がおかしい」
「それ、今に始まったことじゃないと思うけど」

 米俵のように静雄の肩に担がれている臨也を見上げて、悪気無さそうに呟く。

「なんかよ、記憶喪失? 今日は2010年だって言うんだ……。どうしたらいい?」
「へぇ……。臨也、そうなの?」
「俺に聞かれても……。シズちゃんは変なこと言うし、手帳は2011年のになってるし、俺だってよくわからないよ……。いきなり担がれて下ろしてもくれないし」

 臨也が静雄の背中を蹴れば、意趣返しとばかりに身体を腕でぎりぎりと締め上げる。
 そんな二人を交互に見つめた後、この面倒事を他人のふりでやり過ごすことはできないと考えたのだろう、諦めの溜息をついて、新羅は玄関のドアを大きく開いた。

「まあ、とりあえず入りなよ。話を聞こう」







 ソファーに案内された二人は、どこか緊張した面持ちで新羅と向かい合った。
 この騒ぎに起きてきたセルティも、事情を把握すればじっとしていられないらしい。お茶を運んだり、雑誌を取りに来たりと、聞き耳を立てながらうろうろしている。
 新羅はどちらかと言えば落ち着き払った表情で、臨也と静雄を観察している。
 
 新羅は臨也にいくつかの質問をした。
 昨日は何を食べたのか? 何をしていたのか? ここ最近のニュースは? 携帯の履歴に残っているメールの遣り取りなどの記憶はないのか?

「昨日はシズちゃんと喧嘩した帰りだったよ。流れで俺の家にやってきてさ、……これ、新羅に言わないと駄目? そう、まあ、無理矢理することをされたわけ。一人ずつシャワーを浴びて、おしまい。シズちゃんには、朝、目が覚めたときに顔を見せるっていう真似だけはしてくれるなと言ってあるから、俺が寝てるうちに帰ったと思うよ」
「朝には帰れっつーのは、一年前くらいの約束で、今はもうそんなことしてねぇんだよ」
「正気? さっきからシズちゃん、おかしいよ」
「手前……」

 臨也がわざとらしく身震いして馬鹿にしたような態度を取っても、殴りかかるどころか、心配するような目を向ける静雄に調子が狂わされてしまう。
 そんな遣り取りを見ていた新羅は興味深いとばかりに唸った。静雄は思わず目の前のテーブルを拳で叩く。
 
「記憶喪失っていうか、こいつはタイムスリップしてきたんじゃねぇのか!? 信じられねぇ、昨日のことも急に忘れただなんて!」

 息巻く静雄を、まあ、まあと宥めながら、新羅も首を傾げている。

「まさかねぇ……。もし仮に、何か、入れ代わったっていう証拠があれば、タイムスリップとも言えるかもしれないけれど」
「証拠、なぁ。そんなこと言ったって……」

 隣に座る臨也の顔を見つめる。髪の毛の流れ方、睫毛の生え方、唇の色、耳の形。どれをとっても昨日見た臨也と変わりはない。
 首筋も、喉仏も――――。視線を徐々に下ろしながら、突如静雄はハッとした顔つきになった。

「なに? どうしたの?」

 様子を窺い声をかけた臨也の肩に手をかけ、迷わず押し倒す。

「えっ、ちょっと、何!?」
「脱げ!」
「はぁっ!?」
『静雄!?』
 
 セルティが見るからに狼狽えるのを、新羅が落ち着かせながら自分の胸に抱いて視界を遮る。

「何、痛いッ! 脱ぐなら自分で脱ぐから! 何なんだよ!」

 聞く耳持たず、静雄は乱暴に臨也の服を捲り上げた。白い腹が露になる。薄くついた筋肉、臍の形、どれをとってもやはり臨也だ。――しかし、静雄は黙り込んだ。ある筈がないものがそこにあったからだ。信じられないといった表情で、臨也の服を掴んだまま固まった。

「……マジかよ」
「なに……? ねぇ、説明しろよ」

 ソファーの上に押し倒されて、服をたくし上げられた状態で静雄に馬乗りになられた臨也は、信じられないといった顔つきの静雄を不安そうに見上げた。

「――傷があるんだよ、あちこちに、俺がつけた傷が……」

 静雄の爪痕だったり、打撲の痕だったりで、白い皮膚が所々変色している。セルティを宥めて隣の部屋に送り届けた新羅は、その姿を見て目を見開き、眼鏡を押し上げた。

「おや、本当だ。最近の臨也の肌は綺麗だったのに」
「……何それ、ずっとこうだよ。シズちゃんが俺のことなんてお構いなしに、好き勝手するお陰でね」
「最近は痕が残るまで殴りあうような喧嘩もしねぇし、もちろん夜だって、傷つけねぇように抱けるようになったんだ。それに、俺が昨日吸い付いたとこの痕もねぇ」
「ちょっと待ってよ、まさか本当に? 二人して俺を謀ろうってんじゃないよね?」

 捲り上げた服を元に戻して、静雄は上からどいた。沈黙が部屋中に染み渡る。沈黙は肯定、ではない。この沈黙が、互いに「信じられない」と言葉を失っているからだということは、臨也にもよくわかった。

「ちなみにパンツ見せろ」
「変態!」
「うるせーな、あぁ、やっぱり違う。昨日臨也が穿いてたやつじゃねぇ」
「……じゃあ、俺はやっぱり未来に来てしまったということでいいのかな……。こんなことで判明して、なんだか複雑な気持ちだよ。ありえない……」

 額に手を当てて臨也は嘆く。何が起こっているのかだけは、なんとか理解しつつあった。そこで、静雄は重要な問題に気がついた。

「じゃあ! 昨日俺といた臨也は今頃……」
「うん、過去の臨也と入れ替わっている――すなわち今ここにいる臨也が元いた世界にタイムスリップした、と考えた方が妥当だろうね」
「何の確証もないけどね」

 臨也が衣服を整えながら起き上がり、観念しきった様子で投げ遣りに答えた。

「どうやったら、元の世界に戻れるのか……。こればかりは、新羅の専門外だろうし」
「タイムスリップなんて見たことないからねぇ。不思議だなあ! もっと詳しく調べさせてほしいけど……わかってるよ静雄。早いところ元に戻さないと。過去が書き換えられたら、未来が狂ってしまうかもしれないし」

 静雄がテーブルを挟んで、今にも噛みつかんとばかりに睨むので、新羅は余計なことを口にしないように努めた。
 それから、メモ用紙とペンを持ってきて、臨也と静雄の証言をそれぞれまとめることにした。昨日と今日の二日間の出来事を、事細かに思い出してもらうのである。

「それで、二人の昨日から今日までの行動で共通しているのは――」

 新羅が二人の証言のある箇所にぐるりと丸をつける。

「昨日の夜、臨也の家で性行為をして、0時には二人で臨也のベッドで眠った、ということだ」

 再び三人は押し黙った。引き出しのタイムマシンに乗ったわけでもない、階段から落ちてぶつかったわけでもない。寝ているうちに入れ替わっただなんて、にわかに信じられようか。

「それがきっかけ? どうかしてる……」
「でも、そうとしか考えられねぇ。寝てる間に入れ替わったんだ」

 静雄は天井を仰いだ。朝から目まぐるしい一日だ。朝ごはんを作ると言って張り切っていた臨也が心配だ。居ても立ってもいられないが、今、隣にいる臨也も臨也に他ならない。臨也も戸惑っているはずだ。
 協力して、元に戻らなければ。決意した静雄は、今となっては何よりも重要である「元に戻る方法」を考えるのに集中しなくてはならなかった。

「でもまあ、王道で行けばさ、『入れ替わるきっかけになったことを、もう一度やる』と元に戻るっていうのが、セオリーだと思うんだ」

 長話にお茶のおかわりのカップが空になったころ、新羅が呟いた。

「それはつまり、もう一度俺のベッドで寝ればいいってこと?」
「まあ、そうなんだけどね。それだけじゃ足りないだろ、きっと。ほら、僕はどこに丸をつけたのかな」

 先ほどのメモに書かれた共通点の丸の中には、『性行為』の文字がおさまっている。

「……これも、やれってこと?」

 臨也が静かな怒りを湛えながら尋ねると、新羅は軽く頷いた。

「それで戻れなかったら、最悪じゃないか……」
「流石の臨也も弱音を吐く、か。戻れるか戻れないかなんて、やってみなければわからないよ。何しろ、現時点でわからないことだらけなんだから。ね、静雄。協力してくれるよね」

 ふっと静雄を見上げた臨也と目が合った。
 攻撃的な視線。一年前は確かに、こんな目をしていた。
 一年前の臨也は何も知らない。今では前より二人が落ち着いたこと。静雄が改めて臨也とどうしていきたいのか伝えたこと。
 ただ、静雄は知っている。今まで二人でやってきたということ。それは、一年前の臨也も、素直ではなくとも、静雄のことを愛していたということだ。

「そりゃあ、俺はそうする他ねぇんだろ。問題は……」
「タイムスリップで過去に行ってしまった臨也だね。この推論で行けば、同時刻に同じ行為をしなくちゃいけないわけだから、あちらの臨也にもそこに気づいてもらって、実行してもらう必要がある。まあ、心配はないね。臨也なら気づくだろう。でも、あちらの静雄はまだまだ心を開いていないわけで、協力を求めるのは骨が折れるだろうなあ」
「それは、俺が保障する。大丈夫だ、俺は協力する。……多少、文句言うかもしんねぇけどな。だから、決行は今夜だ」

 そう言い切ると静雄は立ち上がった。臨也はそんな静雄を見上げて、いまいち信用しきれていない様子で尋ねる。

「本当に? 今夜?」
「ああ、あいつは絶対に今夜帰ってくる。大事な日なんだ。明日だなんて呑気なことは考えてねぇ」
「……そう。わかったよ。一年後の俺たちは、おかしなことになっているんだね。随分俺のことを信頼してくれるじゃないか」

 複雑そうに笑うと、臨也も続いて立ち上がった。まだ昼にもなっていないが、これから臨也のマンションへ向かうのである。新羅は玄関まで二人を見送りに出た。

「じゃあね、臨也。健闘を祈ってる」
「どうも。一年後も変わってなくて、安心したよ。じゃあ、朝から邪魔したね」

 挨拶を交わして扉を閉めると、薄暗かった空はすっかり晴れ渡っていた。静雄は一年前の空の色を思い出そうとして、断念した。ただ、お互いを、自分自身を信じて、今は待つしかなかった。




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 おわかりかと思いますが、この話はただ
 ・シズちゃんに優しくされなれていない臨也さんがラブラブえっちに戸惑う
 ・温度差がある二人で、臨也さんが襲い受けで頑張る
 この二点を詰め込みたかっただけの話です
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