「もしも、臨也が人間愛から醒めるようなことがあれば、それは臨也と言えるのだろうか? 彼が特定の誰かを愛することになったら? 臨也が恋を? 初恋を知った少女のごとく苦しんだりして? 見返りを受ける喜びを知ってしまったら? 拒絶される哀しみを知ってしまったら? ――静雄、そんな日が来ると思うかい? そうだね、僕には想像できないよ。でもさ、いつかは気づくと思うんだよね。もう俺たちもいい歳なんだから。いつか、臨也が人間らしく愛されたいと望む日が来るんじゃないかって」

 ある日の世間話は、想像もできないような例え話。お伽話の方がまだ現実味があると、静雄は卓上のコーヒーを飲み干した。
 新羅は笑った。念を押すように繰り返す。

「もしも、もしもの話さ」








 その夢もいつかは醒めるので










『静雄、前にした話覚えてる? もしも臨也が、人間を愛することを止めてしまったら、って話』

 突如、旧友からの電話を受けた静雄は、開口一番に飛び出してきた不快な名前に表情を強張らせた。

「つまんねぇ話だったら切るぞ」

 第三者の口から、憎んでやまない”折原臨也”の名前を聞くだけで血管が切れそうになる静雄も、友人の言葉を蔑ろにするつもりはないらしい。貧乏ゆすりをしながら、次の言葉を待った。

『臨也とも僕とも繋がりのある、まあ、お得意様みたいな人から、臨也の様子がおかしいって話をされてね。どうやら臨也、情報屋休業ってことで、そのお得意様との付き合いを切ろうって申し出たみたいなんだ』
「あいつの商売の定休日なんざ興味ねぇ」
『いやね、聞いて。人が変わったみたいだって。まあ、見た感じはいつも通りだそうだけど。その人曰く、常に『飽きたときの目』だそうだよ。最近臨也に会った? 僕は会ってない。噂も聞かないんだ。君はどう?』

 ――飽きたときの目。
 そのフレーズに、容易に思い出すことができる、臨也の表情。人間愛を語らう臨也の、生き生きとした顔。興味のない存在に対しての、無関心を極めたような顔。興味を失った対象には、冷徹な視線を注ぐ。注ぐどころか、もはや無いものとする。何とも思ってもいないような目つき。静雄は、今までに何回かその目を見たことがあった。

「……俺も最近会っちゃいねぇ、池袋には来てねぇだろ。いいじゃねぇか、それが本当なら。あのうざってぇ、人を見てニヤニヤする趣味がなくなったなら、いいことじゃねぇか」
『まあ、それはそう思うけど……。僕は心配なんだよ。セルティが気味悪がっちゃってさ』
「……それ、手前が心配してんのはセルティの方だろ。あいつはほっとけ、俺は知らねぇ。じゃあな、切るぞ」

 思い返せば、最近は仕事がスムーズだった。煙草の数も減っていた。そうだ、臨也の邪魔が入らないからだ。それに気がついたからだろうか、静雄の目映る池袋の空が彩度を増した。全てがうまくいきそうな、そんな予感さえした。


 再び携帯の着信音が鳴る。新羅がかけ直してきたのだろうと、とっさに電話に出た。

「まだ用か?」
『やぁ、シズちゃん?』

 携帯が軋む。思わず握りつぶしそうになるのを、既のところで留まった。

「……今、最近は手前に会わなくて快適だと思ってたところだったんだけどなぁ? ぶち壊してくれるじゃねぇか、イザヤくん」
『そうだね、君のこと大嫌いだから会いたくもなくなっちゃったんだよ。ところで君は俺のこと嫌いだよね?』

 脈絡ない問いかけだが、静雄は反射的に答える。

「聞くまでもねぇだろ、嫌いだよ」
『絶対好きになったりしないね?』
「……手前、今度は何企んでんだ? 情報屋もやめるんだってな?」
『ま、嫌いならいいんだ。嫌いならもう俺に関らないでね。さようなら』
「あ? 手前、ッ野郎、先に切ってんじゃねぇよ!」

 別れの言葉を残して、電話は切れた。

「何が、俺に関るな、だ、ぁ? そりゃどっちの台詞だ、今更、くそ、あのクソノミ蟲が……!」

 怒りに任せた静雄の腕が、コンクリートの壁を抉る。パラパラと欠片が足元へ散った。
 かけ直してこの怒りをぶちまけようと、静雄の理性によって原形を留めている携帯のボタンへ指を伸ばした――ところで、静雄の動きが止まった。
 今の臨也には、確かにおかしいと思わせる何かがあった。
 しかし、ついさっき、新羅に言ったではないか。放っておけばいいと言ったのは静雄だ。ここでまた考えなしに自ら飛び込んで、厄介事に巻き込まれては、いつもと同じではないか。

  煙草でも吸って気を落ち着けようとしたとき、またもや携帯が鳴った。
 今度は名前を確かめる。門田からだった。わざわざ電話をかけてくるのは珍しい。静雄の頭に、臨也の顔が浮かんだ。嫌な予感がする。

「もしもし」
『……静雄か? 久しぶりだな。急に電話してすまんな。仕事大丈夫か?』
「ああ、今は休憩中だから平気だ。……どうした?」
『いや、こんなことをお前に電話するのもおかしいと思うんだが。……最近の臨也の話、聞いたか?』

 また、臨也か。
 静雄の掌に爪が食い込む。

「……さっき電話がかかってきた。いつも頭おかしいけどよ、更にイカれちまってたみたいだった」
『やっぱり、静雄もだな。俺にもかかってきた。ちなみに、紀田と竜ヶ峰にもだ。関るなって言われたんだろ?』
「ああ……」
『お前はどうするか知らんが、俺としてはなんだか心配だ。様子見に行って、機会があれば報告する。暇なときにゃ付き合うからよ、また露西亜寿司でも食いにいこうぜ』

 静雄は「あぁ」とだけ答え、別れの挨拶をして電話を切った。
 「俺も行く」と言えなかった。言いたくなかった。そして、言わないと決めた。臨也の言うことを聞いているという点では静雄にとっては癪だが、あっちがその気なら、と意地を張る。

 静雄の胸に引っかかっているものは、純粋な心配とは言えない。門田とは違う。それを門田も理解していた。だからこそ、「お前はどうする?」などと野暮なことは聞かなかった。
 門田に会うとしても、静雄に会うだろうか? 静雄を見る目つきが、興味の一欠けらもないような、冷ややかなものだったとしたら、そのときには。

 靴の爪先を白くするコンクリートの破片を払い、静雄はサングラスをかけ直した。臨也の顔を思い出すのも、嫌だった。
 





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