たかがお前のごときでも


 



 ※R15

 モブ×イザ(微 臨→静)
 水責め
 臨也さんが虐げられている 








 生きて、る。

 頭の内側から走る鈍痛に、痛む箇所を思わず押さえて、気がついた。そのまま手を下へ滑らせ、頬から顎への輪郭を確かめるようになぞる。
 両手が解放されていた。未だにぼやける視界の、ピントを懸命に合わせる。曝け出された手首は青白く、拘束による痛々しい痣が残っている。

 あたたかい……。

 温かい蒸気が顔に当たっている。俺は、お湯の張られた湯船に凭れかかっているようだ、と、数秒かかって気づく。銀色の小さい湯船へ体重を預けながら、そういえば髪の毛も身体も濡れている、と更に気づく。
 呼吸を整え、身じろぎすると、脚も自由に動いた。が、それには激痛も伴った。
 両脚の腱を傷つけられ、ご丁寧に止血されている。

 目を覚ましたことを後悔したくなる。

 「くそ、立てない……」

 隙を見て拘束を解いて逃げることはできたかもしれないが、この脚ではしばらく逃げることもできない。
 なぜか涙が溢れてきた。ここ最近の俺は、どうやらとても打たれ弱くなっているようだった。もうだめだ。全て終わるのだという絶望。一度味わったはずの絶望から呼び戻され、そしてまた突き落とされる。ああ、俺も似たようなことを楽しんだ時期もあったっけ。確かにこれは戦意を奪ってしまうのに効果的だ。
 右腕には注射針の侵入を許してしまった、赤い痕。震える指でなぞろうとしたが、触れることすら恐ろしい。

 もういやだ。なんでおれがこんな目に。あんな男のことはしらないのに。俺はあいつになにもしていないのに。

「――臨也」
「ッうわ!」

 しばらく放心していたようで、背後に現れた男に、俺は過剰に驚いた。バランスを崩し、湯船のへりを掴もうとした手はつるりと滑って、踏みとどまることのできない脚は何の役にも立たず、カビの生えたタイルの上へ全身を打ち付ける羽目となった。
 風呂場へ踏み込んできた男はタオルを持っていて、そんな惨め極まりない俺を見下ろして言った。

「良かった、気がついたねぇ臨也。だめだよ、あれくらいで怖がっちゃあ」
「え、あ……? ごめん……なさい……」

 男の手によって抱き起こされ、全身に鳥肌が立つくらいに不愉快だったが、滑稽にも男の顔色を伺いながら、俺は謝罪の言葉を口にしていた。

「臨也がお漏らしするから、俺がぜーんぶ洗ってあげたんだよ?」
「……ぁ……、」

 びしょびしょの頭と顔をタオルで拭われ、俺は目を逸らすこともできずに、あの失態を思い出して赤面して打ち震えた。羞恥と恐怖と。また同じようなことをされるに違いない。謝罪を。謝罪の言葉を。俺が口を開けようとするより早く、男が俺の頭を掴んだ。

 途端、顔面を打つ熱いもの。

「――ッぶ、ん゛ん゛ん――ッ」

 浴槽のへりを掴もうともがくが、どこを掴んでいいのかもわからずに、パニックを起こしながらもがく。強い力が頭を押さえつける。目が痛い。水を吸った鼻が痛い。耳の中へも熱いものが流れ込んでくる。声を発そうとしては、口の中へ入ってくる水をがぼがぼと飲んだ。何も見えない。耳の中がうるさい。顔が張り詰めるような感覚。眼球が飛び出しそうなほどの圧迫感。熱いのは湯のせいだけではない。くるしい。はれつしてしまう。意識が白む。身体が弛緩しそうになる。

 ――ピンポーン……

 水音に紛れ、遠くでチャイムが鳴る音を聞いた。男の手の力が一瞬弱まったのを感じて、俺は最後の力を振り絞って、頭を上げた。

「ぶッ、はぁ! ぶあッ、ひ、げはッ、は、ひ、ひぃ……」

 鼻からも口からも水を噴出し、鼻の奥のきんきんとした痛みを堪え、顔を押さえながら荒い呼吸を繰り返した。何度も何度も水を吐いた。
 男は、黙って玄関のある方を見つめていた。どこか警戒したような顔つきだ。どうやら、あれは耳鳴りではなかったらしい。確かに、来客のようだ。

 俺は一人、うるさく咽込み、水を吐き続けた。床に横たわれば、また腹が痙攣して、口端から水を噴く。目の前が白い。確かに生きているようではあるが、俺の中で、俺は半分死んでいた。男は俺を見下ろした後、「静かにしろ」と低い声で唸り、俺の腹を踏みつけた。勿論、俺は更に咽込んだわけだが、男は脚を離して、玄関の方へ歩いて行った。

 ――ピンポンピンポンピンポーン……

 急いたようなチャイムの連打。汚い天井を見つめながら、俺の呼吸は次第に落ち着いていった。なぜかこのチャイムが心地よかった。この時間だけは、男に虐げられずに済むからかもしれない。玄関が開いたら、奇声を発してやれば、不審がられるだろう。しかし、焼けるように痛む喉では叫ぶことができそうになかった。今叫んだら、本当に頭が破裂してしまいそうだ。最悪、逆上した男は俺を殺すかもしれない。もうどうでもよくなった。どうせおれは死ぬんだ。今までの俺ならこんなこと考えもしなかっただろうけれど、もう、あきらめた。いつかは死ぬのだ。それが、今日であっただけだ。

「はいはい、今出ますよ」

 僅かに苛立った声を上げた男が、玄関のドアをガチャリと開ける音がした。ガチャガチャと耳障りな音は、チェーンをつけたままだからだろう。
 次に、ガシャアアアン、と、風呂場までうるさく届く音がした。
 え、なんだろう。
 少し揺れたような気さえした。

 更には、どさり、ゴツ、ガチャン、と鈍い音と、何かが落下するような音がした。
 え? え?

 かと思えば、コツリコツリと、靴でも履いているかのような足音が廊下を進んでくる。
 え? だれ? なに?

 足音が近付いてきたかと思えば、
「やっぱりくせえ……」 と、聞き知った声が聞こえた。
 まさか。



 ――まさか。




「…………おい、なんでこんなところで伸びてやがる……ノミ蟲が。殺してやろうか?」

 天井からゆっくりと視線を下ろす。
 風呂場に現れたのは、憎んで止まないあの男。

 なぜ。どうしてここに?

 口にしようと思ったが、盛大に咽て、俺はまたタイルに転がった。

 ああ、みっともないみっともない。さいあくだ、さいあくだ! こんな姿。こんな失態。傷だらけで。ぼろぼろで。本当に蟲のよう。水をかけられてもがく、小さな蟲のよう――。

 それでも、おれは、生きている。

 シズちゃんは俺の身体に被せるように、バスタオルを投げた。その顔は怒りに満ちているようで、俺を馬鹿にしようと言葉を探っているようで――、それでもとても、辛そうな顔を隠すことができない、不器用な男の顔だった。

「……うん、殺してもいいよ。でも、もうすこし後でも、いいかなぁ……?」

 ――ああ、そうだ。あの乱暴なチャイムの鳴らし方。シズちゃんが俺の家を訪れるときに、いつもやっている――。

 俺は力なく微笑んだつもりだ。泣いているかもしれないが、これだけびしょ濡れなんだ、君は気づかないだろう? 気づかないよ。だから、そんな顔は似合わないよ。気持ち悪い。
 
 身体がふわりと浮いたかと思えば、シズちゃんが自分が濡れるのも気にせず、俺を抱えているのだった。
 その安心感ときたら、まあ。俺の意識は簡単に落ちていくのがわかった。さり気なく、シズちゃんの胸に頭を預けた。



 
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