駆け込み降車は危険ですので
月島静雄×八面六臂臨也
という名の静臨パラレルっぽい
自分設定な月六(静臨)です
俺が「月島」と出会ったのは、つい一日前のことだった。
出不精なお得意さまと顔を合わせるために赴き、簡単な仕事を済ませての帰り道。
自由に身動きが取れない程度に混んでいた電車内で、彼は俺の真正面に立っていた。
身体の向きを変えようにも、向かい合ったその場から僅かにすら動くことができなかったので、俺はぼんやりと彼の腹あたりに眼をやっていた。
その長身の男は吊革を掴み、片手には何かのパンフレットを持ち、真剣にそれを読んでいるようだった。
ちょうど俺の眼の位置にあるアクセスマップの面が嫌でも目についた。光が丘で本日何かのイベントがあるらしい。
この人は光が丘に行くのか――――この恰好で。
どうでもいいことだったが、バーテン服にサングラス、加えて長いマフラーは強烈な印象を与えた。
最近あまりにも暖かいので、誰もが薄着になり始めていた。俺のお気に入りのファーコートも一旦お役御免だと片腕に抱えながら、車内の熱気に僅かに苛立っていたものだから、長いマフラーが視界にちらつく度に彼は正気かと思っていた。
『月島、月島です。お出口は――』
車掌のアナウンスが響いて扉が開いたときの、彼の絶望的な表情が忘れられない。
慌てた様子で経路図を見直して頭を掻けば、隣に立っている人に肘鉄を食らわせて、今度はペコペコと頭を下げているものだから、俺はさり気なく顔を背けて笑った。
そしてどこか狼狽した様子の彼の背後から、唐突に「降ります!」と急いた声が聞こえてきたと思えば、身体をねじ込んできた女性と共に、彼はホームへと押し出されてしまった。
『扉が閉まります、ご注意ください』
ゆっくりと動き出す電車の中から、思わず見開いた眼で彼を追ってしまった。ホームの彼と眼が合った。そのまま、なぜか俺たちは見つめあった。途中で俺は堪えきれずに噴出してしまったけれど。もう会わないだろうからさ、ごめんね、と心の中で謝罪しながら、俺の口端はひくひくと震えて釣りあがっていた。彼は段々と後方へ行ってしまう。まあ、正しくは俺たちが進んでいるのだった。間抜けな顔をした彼と、『月島、月島――』、あのアナウンスが嫌に耳についた。
そこで俺は印象的な彼を思い出すとき、彼のことを「月島」と呼ぼう、そう思っていた。
#
思い出にしようとしていた月島は、今日も電車に乗っていた。
月島駅から、俺と同じ車両に乗り込んだ。更に付け加えると、彼は俺の隣の座席に腰掛けてきた。
――もう会わないと思ったんだけどなぁ……。
昨日笑ってしまったことを彼は気にしているだろうか、覚えているだろうか、……まあ、忘れてはいないだろうな。無意識に空いている座席に腰掛けたらしい彼は、一息つくと、急に顔を伏せた。理由は簡単だ。俺はまた先日と同じコートを膝の上に置いていたから(朝は寒かった、でも今はとても暑い)、月島は確実に俺に気づいている。
膝の上に握った拳を置いて、カチコチに固まっている。俺と顔を合わせまいと、気づかれまいとしている。
彼は知らないのだろうか? 金髪にサングラスにバーテン服、まだマフラーを巻いているのはきっと地球上で彼くらいしかいないということを。
傍から見ると、彼の目の前に立った大胆なミニスカートの女の子を意識して避けているようにも見えるので、早々に声をかけてあげることにした。
「月島くん」
俺は彼の名前を呼んだ。彼は驚いたことに反応した。「月島」が自分のことを指していることを分かってくれたらしい。「えっ」と声を上げ、俺の顔を見ると僅かに頬を赤らめた。可愛い好青年だね月島くん。俺はにっこりと笑ってあげた。この前は馬鹿にしたみたいに笑っちゃったからね。
「はァ、え……。俺っすか……」
彼はそう言うなり、何かに驚いたように俺の顔を見つめて来た。あまりにも情熱的に見つめられるので、俺から視線を逸らしたくなったほどだ。
「ああ、そうだよ君だよ、月島くん。俺の顔に何かついているかな?」
「いえ、そんな。あと、俺、月島じゃなくて、平和島って言うんすけど」
「ああ、そうなんだ。ちょっと間違えちゃったよ。月島からきた平和島くんね、間を取って月島くんだ」
彼の表情から見るに、明らかにこの命名には納得していない様子だ。
「昨日はどこに行くつもりだったんだい?」
出来る限り柔和にフレンドリーに問いかけたつもりだったけれど、彼はみるみる耳まで赤くなり、マフラーを引き上げて口元を隠してしまった。若いなー。俺より若いか、同い年くらいに見える。つまり俺も若いってことだけどね。
そのまま見つめていると、歯切れの悪い答えが返ってきた。
「いや、その。光が丘に用があったんすけど」
「行けたの?」
「なんとか……。大幅に遅刻しましたけど。えっと、その、昨日俺の前に立ってた人っすよね」
はは、と苦笑する彼はなんだか疲れきっているように見えた。
「そうだよ。昨日は笑っちゃってごめんね。あんまりにも初々しい様子だったからさ?」
「えーっと、何サンっすか」
「名前? そうだなあ、八面六臂」「え、はち……? そうだなあ、って」
「はちめん、ろっぴ」
「外人さんっすか」
「まさか」
「本名っすよね?」
「まさか」
「……変な人っすね」
彼は奇妙なものを見る目で俺を見た。
初対面の人間に向かってその言葉はないだろうと思ったが、そういえば昨日出会いを遂げていたのだなあと納得する。
「いや、月島から光が丘に向かうつもりだったんすけど。乗り換えしたら何故か月島に戻って来ちまってて」
「……もっと早く気づけなかったの……?」
「いやあ、俺、月島からあんまり出ないんで、さっぱりわかんねぇっす。世界は広いっすよね」
彼はマフラーから口を出して、にかっと笑った。
その純粋そうな、悪く言えば単純で悪い人間の餌食にされそうな笑顔は、なぜだか俺の笑いのツボを刺激するのだから、困ったものだ。
「また笑ってる……。俺、馬鹿にされてんすか」
「いや、いや、悪く思わないでくれよ。微笑ましいな、と思っているんだよ……っ」
膝の上のコートに顔を押し当てて、俺は一頻り肩を揺らした。
ちらりと覗き見れば、彼も恥ずかしそうに顔を覆っている。なんとも愛らしい人間だろう。
「それで、今日はどこへ行くのかな」
笑いで乱れた息が整ってくると、俺は気を取り直して尋ねた。
「今日はちょっと、新宿に……」
「ああ、そう。奇遇だね。俺も新宿へ帰るんだ。良かったね」
「何が良いんすか?」
「迷子にならないじゃない、俺について来さえすればいいんだから」
迷子、という言葉に彼は軽く歯噛みしていた。
「迷子じゃねぇし」
「迷子だろ、月島くん」
笑顔で肩に手を置いてやれば、月島くんは数秒前のささやかな反抗も忘れたのか、また恥ずかしそうに縮こまってしまった。やっと呟いた言葉は「六臂さんって、Sっすね」だった。
こうして俺は、迷子の迷子の月島くんとオトモダチになったのだ。
fin.
月島静雄が赤面していたのは、昨日の時点で八面六臂さんに惚れていたから、嬉しくて嬉しくて。