私は貴方の騎士

麗らかな春の昼下がり。普段はバトルサブウェイでその腕を磨いてばかりの私達だったが、気付けば船を漕いでしまうような陽気には勝てず、午後は家でゆっくりと過ごすことになった。
仲間達の静かな寝息を聞きながら、私は目を覚ました。自分が寝入ってからまだいくらも時間は経っていないようで、暖かな日差しが白いカーテンを通って、リビングの床にやわらかな光の模様を描いている。換気のために少しだけ開かれた窓から吹き込む風がカーテンを揺らし、光の模様は絶えずかたちを変化させていた。
そのなかに、動かない模様があった。いや、質量のあるそれを模様と呼ぶには可笑しな話だろう。黄色い園帽子に連絡帳、自由帳から切り取られたであろう紙がそこかしこに散乱していた。
それらは昼寝に入る前にはなかったものだ。
部屋を散らかした犯人が誰であるか容易に想像がついて、私は口元に手を添えてクスクスと笑った。


(小さな主様が帰ってこられた)


私達手持ちは、彼女を“小さな主様”と呼ぶ。それは私達が彼女のポケモンではないからだ。齢10歳にも満たない彼女は、トレーナーとしての権利を持たない。そのため、私の登録上のおやは彼女の母親となっている。
私達は小さな主様が好きだった。小さな主様と一緒にバトルをするのが大好きだった。
だから私は誓ったのだ。小さな主様が本当の主様になるその日まで命を掛けて御身をお守りすることを。他の誰でもない、自分自身に。
この意気込みを語ると、他の仲間から「大袈裟だなぁ」と笑われてしまう。馬鹿にされているわけではない。仲間達も私と同じくらい小さな主様が好きだ。ただ、私と彼らとで温度差があるだけだ。しかし、そんな温度差も気にならないのだから重症だなと、自分でも思う。
トレーナーを守りたいという気持ちはどんなポケモンにもあるだろう。その気持ちを殊更強く持っているのは、それはサーナイトという種族の性だろうか。サーナイトは、心の通いあったトレーナーを守るとき、最大パワーのサイコエネルギーが発揮されるという。要は火事場の馬鹿力というものだ。自分の実力以上のサイコエネルギーを出した時、この身体は一体どうなってしまうのだろう。喩え、自らが作り出した小さなブラックホールに飲まれてしまっても、小さな主様を守れるなら悔いはない。


「モルガナ、起きたの?」


小さな主様に近付くと、可愛らしい甲声が私の名前を呼んだ。私の返事を待たず、「ちょっとこれ見て!」と、小さな主様は傍に置いた黄色いカバンから1冊の本を取り出した。
それは絵本だった。ポケモンである私に人間の文字は読めないが、表紙には小さな主様が好きそうな、ピンクにフリフリとしたドレスに身を包んだ女性が描かれている。おそらくは絵本の主人公で、お姫様だろう。小さな主様はポケモンバトルの他に、可愛いお姫様が出てくる御伽噺も好きだった。
私は小さな主様を見詰め返して、『この絵本がどうかしましたか?』と尋ねる。勿論言葉は通じないので、首を傾げて意思疎通を図るのだけれど。


「モルガナはサーナイトっていうポケモンなのよね?ナイトは騎士っていう意味なんでしょう?このご本に書いてあったわ。サーナイトはわたしの騎士さま?」


小さな主様は目をキラキラと輝かせて言った。
絵本を開いて、小さな主様はひとりの人間を指差した。鎧に身を包んだ男性が、おそらくは小さな主様が言っていた騎士という人物だろう。美しいドレスに身を包んだお姫様に騎士は跪き、掬い取った手のひらにキスを贈っていた。


「騎士さまってカッコいいんだよ。だってお姫様を悪い人やポケモンから守ってくれるんだから!モルガナもいつもわたしを守ってくれるよね。だからモルガナはわたしの騎士さまだよね?」


閉じた絵本を大事そうに抱きしめて、小さな主様は期待に満ちた目で私を見詰めた。
そんな小さな主様がたまらなく可愛く思えて、間髪入れずに頷こうとした時だった。ガチャリと扉が開くと同時に、「こら!」とたしなめるような叱り声が聞こえてきた。


「またお前はそんなことを言って……モルガナは女の子でしょう。騎士は男の子がするものなの。あんまりおかしなことを言ってモルガナを困らせちゃだめよ」

「おかしなことなんて言ってない!じゃあなんでサーナイトには騎士さまが入ってるの?モルガナだって騎士さまになれるわ。わたしも騎士さまが欲しい!」

「騎士っていうんならエルレイドの方がそれらしいんじゃない?まあ、モルガナは女の子だし、そうでなくてももう進化しちゃったから無理でしょうけど……どうしても騎士様が欲しいって言うならオスのラルトスをゲットして来る?」

「やだ!」


部屋に入ってきたお母様が苦笑混じりに言った言葉に、小さな主様は鼻面を赤くさせて、喚くように反論した。


「モルガナがいいの!モルガナじゃなくちゃだめなの!わたしの騎士さまはモルガナしかいないの!!」

「あらあらまあまあ、そんなに意地になってどうしたって言うのよ……」


お母様は洗濯物を回収にきただけだったらしい。お母様が早々にリビングを去ると、それまでお母様が去っていった扉を睨みつけていた小さな主様がこちらを振り向いた。


「騎士さまはいつもお姫様を守ってくれるの。だから、モルガナは、わたしの騎士さまよね?女の子だって騎士さまになれるよね?」


むせび泣きながら、小さな主様は訴える。顔を真っ赤にして憤る姿は年相応だ。しかし、ポケモンへの優しさや思いやりの心を人一倍持っていることを私は知っている。
サーナイトの進化前であるキルリアや、明るい感情からサイコパワーのエネルギーを得る。楽しい気持ちは勿論、他者を思いやる優しい感情もそれに該当する。
小さな主様とは彼女が赤ん坊で、自分がラルトスからの付き合いだ。赤ん坊は感情のコントロールを知らない。いわば剥き出しの状態だ。だから泣いてぐずった時は悲しみだけがダイレクトに伝わってきて近付くことさえできなかったが、笑ったときのエネルギーは何事にも替えがたいものだった。
――いや、果たしてそうだったろうか。
確かに、小さな主様が泣いているときは近付き難かった。笑ったときは幸せとエネルギーをもらえた。しかし、果たしてそれだけだっただろうか。いいや、違う。ある時、お母様がどれだけあやしても泣き止まないことがあった。私はトレーナーであるお母様も大好きだったから、なにか力になりたくて小さな主様に近付いた。その時だった。それまで泣いていた小さな主様が、私の顔を見て笑ったのだ。


(そうだ。だから私は誓ったんだ。あの時、あの瞬間。この笑顔を、貴女を守っていきたいと……)



いまだ泣き続ける主様の姿を見て、私は笑うように目を細めた。


『私は貴女を守るために進化した。貴女を守るために強くなった。貴女を守るのが騎士ならば、私は喜んで騎士になりましょう』


貴女に言葉は伝わらないから。
ふくふくとした小さな手を拾い、騎士の真似事のように跪けば、小さな主様は満足そうににかっと笑った。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -