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「げほ、げほっ」


 咳をするたび、喉に焼け付くような痛みが走る。最悪だ。思わずそう漏らしたが、声は自分でもおかしいとわかるほどに掠れていた。どうやら、満足に声も出せないほど喉が腫れているらしい。もっとも、唾を飲み込むだけで喉に強烈な痛みが走るのだ、その認識は今更だろう。
 カーバンクルが心配そうに主の顔を覗き込み、小さい声で鳴いた。彼らは獣であり、さらに言えばカードの精霊だ。心配することはできても、彼の看病をすることはできない。悲しそうな顔をするカーバンクルを安心させようと、ヨハンは微笑みを浮かべた。実際、風邪なんて寝ていれば案外治るものだ。

 ……とは言ったものの、何か胃に入れて薬を飲まなければ、治るものも治らないのは確かだ。しかし如何せん、熱のせいか体がだるく、ベッドから起き上がる気力がない。キッチンに果物があったような気がするが、取りにいけない。それに今刃物を使うと、手元が狂って指の皮を剥いてしまいそうだ。ヨハンは溜息をついた。その溜息すら熱いのが鬱陶しい。
 こんな時、一人で暮らしているのが恨めしい。誰かしら人が居れば、状況は違っていただろう。
 しかし自立を決めたのは自分だ。今更こんなことを考えても仕方がない。とにかく今自分にできることといえば、眠ることくらいだ。ヨハンは再び咳き込み、痛む喉をさすりながら布団を被った。被ると暑いが、被らないと寒い。風邪というのは本当に厄介だ。

 寝てしまえば苦しくなくなるだろう。そう考えて、ヨハンはきつく目をつぶった。



***



 いつから、どのくらい眠っていたのだろうか。頭の辺りに違和感を覚えて、ヨハンはぱちりと目を開く。なにやら、額が冷たい。先ほど一瞬感じた違和感は、この冷たい何かのせいらしかった。少し首を傾けて視線をめぐらせると、薬箱を開いて難しい顔をしている、青年の姿が目に入った。


「……じゅうだい?」


 ここに居るはずのない、けれどこれしか思い当たらない、その名前を呼ぶ。すると青年はくるりと振り返って、よう、と快活な笑顔を浮かべた。

「十代……なんでお前、ここに……」
「何でって。オレ、お前ん家の鍵もらったじゃん」

 十代はそう言って、サイドテーブルに置いてあった合鍵を指差す。世界中を旅している十代は、稀に近くに来たとき、ヨハンの家を訪れる。そんな時のために、合鍵を渡してある。そういえばそうだった、とヨハンはなんとなく情けない気持ちになりながらぼやき、体を起こした。まだ少しくらくらするが、起き上がっていられるぐらいには回復したようだ。額からするりと湿ったタオルが落っこちた。

「……これ、お前が?」
「ん?ああ、なんか苦しそうだったから」

 十代は素っ気無く答えて、手元の薬箱に視線を落とす。どれがどの薬なんだ、どれが効くんだ、と薬の箱を引っ張り出しては戻し、引っ張り出しては戻しを繰り返す。……正直、わからないのに勝手に見繕われても困るのだが、彼の気持ちだけはありがたく受け取っておこう。ヨハンはそう思い、薬は後でいい、と十代の手から一つ箱を取り上げた。……どう見ても胃腸の薬だ。

「つか、薬の前になんか食わねーと胃が……」
「お、それもそうだな。キッチンにリンゴがあったから、勝手に剥いちまったけど」

 十代はそう言って、いくつかリンゴが乗った白い皿を差し出してきた。萎びていないあたり、おそらく塩水に浸けてあるのだろう。変なところで気の回る奴だ。ヨハンが一緒に乗っていたフォークに手を伸ばそうとすると、十代の手がそれを掠め取った。何をするのかと視線で訴えると、十代は小さめの一つのリンゴを突き刺し、ヨハンの口元にずいと突き出した。

「ほい。あーん」
「……何してんだよ」
「何って、食わせてやろうと思って」
「自分で食う」
「まあまあ、遠慮すんなよ」

 早くしないとオレが食っちまうぞー、と十代は笑う。何を考えているのか、さっぱりわからなかった。

 けれど本当に食べられるのも癪だ。ヨハンは言われるがまま、渋々口を開く。十代が笑顔のまま、ヨハンの口にリンゴを運んだ。少し塩気のあるそれは、蜜がたっぷり入っていて甘い。思わず感想を漏らすと、うまいよな、と十代も同調した。どうやら勝手に食べたらしい。
 もっともそれぐらいで怒るほど度量は狭くないしそんな仲でもないが。

「もう一つ食うか?」
「……まだお前が食わせんのかよ。食うけど」
「了解」

 十代はもう一つ、リンゴにフォークを突き刺す。今度は大き目だった。これじゃちょっと大きいな、と十代は半分ほどをかじると、残った半分をヨハンの口元へともっていく。何故食べる必要があったのかと言いたかったが、あえてそこには触れずに、ヨハンは素直に口を開く。同じリンゴのはずなのに、どうしてか少し、甘くなった気がした。
 リンゴを租借しながら、まるで恋人同士だな、と思う。実際ヨハンと十代は恋人同士だ、間違ってはいないのだが、なんとなくむず痒い。眉をひそめるヨハン。十代も渋い表情をしていた。


「……なんか背中が痒い」
「あー……ああ、オレも同意だ。こういうの、やめようぜ……」

 真剣な十代の言葉に、ヨハンも適当に同意して、ミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばした。水を流し込むが、眠る前と違って、たいした痛みもなくすっと喉を通っていく。この調子なら、薬さえ飲めば明日には治っていることだろう。あまり風邪をひかないせいか、いつも風邪をひくと大惨事になるのだが、今回はそれほど悪化しなかった。まさに不幸中の幸いだ。

 ヨハンは十代の目の前にある薬箱に手を伸ばし、風邪薬を取り出す。十代がその様子を見つめながら、くすりと笑った。そちらに視線を向けると、十代はヨハンの方に手を伸ばす。

「薬さ、オレが飲ませてやろうか」
「………やめようぜって言ったばっかだろーが。いーよ、自分で飲む」
「なんだ、残念」

 あまり残念そうに思っていない口調で言いながら、十代が肩を竦める。ヨハンは溜息をついてから錠剤を口に含み、水で一気に流し込んだ。粒であろうと粉であろうと、薬はあまり好きではない。眉を寄せるヨハンを尻目に、十代は余ったリンゴを勝手に食べ始める。勝手に食うな、と言ってやりたかったが、残してしまうのももったいない。

「……なー十代」
「んあ?」
「リンゴ、うまいか?」
「さっき食ってただろ。うまいけど」
「そっか。……じゃあオレももう一個食う」

 ヨハンは緩慢な動作で、皿に乗っていたリンゴを手に取った。多少行儀は悪いが、果物程度なら手で食べてもあまり問題はないだろう。そう言い訳しながら、リンゴを自分の方へ持っていこうとした時だった。突如十代が首を伸ばし、ヨハンの指に摘まれていたリンゴに食らいついた。そのまま大して力を入れていなかったヨハンの手からリンゴを奪い取り、あっという間に租借し飲み込んでしまう。やっぱうまいな、と呟いて、十代は最後の一つにフォークを刺した。

「ほら、ヨハン」
「……お前さぁ。オレのことからかってる?オレで遊んでる?」
「バカだなぁ、何言ってんだよ。看病してんじゃん」
「………そりゃドウモ」


 なんとも複雑な気分だが、今は十代の言葉どおり、看病してもらっているのだと考えておこう。そう思いながら、ヨハンは再び口を開けた。リンゴは相変わらず甘かった。



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