木々が赤や黄に色付いてすっかり秋めく中庭の、大きな銀杏の木の下はお昼休みになると日陰なのにぽかぽかお日さまの陽が当たるからとても気持ちがいい。最近常連になりつつあるその場所で、今日は読書でもしようかなと分厚いハードカバーの恋愛小説を抱えて外に出た。空を仰げば、雲ひとつない高い空が視界いっぱいに広がる。


(…あ、)


漏れかけた声を手で抑えた。私の目的地であった銀杏の木の下に誰かが横たわっている。近付いてその顔を覗き込むと、それはトウヤくんの整った寝顔だった。穏やかな寝息を立てるトウヤくんの頬に茶色い髪が少しかかっている。私はトウヤくんの側にしゃがみ込んでそうっとその毛束を払った。すると閉じていた目蓋がゆっくりと開いて、ブラウンの瞳と視線が絡む。ああ、起きちゃった。正解に言うと起こしちゃった。トウヤくんは何も言わずにまっすぐ私の目を見たまま、髪を払って空中を泳いでいた私の手首を掴んだ。その唇がにやりと弧を描く。妖艶という言葉は高校生には似合わないけれど、トウヤくんには不思議とぴったりだ。


「…何してんの?」
「なんにも?ほっぺたにかかってた髪、避けただけ」
「なんだ。てっきり俺のこと襲う気かと思った」
「そんなことしないよー」


トウヤくんじゃあるまいし。そう笑えばトウヤくんはよく分かってんじゃん、と腹筋だけで起き上がった。さっきとは違い、同じ高さにトウヤくんが居る。
それにしてもトウヤくんがここに居るとは思わなかったから少しびっくりした。ここが気持ちいいって知ってるのは私だけだと思ってた。でも共有する相手がトウヤくんならなんの不満もない。逆にとても嬉しい。
トウヤくんは木の幹にもたれ掛かった。私も倣ってその横に肩を並べる。右肩の温度が少し上がるのを感じながら、恋愛小説の表紙を捲った。
しばらくの間、中庭にはさわさわと揺れる木々の音と私がページを捲る音しか流れなくなる。一緒にいるけれど言葉は交わさない。交わさなくても空気は重たくならないから、私はトウヤくんの隣で本を読むのが好きだった。


「…ねえ、トウヤくん」


ブラウンの瞳がこちらを向いた。私がトウヤくんを見るとあんまりにも近すぎてしまうから、私は視線を本に落としたままだ。トウヤくんの彼女になってから結構経つけど、未だに至近距離で話すとどきどきしちゃって耐えられないから、ね。
トウヤくんがなに?と私に続きを促した。うん、と笑って息を吸う。秋の空気はひんやりとして美味しい。


「月が綺麗ですね」
「……夏目漱石?」


言い当てられて、えへへといたずらっぽく笑う。流石トウヤくん、すぐに意味を分かられてしまった。「なにいきなり」と聞かれて返答に迷う。シチュエーションとしては今は明るい昼下がりだから全く合ってないんだけど、なんとなくそういう気分だったと言えば分かってくれるだろうか。
くすっと笑ったトウヤくんに今さら照れが込み上げてきて、また本に視線を落とした。同時に大きな愛しさが胸をきゅうと締める。


「日本人って風流だよね」
「ちょっとくさい気もするけど」
「まあ、こんな日くらいいいじゃない」
「…こんな日?」


きょとんとした様子で聞き返してきたトウヤくんに笑みが漏れる。想像通り、やっぱりトウヤくんは記念日なんか別段気にしてなどいないらしい。男の子ってそうだよなあと割り切っているからとくに悲しくもないんだけれど。
顔を横に向けると目が合った。心臓がやわらかく鼓動を速める。トウヤくんは秋の色だ。瞳だって髪の毛だって綺麗な茶色で、紅葉の赤や銀杏の黄がとてもよく似合う。だからっていう訳じゃないけど、一緒に居てすごく落ち着けるのがトウヤくんなのだ。


「私たちが付き合ってから1年経ったんだよ」
「ああ、そっか」
「早いよねえ」


感慨深く呟けば、トウヤくんは私の頭に手のひらをぽんと載せてそうだなと答えた。ああもう、こういう仕草のひとつひとつにきゅんと来てしまって私ぞっこんだなあと自覚する。1年経っても全く変わらない感情が、なんとなく嬉しく思った。


「…さっきの答えだけど」
「?」


「月が綺麗ですね」のことだろうか。トウヤくんは私の耳に顔を寄せた。膝に抱えていた本がばさりと落ちる。ざあっと秋風が音を立てたけれど、トウヤくんの声は私の耳にストレートに響いた。


「俺、死んでもいいよ」



言葉にすれば甘いだけ<