窓ガラスを木枯らしが叩く。秋に近付くにつれ気温は下がり、教室内でも肌寒い。
私は近くの自販機で買った温かいココアの缶を、カーディガンの先から短く出した指先で握った。火傷まではいかないけれど、じんわり指先を暖める熱に意識を集中させ、緩やかに流れる時間の一時を楽しむ。


「あったかい…」
「そんなに?」
「そんなにー」


幸せな気持ちに机に突っ伏したまま、にへら、と緩んだ頬も自重せず返す。そんなに?と聞いた隣の席のトウヤはそんな私を見て無言のまま呆れ顔をした。
コートにくるまっていた私に変な物でも見るような視線を向けたチェレンといいトウヤといい、私を何だと思ってるのかしら。


「突然寒くなったんだから仕方ないでしょ。寒さに耐性が無いんだから!」
「今からそれだと冬本番乗り切れないんじゃね」
「大丈夫!いざとなったらヒノアラシを服の中に忍ばせる」
「うわあ」


「そんな反応してトウヤだってポカブを服の中にいれるんでしょ!」と反論したら「しねーよ」と言われた。
おかしい、ベルは「うんうん、入れるよねえ」って同意してくれたのに。


「馬鹿なこと言ってんなよ、それ飲んだら続きな」


トウヤの言葉が私を現実に引き戻した。期限が今日までの委員会に提出しなくてはいけないプリントが数枚、机の上には乗っている。
半分以上は有難いことにトウヤが終わらせてくれたのだが、私がその存在をすっかり忘れていたために「お前もやれよな!」と憤ったトウヤに残りは私がやるという約束を取り付けられてしまったのだ。流石に全部やってくれる優しさはないらしい。
まあ普段のトウヤからしたら「全部やれよな」と言われそうなのでこんなこと珍しいのだろうが。


「ほら、さくさく終わらす」
「う…手が悴んで書けないの、ちょっと暖めさせて!」


勿論手は動かないまでに冷えきっている訳でも無いし、本音はただやりたくないというだけなのだが「そういうのって手だけあっためても変わらないんだぜ」とトウヤは私の握る缶を指した。


「えっ?そうなの?」


「そうそう」とにこやかな笑顔で頷いたトウヤは音も立てずに席を立つ。そのままの表情を崩さず、ずんずん近付く顔の距離。睫毛が触れ合いそうな程に近付いてきたので気圧されるように「な、何してるの」と仰け反って聞く。
「嘘ついた罰」と言われ、投げ出されていた両手が重ねられて指が絡まった。トウヤの跳ねる茶髪越しに教室の一角が見えている。百人は入れる広い教室で、一メートル四方くらいの狭い範囲に二人きり。平均的計算式も吃驚の人口密度だ。時々トウヤは私の理解の範疇を越えた行動をする。
交互に結ばれた手から伝わる熱はココアの缶よりも心地よい温かさで、男の子って体温高い、とどこかで聞いたそれを直に感じた。


「お前本当に手、冷たいね」
「…冷え性ですから」


高くも低くもないトウヤの声が鮮明に聞こえる。思わせ振りな程に近付いたその距離は、それでもそこから縮まらない。
焦らすような行動に公共の場所だからという理性と、近付き過ぎて重なってしまわないかという本当に僅かな期待が頭の中に沸き起こる。対極する二つの感情の間で宙ぶらりんのままなのがもどかしくもなったり。
いや、でもこれ不純異性交遊だよ。場所を弁えなきゃ駄目だよ!


「ねえユメ」
「ななな、なんでしょう!?」


耳を掠めるような声に肩が跳ねた。
ひきつる口元に釣られて、喉に引っ掛かった言葉が押し合い圧し合いしどもる。


「なんか期待してる?」
「な、何を!?」


なの数一つ取っても動揺しているのは明白だった。それが分かっているからかトウヤくんはずっと嬉しそうな表情をしてる。何が楽しいんだかさっぱりだ。私が困惑するのを楽しんでるの?


「素直じゃないやつ」
「私はいつも素直!だって、常識的に考えて、だめ!」
「へえ、何がだめ?」
「…っき、す、とか」


私の答えを聞いたトウヤとの顔の距離が限り無く縮まり、ゼロになった。逃げ遅れた空気がむ、と唇から漏れる。
数秒して満足気な顔が離れ、するりと指先が抜けていった。


「ちょ、だめ、って言ったじゃん…!」


後ろ向きに机の上に乗ったトウヤが「禁止されるとやりたくなるものでしょ?」と小さく足を揺らしながら微笑む。
なにその屁理屈…!と唇を噛みしめることしか私には出来ない。
両手は解放されたが、それでもシャーペンを握る気はしなかった。体が熱くて、プルタブが開けられないまままだ温かさを残すココアを飲む気にもなれなかった。