006
「失礼致します、リスティアータ様」
「あら、ヴァンさん。こんにちは」
ヴァンが一人の男を紹介しにやって来た。主席総長のヴァン自らが取り立て、神託の盾に入団したのだと言う。
「…お初にお目にかかります。ラルゴと申します」
「初めまして、ラルゴさん。私はリスティアータと呼ばれています。よろしくお願いしますね」
「…は、」
低い声で、おそらく礼をして名乗っただろうラルゴだが、聞こえたのは随分高い所からだった。それに精一杯上を向き、にっこり微笑んで応える。
「お時間はありますか?よろしければお茶にお付き合い下さいな」
「ありがとうございます。喜んでご一緒させて頂きます」
誘いに応えたヴァンは慣れたものであったが、初対面のラルゴは訝しげに眉を顰める。見えていないと思い、隠そうともしてはいなかった。
一方フィエラは、にこにこと微笑みながら紅茶を淹れ始める。
「ラルゴさんはとても大きな方なのですね」
「…はぁ…」
のんびりと話しかけたところで、漸くラルゴの様子に気がついた。
「あら、どうかなさいました?」
「いえ…」
「…ラルゴ、座ったらどうだ?」
「まぁ!ずっと立っていらしたんですか?どうりで最初より高い所から声がすると…。どうぞ、お掛けください」
何と答えたものかと口籠るラルゴを見かねたヴァンの助け船にはフィエラが驚いた。てっきりヴァンに倣って座っていると思っていたのだ。
ヴァンに再度視線で促され、ラルゴはようやく席に着いた。
お茶の時間は穏やかなものだった。
とは言え、会話するのはヴァンとリスティアータばかりで、ラルゴ自身は時折相槌を打つだけの置物と化しているのだが。
ふと、リスティアータがこちらに顔を向けた。
「ラルゴさん、お顔触らせて下さい」
「ぐっ、ゴホッ」
間悪く紅茶を飲んでいた最中であった為に、盛大に噎せ返った。噴き出さなかったことに、一先ず安堵する。
「だ、大丈夫ですか?」
「ゴホッ…はい、失礼を…」
「私の所為ですね…ごめんなさい…」
見るからに悄々と項垂れたリスティアータに、ラルゴはヴァンをちらと見てから席を立った。
「ラルゴさん?」
巨躯に似合わぬ静かな動きでリスティアータの傍らに跪くと、そっと華奢な手をとった。
「あ…ありがとうございます」
「…いえ」
意図を察したリスティアータが礼を言われても、言葉少なに応える。別に、優しさから触れることを許した訳ではない。事前にヴァンから命じられていただけだ。願いには可能な限り応えて差し上げるようにと。
触れてくる手が擽ったい。何が楽しいのか、立派なお髭、と顎を何度も撫でられた。
ところが、
「ぁ・・・・・」
眉から瞼、鼻筋へと進むにつれて、リスティアータの表情は見る見るうちに強張っていった。
明らかな変化にヴァンも気づき、訝しむ。
「リスティアータ様?どうかなさいましたか?」
気遣って声を掛けても、何でもないと言うだけで答えようとはしない。しかし、ラルゴから手を離し、暫く酷く迷った様子で黙り込むと、おずおずと口を開いた。
「あの、ラルゴさん…。もうひとつ、お願いをしても…いいですか?」
「何でしょうか」
「抱き締めて、頂けませんか?」
「!?」
突然、何故?
そう疑問に思っても、尋ねる事は出来なかった。ヴァンも、ラルゴも。
「・・・・・」
何故だろうか。大人びた態度だったリスティアータが、まるで迷子になった子供のように見えるのは。
ラルゴは目を細めた。
「…リスティアータ様が、お望みなら」
華奢なリスティアータは、腕の中にすっぽりと納まった。ラルゴと比べれば、小さな子供と大差ない。しかし、その小さな体を抱き締めると、思い出さずにはいられない事がある。
………メリル…
預言に詠まれていたから。
ただそれだけの理由で奪われた愛しい我が子。
預言さえ無ければ、こんな風に娘を抱き締められる日が来ていただろうにと。体の中で、預言への憎しみが燃える。
しかし、同時に不思議な心持ちだった。
ヴァンから預言を宿す者だと予め聞いていた。殺意を、憎悪を、抑え込む自信がなかった。実際、冷たく無礼な態度であっただろう。
しかし、彼女の人となりに触れると、何故だろうか?まるで忘れてしまったかのように、澱んだ憎悪が湧いてこない。
…いや、忘れてはいない。しかし、リスティアータを、彼女を、憎いとは…思わなかった。
「…ありがとうございました」
そう言って離れたリスティアータにハッと我に返る。
「我が儘を言って、ごめんなさい」
「いいえ、お役に立てたのでしたら…構いません」
「ふふ、本当にありがとうございます、ラルゴさん」
そうしてふんわりと笑ったリスティアータを見て、あぁ、とラルゴは答えを見つける。
重ねているのだ。亡き妻、シルヴィアと。
年齢も、性格も、外見も、何一つ似ていないのに、柔らかく、ふわりと笑ったその表情が、
奪われ、抗い、絶望し、疲れ果て、総てを諦めた末に、自ら命を絶ったとは思えない程に穏やかだった・・・・妻の、死に顔に。
「・・・・・っ」
ぐっと、奥歯を噛み締める。
憎しみで溢れるラルゴの中に何かが生まれた。
それが、何故だか苦しかった。
再執筆 20080720
加筆修正 20160409
もう一度抱き締めて欲しかった。
もう、叶わない願いだけれど。
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