Metempsychosis
in Tales of the Abyss

005

その来客は突然だった。
神託の盾(オラクル)の主席総長が代替わりをしたために、新任の者が挨拶に来たと世話役から伝え聞いたフィエラは、珍しいこと、と思った。今だかつて、新任の挨拶に来た者などいなかったのに。…フィエラが知らないだけかも知れないけれど。

「お通しして下さい。お茶の用意もお願いしますね」
「かしこまりました」

ノックの音がした。

「どうぞ」
「…失礼致します」

扉の向こうから聴こえた男性…いや、まだ青年か…は、まだ若いが深みがあり不思議な威厳を感じる声の持ち主だった。
ドアが開き、微かな衣擦れ、ドアが閉まり、また微かな衣擦れ。おそらくこちらに向かい敬礼をしているのだろう。一連の動作総てがとても静かで、洗練されている。彼が本気になれば、一切の音も気配も絶てるのだろうなと思うほどに。

「こんにちは」
「…お寛ぎのところ失礼致します、リスティアータ様」
「ようこそお越し下さいました。よろしければ、こちらにお掛け下さい。今、お茶のご用意を致しますので」
「…はぁ」

対面の椅子へ座るように促すと、相手は戸惑ったように口籠もる。

「暇を持て余しているので、ご迷惑でなければお茶をご一緒して頂けませんか?」

追い討ちをかけるように言えば、青年がふっと笑ったのが分かった。

「…喜んでご一緒させて頂きます」

青年が座ると、世話役がティーセットを運んで現れる。しかしそれらをリスティアータの前に置いただけで去ったのを見て、青年が訝しげな顔をするのを感じてふわりと笑う。

「私の趣味の1つなので、こうしてもらっているんです」

そう言うだけあって、指先で物の位置を把握し、手慣れた様子で二人分のお茶を淹れるリスティアータに、最初は内心で不安を感じていた青年もほっと肩を撫で下ろした。茶葉を蒸らす為にティーポットに厚布を被せると、フィエラはそういえば、と手を打つ。

「新任の方とお聞きしました」
「は。ヴァン・グランツと申します」
「ヴァン様ですね。覚えました」
「私はそのような敬称で呼んで頂く身分では御座いませんので…」
「では、ヴァンさんで」
「リスティアータ様…」
「あら、駄目ですか?これ以上は譲れませんよ?」
「…分かりました」

やや渋々ながらもヴァンが頷くと、フィエラはにっこりと微笑んだ。


趣味の1つと言うだけあって、リスティアータの淹れた紅茶は大変美味だった。ヴァンとて茶の淹れ方の知識はあるが、ここまでの色、香り、味を引き出せない。

「あの、ヴァンさん…」
「何でしょうか」

心地好い香りに知らず肩の力が抜けていた事に気づき、ぐっと自制した時だった。何やらリスティアータがそわそわとしている。
その口から続いた内容に、

「お顔、触らせて頂けませんか?」
「は?」

思わず目が点になった。
何故?と思うのと同時に、リスティアータの閉ざされた目を思い出す。今までにも思った事だが、彼女は視界が閉ざされている分、他の感覚がかなり研ぎ澄まされているようだった。分からないのは色くらいのものだろう。

「リスティアータ様がお望みとあらば。お手を導いた方がよろしいですか?」
「まぁ、嬉しいわ。そうして頂けると助かります」

ヴァンはリスティアータの傍らに片膝を着くと、傷一つない白い手を、自らの頬に導いた。輪郭から頬へと、手入れの行き届いた手が顔を滑るのに任せながら、同時にそっとリスティアータを観察する。

自らが忌み嫌う預言を宿した少女。
その存在総てに違和感を感じずにはいられない。
この世界に在りながら、ふわふわと、独りだけ宙に浮いているかのようだ。
何より気になるのは、両目を閉ざす理由である。
指が眉から瞼へと滑る。

「・・・・・」

そもそも挨拶に訪れる必要など無かった。
しかし神託の盾主席総長ともなれば、神託の盾騎士団内の総てを把握する。リスティアータについても、当然引き継ぎをした。人間であると知り、興味を持った。利用価値は、あるのかと。
指が鼻筋を通り、唇を撫でる。

ヴァンの預言に対する嫌悪感は強い。憎悪と言っても相違ない。
それを体内に宿す少女は、にこにこと微笑みながらヴァンの顔に触れている。なんとも無防備に。
両の手が、頭髪に触れる。

少女を殺すのは簡単だ。
腰に提げた剣で切り捨てれば簡単だ。
その細い首を折るのでさえ、造作もないし血も出ない。
しかし、

「・・・・・」

湧かなかった。嫌悪も、憎悪も、怒りさえも。代わりに湧き出るこの感情は何なのか…。ぽつりと浮かんだ言葉は、憐れ、だった。…同情、している?自分が?ヴァンは戸惑いを隠すように静かに瞬き、リスティアータを見る。『目が合った』彼女はにっこりと微笑む。

「ありがとうございました。とても凛々しくて、素敵なお顔ですね」
「…ありがとうございます」

面と向かって褒められて、流石のヴァンも微かな照れを感じた。それを隠して席に戻る。紅茶は少し冷めていたが、変わりなく美味しかった。

リスティアータを見る。顔を触れたからなのか、最初よりにこにことしている。

「…リスティアータ様」
「はい?」

こてんと小首を傾げるリスティアータに、気になっていたことを訊く。

「失礼を承知でお訊ねしますが、その両目は…」
「…ああ、これですか?」

ふっと嗤って自らの瞼に触れたリスティアータの顔は硬く歪み、泣いているように見えて、

「開かないようにしているんです。…視たくないものばかり見えるので…」

忌々しいものを語るかのように言ったリスティアータの声は、これまでにない程沈んでいた。

「お茶のお代わりはいかがですか?」

ぽむ!と手を合わせリスティアータが殊更明るく言う。雰囲気を払拭するのに合わせ、ヴァンも「頂きます」と応えた。



色々な話をした。
とはいえ、外界を知らぬリスティアータが話せる事など少なくて、訊かれたことにヴァンが応えることがほとんどだった。任務で訪れた街の話、変わった植物の話、恐ろしい魔物の話等も、リスティアータはにこにこと楽しそうに聞いてた。その穏やかな時間は思いの外有意義で、あっという間に夕刻になっていた。

「すっかりお邪魔してしまいました。陽も沈みますし、お暇させて頂きます」
「まぁ。もうそんな時間ですか?お忙しいのに引き留めてしまって、ごめんなさい」

申し訳なさそうに眉尻を下げたリスティアータに、ヴァンは優しく笑って席を立つ。

「お気になさらず。とても穏やかな時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございます」
「こちらこそ、たくさんお話を聞かせて頂けて、とても楽しい時間でした。ご都合がよろしければ、またお茶にお付き合い頂ければ嬉しいです」
「ええ、喜んでご一緒させて頂きます」

ヴァンは最後に恭しく頭を下げて部屋を出た。数歩進んで振り返る。
視線の先には建物があった。太い骨組みがドーム状に組まれ、その多くには硝子が嵌め込まれている。細かい細工も施され、非常に凝った建造物である。
それを一見したヴァンの感想は、

「…まるで『鳥籠』だな」

そう思わずにはいられなかった。
上質な服を着て、食べるものにも困らず、豪奢な家具に、たくさんの使用人、欲しいものは何でも手に入る。これ以上なく恵まれた環境で、ぬくぬくと守られて、考えることもなく生きることが出来るリスティアータを羨ましいと思う者は多いだろう。替わって欲しいと願うのだろう。…ここで生かされる意味を理解出来ぬ愚か者は。

「…憐れだな」

認めよう。
自分はリスティアータに憐憫の情を抱いていると。
同時に決めた。
この世界に生まれたにも関わらず、誰もが平等に持つ筈のものを奪われ、囚われ、生かされている少女の、有効な利用法を…──────。


ヴァンは知らない。
彼が去った室内でフィエラがポツリと、

────…哀しいお表情(かお)をしている方ね。

そう、呟いた事を。


再執筆 20080718
加筆修正 20160409

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