アップルパイ・上
「大佐、リスティアータ様をお願いしますね!それじゃ!」
そう言うだけ言ってローズ夫人の家を飛び出したアニスに、聞こえてないだろうが「頑張ってね」と激励したリスティアータは、お茶請けに出されたローズ夫人お手製のアップルパイを一口食べて、素朴な味に思わず頬を緩ませた。
アニスとイオンを待つ間、ジェイドと共にのんびりと過ごすかと思いきや、その穏やかな空気はあっと言う間に破られた。
玄関の扉が大きな音を立てて乱暴に開かれると一人の少年が蹴り込まれ、後に続いて幾人もの村人達が入ってくる。
「ローズさん、大変だ!」
「こら!今、軍のお偉いさん方が来てるんだ。大人しくおしよ!」
開口一番そう大声を上げた村人に、慌てて椅子から立ち上がりながらローズが負けず劣らずの大声で怒鳴り返す。
その快活な怒鳴り声に「肝っ玉母ちゃん」の言葉が頭に浮かんで、リスティアータは思わず微笑んだ。
「大人しくなんてしてられねぇ!食料泥棒を捕まえたんだ!」
しかし常ならば大人しく引き下がったのだろう村人達も、今回は怯まなかった。
先程蹴り込まれた少年の襟首を猫よろしく掴み上げ、ローズに突き出す。
「違うって言ってるだろーが!」「ローズさん!こいつ漆黒の翼かもしれねぇ!」
「きっとこのところ頻繁に続いてる食料泥棒もこいつの仕業だ!」
「俺は泥棒なんかじゃねぇっつってんだろ!」
少年は半眼になって否定したが、怒り心頭の村人達は誰も聞く耳を持たない。
それどころか更に言葉を重ねてローズに言い募っている。
状況が今一理解出来ない為、リスティアータは口出しせずに大人しく傍観する事にして、また一口アップルパイを頂く。
すると少年はいい加減我慢の限界だったのか、襟首を掴んだ村人の手を勢い良く振り払って村人を睨み付ける。
「食いモンに困るような生活は送ってねーからな!」
「おやおや、威勢がいい坊やだねぇ。とにかくみんな落ち着いとくれ」
多分な皮肉を込めながらそう言ってのけた少年に、彼等に背を向けた状態ながらリスティアータは苦笑し、ローズも気分を害した様子も見せずにカラカラと笑った。
と、
「そうですよ、皆さん」
ジェイドの声が聞こえてリスティアータは内心で目を瞬かせた。
何故ならジェイドはつい今さっきまで自分の隣の席でお茶を飲んでいた筈だったからだ。
「大佐……」
ローズもいつの間にか傍に立っていたジェイドに驚いたように声を上げている。
(まぁ…軍人さんって凄いのね…)
どこか的外れな感想をリスティアータが抱いたのを余所に、少年がジェイドに視線を移した。
「なんだよ、あんた」
不遜な態度はそのままにそう言ってのけた少年の言葉を、ジェイド・カーティスという男を少しでも知る者が聞いたら皆が皆思うだろう。
あのジェイド・カーティスに何て口の聞き方を!…ーーーーーと。
知らないって幸せな事だな…ーーーーーと。
勿論、極々一部のとある人物を除いて、だが。
「私はマルクト帝国軍第三師団所属ジェイド・カーティス大佐です。あなたは?」
その当人も欠片程すら気にぜず滑らかに名乗ると、何気ない様子で相手の少年にも名乗るように促す。
「ルークだ。ルーク・フォン・ファ「ルーク!!」ぐぇっ」
その何気ない尋ね方に乗せられて、意気揚々と名乗り出した少年を遮って、今まで傍観していた少女が思い切り彼の襟首を後ろに引いた。
余りに勢いが強過ぎたのか、聞くからに苦しそうな声を少年が上げていたが、阻止自体は上手く言ったと言えるだろう。
勿論、それだけ慌てて隠さなければいけない名前の持ち主なのだと、分かりやすくもリスティアータに、当然ジェイドにも伝わってしまったが。
そのまま声を潜めて内緒話を始めてしまった2人を見据えながら、ジェイドは目を細めてズレてもいない眼鏡を押し上げた。
「どうかしましたか?」
適当な頃合を見計らってジェイドが声を掛けると、少女が少年を突き飛ばして向き直った。
「失礼しました、大佐。彼はルーク、私はティア。ケセドニアへ行く途中、辻馬車を乗り間違えてここまで来ました」
「おや、では貴女も漆黒の翼だと疑われている彼の仲間ですか?」
どこか事務的な感じを受ける説明を聞いてから更に言ったジェイドの問い掛けに、リスティアータは内心で苦笑する。
分かっているのにわざわざ訊くなんて、と。
「私達は漆黒の翼ではありません。本物の漆黒の翼は、マルクト軍がローテルロー橋の向こうへ追いつめていた筈ですが」
狼狽える事なく答えた少女、ティアの言葉に、ジェイドは「ああ…」と少し考える素振りを見せてから頷いた。
「なるほど。先程の辻馬車に、貴女達も乗っていたんですね」
「どういう事ですか、大佐」
2人の話を聞いていたローズは、その内容が理解出来ずにジェイドに尋ねる。
「いえ。ティアさんが仰った通り、漆黒の翼らしき盗賊はキムラスカ王国の方へと逃走しました。彼等は漆黒の翼ではないと思いますよ。私が保証します」
僅かに不安を滲ませた様子に、ジェイドが安心させるように説明する。
「ただの食料泥棒でもなさそうですね」
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