Metempsychosis
in Tales of the Abyss

028

深夜も過ぎた時刻。ダアト近郊の森林は、静かだった。時折吹き抜ける風に草木が揺らめく程度の音でさえ大きく感じられる程に。
その静寂に包まれた森に、美しい白亜の艦体を隠したマルクト戦艦タルタロスの艦橋もまた、任務遂行中という状況も相俟って、誰もが口を噤み、各々に課せられた職務に向き合っていた。

「…ん?」

一人の兵士がふと夜空を見上げ、

「………何だぁ…アレ……?」

などと間抜けた呟きをするまでは。
静かだった艦橋内。兵士の小さな呟きは存外響き、その場に居た全員の耳にも届く。当然、艦長の耳にも。

「何事だ」

簡潔に艦長が問うのだが…

「ぇあ、え、その…アレが…」

兵士の返答は何とも歯切れの悪いものだった。
返答する事よりも外が気になる様で、ちらちらと窓の外に目を忙しく動かしている始末。艦長が訝しんだ時、その隣で動く男がいた。

「説明を待つより、自分の目で確認した方が早そうです」
「カーティス大佐」

やれやれと軽く嘆息して、大佐と呼ばれた男…ジェイド・カーティスは、最早挙動不審とさえ言える状態の兵士のもとまで歩み寄り、彼と同じく窓の外に視線を向ける。
結果。

「・・・・・・成程」

何とか、そう、呟いた。
成程。確かに。
『何だぁ、アレ?』である。

ジェイドの視界に飛び込んできたのは、預言通りに雲一つなく晴れた夜空の中を、無数に煌めく星々に混じって、ふわふわーふよふよーと彷徨う、白い浮遊物体だった。
その白い浮遊物体は、どう言う訳か時々おかしな方向に激しく緩急を変えて行ったり来たりしつつ、どうやら此方…タルタロスに向かっている様である。
他の兵士達もその存在に気づき、敵襲か?え?アレで?と艦橋内が騒めく。艦長が念の為に迎撃準備を命じる声を聞きながら、地道に接近する浮遊物体をじっと、もう着陸して歩いた方が安全確実だろうになどと思ったりしつつ観察していたジェイドは、見えてきたそれの全体像に、ひくりと口元を痙攣らせた。
しかし、幸いにしてそれに気づいた者はいない。艦長を始めとした他の兵士達の視線は、総じて浮遊物体へと集中し、総じて微妙な表情になっていたからだ。
そうこうしている内に着実にタルタロスへと接近する白い浮遊物体。その全貌は、本来ならば迎撃しなくてはならない程の近距離になって、漸く明らかになった。艦長が迎撃を命じなかった理由は、まぁ、ほら、色々である。

白く見えていた浮遊物体は、一脚の椅子と、それにちょこんと座る華奢な体躯の女性と少年だった。
椅子自体も上品な白亜であったが、それに座る両者の服装が白を基調としていたのも、浮遊物体の白い存在感を誇張した。
そして更に近づいて来ると、その背もたれにしがみ付いているオレンジ色のなかなか個性的で巨大なぬいぐるみにしがみ付いている少女らしき小さな頭が見える。だったら直接背もたれにしがみ付いても同じではないかと誰かが言った。当人には届く訳もないのだけれど。

・・・・・・・・・・。
・・・ど、・・・どうしよう・・・・。

そんな空気が、艦橋内に満ちる。
その一方で、向こうもなかなか大変らしい。
表情こそ窺えないが、少女はどうやら椅子を操縦しているらしい女性に、向かうべき方向を教えているようだ。その動きは必死にしか見えない。かなり必死。
しかし、ジェイドは一切気にしない事にした。そこに自分がいる訳ではない、他人事だからだ。
ジェイドが明確に思うのはただ一つ…あの椅子が無性に気にくわない。それだけである。

「…カーティス大佐…」

艦長の呼び掛けに振り向けば、いつの間にか艦橋内の視線はジェイドに集中していて、この『どうしよう…』な空気の答えを求めているのだと嫌でも察する。
そうこうしているうちにいよいよ浮遊物体が近付いて来たので、ジェイドは重い溜息をひとつ吐くと、踵を返してドアへと向かう。

「あの浮遊物体と操縦者らしき女性については不明だが、少年と少女は導師イオンとその守護役の情報と合致するので、一応着艦は許可し、私と第2班で出迎えます。ただし、アレが不審な…明確な攻撃体勢に入る等した場合は攻撃を許可します」
「はっ!了解しました!」
「あぁ、それから…」

流れるように幾つかの指示を出したジェイドを敬礼で見送った後には、任務遂行中には不釣り合いな、生ぬるい安堵の空気が流れていた。


召集した第2班と共に、ジェイドは艦橋を出て通路を進む。屋外に接したドアを開けると、浮遊物体はこの短時間で驚く程接近しており、のろのろ運転から一転、突然スピードを上げたのだろうな、などと悠長に思うのはもちろん他人事だからである。突然の事に驚いたであろう艦長が驚いた拍子にうっかり攻撃を命じなくて良かったですねー、と思うのも同様に。
どうやら甲板に不時着する様子の浮遊物体を、ジェイド達は黙って追った。

ジェイドが甲板に到着するのと同時に、浮遊物体も無事不時着を果たしていた。
背凭れにしがみついていたオレンジ色のぬいぐるみは、タルタロスに降りるやいなや見る見るうちに縮み、ぬいぐるみにしがみついていた少女はヘロヘロと降り立って、力尽きたようにその場に崩れ落ちる。

「…しっ…死ぬかと思…った……っ」

実に真に迫った感想である。
少女には第2班から同情の視線が向けられた。

「本当にねぇ。無事に着いて良かったわ」
「そ、そう…です、ね…。でも、き…貴重な体験だったと、思いますよ…僕は…」

のほほんと少女に賛同した女性に今度は半数が目を剥き、顔色が真っ青なのにフォローをする少年に半数が目頭を押さえた。
そんな第2班を尻目に、とりあえずの観察を終えたジェイドが彼らに静かに近づいて声を掛けてみる。

「お話中の処を失礼致します。導師イオンとお見受けしますが、」

途端、這いつくばっていたのが嘘のような素早さで少女はイオン達の前に立って此方を見据えてきた。
見たところ十代前半の少女は年齢の割になかなか優秀のようだ、とジェイドは内心で分析する。

「あ…はい。ローレライ教団導師イオンです」
「私はマルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐です。貴女は導師守護役ですか?」

イオンと挨拶をしたジェイドは、大佐と聞いた途端に何故か目を輝かせた少女に目を向けた。

「はぁい、神託の盾騎士団導師守護役所属アニス・タトリン奏長でありまぁす。宜しくお願いしますぅ」

きゃるん♪と上目遣いで向けられた媚びた笑顔に、ジェイドはアニスの【キャラ】を察知した。
一方アニスも、

「ええ、宜しくお願いしますよ〜アニス〜」

一見人当たり良さ気でも露骨に胡散臭〜い作り笑いにジェイドの【人柄】を瞬時に悟り、内心舌打ちをしたとかしないとか。
そんな乙女の舌打ちなど知らん顔で、ジェイドは表情自体はそのままに、一切笑っていない目を女性に向けた。

「貴女はどちら様でしょう?」

鋭い視線に気付いているのかいないのか、慌てた様子もなく女性はふんわりと微笑みを浮かべた。

「私はリスティアータと呼ばれています。初めまして」

その名にジェイドの後ろで数人の兵達が騒めく。それも当然だろうが。
ジェイドも、ほぅ、と小さく呟いて、リスティアータと名乗った女性をさり気なく観察しながら、所謂『伝説』の登場に静かに目を細めた。

「リスティアータ様は今回の和平交渉に協力して下さいます。是非ご一緒して頂きたくて、僕が無理を言ったんです。…すみません、勝手をして…」

ジェイドの鋭い視線をどう取ったのか、未だ青い顔色ながら椅子から立ち上がったイオンが説明する。
彼女が本当に『リスティアータ』であるならば、協力はマルクトとしては願ってもない事だ。最強の切り札と言っても過言ではないだろう。
ただ、『リスティアータ』が人間だと知る者がどれ程いる?信じる者がどれ程いる?信じたとて、その発言の力はどれ程なのか?…幾らでも浮かび上がる不確定要素は捨てきれず、出し方次第では最悪のジョーカーにもなり得るのだろうとジェイドは結論付けた。

「そうですか。では…」

やけに素っ気無い返答にイオンとアニスは首を傾げる。『あの』リスティアータを初めて目の当たりにした反応とは思えない程の無反応だった。
そんな2人にジェイドは言った。あっさり。にっこり。

「あなた方が導師一行である事を証明して頂けますか?」
「…はぁ!?」

無礼な発言に真っ先に反応…いや、反発したのはアニスだった。

「導師イオンを疑うんですか!?無礼ですよ!!」
「此方の予定とは随分違った合流だったからですよ。人数以上に…方法が、ですが」
「…ぬあ"!」

眦を吊り上げるアニスに動じる事なく、ジェイドは眼鏡を押さえ淡々と答える。
その言葉に、アニスは顔面を露骨に引攣らせた。
そう。本来であれば、アニスとイオンは2人で教会を出た先で、マルクト帝国軍の密偵と合流する筈だったのだ。その際、予め決められていた暗号で互いを確認する手筈で。
…寄り道と移動の動揺で、イオンは兎も角、アニスはすっかり忘れていた事に蒼褪める。

「イイイイイオイオイオン様!どどどどどーどどーしましょう!?」
「ア、アニス、落ち着いて下さい」

ぎゃー!!と頭を抱えるアニスを宥めて、幾分顔色の良くなったイオンはジェイドに問う。

「合言葉、では駄目なのですか?」
「生憎と、イオン様と密偵との合言葉は双方以外には内密になっているので、私も知らないんですよねぇ。今から連絡を取るとなると…その間、拘束しなければなりません」
「んな!?」
「あらまぁ」

導師イオンを拘束?!
目を剥くアニスに対し、リスティアータはのほほんと驚いているんだかいないんだか分からない反応をする。
そして、ぽむっと手を打つと、

「では、戻ってマルクトの方と合流した方が良いかしら?」
「え」
「ぅえ"!?」

乗らねばならない2人からすればちょっぴり聞きたくなかった発言に、イオンとアニスの顔から一気に血の気が引く。
しかし、そうとなればとばかりにリスティアータはぽむぽむと先程までイオンが座っていた座面を叩く。
イオンは無意識だろうが一歩…もう一歩だけ後退った。

「あ…えっと……」
「此処まで来られたんですもの。大丈夫ですよ、きっと」

のほほんと宣うリスティアータに、大丈夫じゃないから!と誰もが内心で思った。
そんな由々しき事態の中で、必死でイオンは考えた。死活問題だから必死で。必死。
そして、出した結論は…

「えっと…折角此処まで来たんですし、連絡を取る間待ちましょう」

拘束を受け入れる事だった。
元より正当な理由ある拘束である。そう手荒に扱われるとも思っておらず、アニス程の忌避感を抱いていなかったイオンは、精神的窮地に立たされながらも持ち前の聡明な思考でギリギリその結論を捻り出す事に成功したのだ。

「えぇえ?!…いや、でも、う〜ん…。…わ、分かりましたよぅ…」
「そうですか?イオン様がそう仰るなら、そうしましょうか」

イオン自身に抵抗がないのであれば構わないと、アニスはイロイロな葛藤の末に渋々、元よりこだわりがないらしいリスティアータはのほほんと拘束を受け入れた。

「…まぁ、手荒な真似はしませんので、暫く御辛抱下さい」

そのやりとりを黙って眺めていたジェイドは、計らずも同情的な言葉をイオンに向けた。


再執筆 20080823
加筆修正 20170423

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