Metempsychosis
in Tales of the Abyss

001

ぺちっ

 そんな音がした事など気づきもせず、多岐は突然耳に入った赤ちゃんの泣き声にきょとりとした。
 目をぱちぱちと瞬くが、もう赤ちゃん泣き声は聞こえない。あら?と言いつつ首を傾げた…はずだったのに、

「んや?」

 聞こえたのはまたまた舌足らずな赤ちゃんの声で…。
またまた多岐はきょとりと瞬いた。
今のは、もしや自分の声…?まぁ。と驚きの声を上げてみれば、

「んま」

 やはり聞こえたのは舌足らずな赤ちゃんの声。今度は多岐にも声を発したという自覚があったので、赤ちゃんの声が自分の声なのだと、わりとあっさり受け入れた。他者が聞けば「あっさり過ぎる!」と激しいツッコみが入っただろうが、生憎居ないのである。

 そうしてあっさり受け入れた多岐は視界にむにむにの手を発見した。まぁ、可愛らしいもみじのおててねぇ。むにむにしたらすべすべで柔らかそうだわ。なんて思った矢先、もみじのおてて、動いた。

「まーぁ?」

 多岐はまたまたきょとりと瞬いた。
意識してにぎにぎしてみれば、意のままに動いてまたきょとり。そして、またまたあっさり自らの手なのねと受け入れた。
と、そこに来てようやく先程のふにゃふにゃとろけ笑顔の若者さんが、一転したぐしゃぐしゃの今にも泣き出しそうな顔をして多岐を見ているのに気がついた。
 またまたまたしても多岐はきょとりと瞬いた。
この若者さん、どうしてしまったのかしら?さっきまではあんなにふにゃふにゃ幸せそうに笑っていたのに。それにしても、この若者さん、随分と雄々しいお顔してるわねぇ。なんて思っていた。

 多岐は知らない。
多岐が叫んだ拍子にもみじのおててが若者さんの頬にぺちっと当たった事を。直後の「んや」で拒絶された!と若者さんがベコッと凹んだ事を。「んま」「まーぅ」の声を聞き、その意味を彼なりに解釈した結果、更にベッコベコに凹みまくっている事を。

 そんな2人の元に近づく者がひとり。先に気づいたのは当然若者さんで、彼が少し体勢を変えれば、多岐にもその姿は見えた。優しげな美人さんである。美人さんは若者さんから優しく、しかし軽々と多岐を受け取り、ゆら、ゆら、と揺れる。
その傍で多岐に向かって「フィエラ〜、フィエラ〜」と何だか必死に話し掛けてくる若者さんを見て、2人が夫婦なのだと思い至るのはすぐだった。
 そして、またまたまたまたあっさりと、私、このご夫妻の赤ちゃんに生まれ変わったのかしら?まぁ、びっくりねぇ、と、このありえない事実を受け入れる。
フィエラと言うのは私の名前かしら?日本人ではないのかしら?でも言葉は日本語よねぇ?などなど、たくさんの疑問が浮かぶことは浮かんだのだが、赤ちゃんになって自力で出来ることなど皆無。まぁ、成長していけば自然と分かることね、と、早々に結論に至った多岐は大物なのか何なのか。

 若者さん改めお父さんに見守られながら、大人しく美人さん改めお母さんに抱っこされて揺られていれば、ふわふわと眠気がやってくるのに時間は掛からなかった。多岐、改めフィエラは、それに抗う事なく眠りに落ちる。寝るのは赤ちゃんのお仕事なのだ。



 次に目を覚ました時、室内は太陽ではない光が灯っていて、どうやら夜らしい。

「んーぁ」

 寝起きの体をぐーっと伸びをしてしまうのも、それによって声が出てしまうのは、赤ちゃんも同じらしい。すると、その声を聞きつけた母がこちらに近付いてくる。その姿を目にした瞬間に、それは起こった。

 …叩かれ…扉………兵士……人……………刺され…母……逃げ、よ…と、背を向……斬られ…死ん……

 それが終わった時、フィエラは呼吸も忘れて目を見開き、体は石のように硬直していた。一拍遅れて脂汗が噴き出るのが分かった。
母が様子のおかしい娘を優しく抱き上げると、それにより視界が動き、室内が見渡せる。その室内の扉を見た瞬間、フィエラは烈火の如く泣き出した。
ここにいてはいけないと、ここを離れようと、まだ力の入らない手で、必死に母の服を引っ張る。
あまりに激しい泣き声に、父も近寄ってきた。フィエラが泣いている理由が解らず、夫婦はただただ戸惑うばかり。お願い、逃げてと、どんなに伝えたくても伝える方法が無い。でも、このままでは、このままでは、

───ゴンゴンッ

 乱暴に叩かれた扉に、フィエラは大きく体を震わせた。

────ゴンゴンゴンッ!

 先程より強く、執拗に叩かれる扉に、フィエラの様子を気にしながらも、父が扉に向かう。

── 開けないで!

 フィエラは再び泣きじゃくり、届く訳もない手を必死で伸ばしたけれど、

   扉は、開かれてしまった。

「神託の盾騎士団である。この家にフィエラと名付けられた赤子はいるか」

 扉の向こうに立っていたのは鎧を着た男達。まともな挨拶の一つもなく詰問され、父は不快さを隠さず眉を寄せた。

「なんだ、アンタたちは」
「我々の問いに答えろ!」

別の男が厳しい命令口調で言う。その剣幕に、父が不愉快さと警戒心を示しながら、だったら何だ、と問えば、

──ああ…お願い…

 にやりと、男達が嗤う。

「──貰いうける」

──やめて!

   フィエラの願いは、届かなかった。

 後ろに立っていた男が素早く前に出て、真っ直ぐに、いつの間にか(最初からかもしれない)抜き放っていた剣を突き出す。その剣が父の胸を刺し貫くのが、フィエラは駒送りのようにゆっくりとした動きに見えた。

「……ぁ…なた…っ」

 母が呆然と呟く。
別の男が室内へと侵入しようとするのを、剣に貫かれたままの父が手を伸ばす。
その顔面を鷲掴み、壁に叩きつける。
覚束ない足を踏ん張り、自分を刺した男を盾にして、後続を入れまいと立ち塞がる。
そのすべてが、目に焼きつく。

「──に…げ、ろっ!」

 母はひゅっと息を呑み、泣きじゃくるフィエラを強く抱き締めると、裏口に向かって走り出して、

 フィエラは、母の腕の中で、命が絶たれる音を、聴いた。

「──…フィエラ…愛して…いるわ…っ…わたし、の…」

 死の淵に倒れる時でさえフィエラを守った母は、最期まで、優しかった。


────これが、私が視た、最初の悪夢。


再執筆 20080716
加筆修正 20160405
加筆修正 20231031

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