おめでとう、と言ったら…
怒られてしまうかしら…、と、
ちっとも悪びれずに小首を傾げて、リスティアータは言った。
状況を説明すれば、時間は深夜。
場所は、アルビオールの座席である。
そして、そんな状況でのリスティアータの突拍子もない発言に、
「……えーっと…?」
と、本日の見張りを買って出たガイが、本気でぽかんとしてしまったのは、無理も無い事だった。
ルーク達がアルビオールへと戻ったのは、ダアトへ出発して半日以上…リスティアータがアリエッタを見送ってから5時間近く経過した夜更けだった。
リスティアータ達は、彼等の様子がおかしい事に気づきながらも、敢えて訊くことはせず、遅い夕食を終えてそれを片付けてと過ごしていれば時刻は深夜。
結局詳しい話は明日にしようという事になり、では今日の見張りは、と言う所で、名乗りを上げたのはガイで。
「ガイ…でも、今日は…」
「そんなに心配しなくても、大丈夫だって。な?」
それに対し、事情を知らないリスティアータ達、そしてジェイドを除いた面々は難色を示した。
しかし、それを大丈夫だと笑って見せて納得させたガイは、全員が部屋に入って、ドアがパタンと音を立てて閉まった途端、近くの座席に崩れ落ちるようにして座ると、ふーっと深い溜め息を吐く。
嘘だった。
今は急ぐのだからと必死に押し込めていたけれど、ただ休むだけの夜になれば、やはり思い出した記憶の事を考えてしまう。
正直余裕は、ない。
別に、記憶が戻ったからと言って、ルーク達を裏切ってヴァンにつく、という訳ではない。
意志に揺らぎはない。
しかし、
「結構、くるもんだな…」
目を閉じれば思い出す、姉…マリィベルが自分を守る為の盾となり、血を流して床に臥した姿。
それに続いたメイド達の姿。
恐ろしいだなんて、思った自分を悔いた。
忘れていた自分を恥じた。
でも、やはり、
その情景を思い出すと、恐怖で全身が震えてしまうのだ。
「クソっ…!」
苛立つ自分を抑える為に、ガイは両手で顔を覆った。
どれ程の時間そうしていただろうか。
ふわり、と、柔らかな香りがした気がして、ガイはハッと顔を上げた。
そこに居たのは、
「リスティアータ…」
いつの間に部屋を出たのか、淹れたての紅茶を注いだティーカップを差し出すリスティアータ。
「あ…ありがとう…」
それを恐る恐る受け取って、力無い苦笑を浮かべたガイに、うーんと悩んだ様子を見せたリスティアータが言ったのが、冒頭の言葉であった。
部屋に戻った後で、大筋の話を聞いたのだろう。
しかしその内容は、リスティアータが言ったとは思えない程、無神経とも取れるまさかの発言。
ガイは先程までの気まずさも忘れ、真っ白な思考を必死に動かして考える。
とりあえず、おめでとう、と言われた事は…
「…あまり…嬉しくはない、かな…?」
自信なく、疑問符を付けながら答えたガイに、リスティアータは「そうよねぇ」と頷いた。
と、
「でも、やっぱりそれ以外の言葉が思いつかなくて…」
困ったわ…と言うリスティアータに、ガイは、リスティアータなりに慰めてくれようとしたのが、彼女特有の微妙な天然を発揮して、あのような発言をしたのだろうと思った。
しかし、
「羨ましいと思っているからかも知れないけれど」
ぽろりと零された言葉に、ぐっと眉間に皺が寄るのを感じる。
羨ましい?
大切な人達を失った記憶が?
過去が?
一度は真っ白になった思考の中に、再び苛立ちが込み上げて来て、
「代われるなら代わって欲しいよ」
と、
常の彼からは信じられない、冷たく、辛辣な言葉を発していた。
考えるより先に出たそれにハッとした時には遅く、慌ててリスティアータを見れば、彼女は驚いて目を見開いていた。
「……すまない」
「あら、私が悪いのだもの。ガイが謝る事はないわ」
何事もなかったように微笑むリスティアータから目を逸らしたガイ。
そんな彼に、リスティアータは逡巡して、口を開いた。
「でも、決して嘘ではないのよ」
「え?」
「私には、もう亡いものだからでしょうけれど」
「そ…れは…」
どういう意味か、とは言えなかった。
訊かずとも、彼女の『立場』を考えれば自ずと答えは浮かんだから。
気まずく言葉を詰まらせたガイの心情などお見通しなのか、クスクスと笑ったリスティアータは、次の瞬間、ふっと息を吐いた。
「朧気には残っているのだけれど…駄目ね。時が経つにつれて、否が応でも薄くなってしまうわ…」
だから、
辛い記憶であろうとも、【覚えている】…それが羨ましいと思うのだと、
そう言った彼女は、今にも泣きそうで、
ガイは、言葉が見つからなかった。
リスティアータが部屋に戻り、再び1人になった機内で、ガイはぼんやりと考える。
自分は、忘れていた【過去】を、どう考えているのか、と。
羨ましいと言われたのは、ガイにとっては衝撃的だった。
辛い、悲しい、そう思う過去を、羨ましいなどと言われたのだから。
しかし、それと同時に、悲しいと思うばかりだった自分では目の向かなかった事に気付かされた。
自分は、皆に守られた…愛されていたのだ、と。
決して幸せな記憶ではない。
しかし、その根本にある【幸せ】を、忘れてはいけないのだ。
今は、思うように考えを切り替えられないけれども、少しずつ、時間を掛けて、
過去を受け入れられるようになればいい。
そう思いながら、ガイは温くなってしまった紅茶を飲んだ。
執筆 20120212
加筆修正 20120713
あとがき
転生してから二十数年。
夢主は特別記憶力が良い訳ではないので、流石に赤ちゃん時代に、しかも10分見たか見ないかの人の顔を覚えていられません。
覚えているとすれば、女性が何となく優しそうな美人であっただとか、男性が強面だった、くらいの印象が主でしょう。
珍しく怒りを買った彼女ですが、最終的には丸く納まった…かな?
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