023
シンクはひとり、神託の盾本部の廊下を努めて平静に歩いていた。擦れ違った兵士達が参謀総長が珍しく急いでいらっしゃると思わず振り返っても気づかない程度に努めて平静に。
そして到着した扉をおざなりに叩いて、返事も待たずに入室した。
「マルクトから連絡が来たよ。…カンタビレの死亡を確認したってさ」
「…死んだ?カンタビレがか?」
開口一番言われた内容に、部屋の主であるヴァンは静かに目を細め、その傍らに立っていた副官リグレットが呆然と呟く。
「どうせモースの馬鹿が金をバラ撒いたんでしょ」
「…ふっ、小心な男のやりそうな事だな」
シンクがさも馬鹿馬鹿しいとばかりに言えば、ヴァンは冷徹な嘲笑を浮かべた。
「例の預言の年までそう間もない。少しでも邪魔者を消したかったのか、ただ功を焦ったか、もしくは、……」
ふと言葉を切ったヴァンからは冷徹な空気が鳴りを潜め、それどころか優しげと言える表情でもって続けた。
「……もしくは、リスティアータ様に余計な入れ知恵をされては堪らないとでも考えたか」
ヴァンの口から出た名に、シンクとリグレットは各々に眉を寄せた。
「閣下…リスティアータ様に、この事は…?」
「僕は嫌だからね。目の前でビービー泣かれたらうるさいったらないよ」
「口を慎め、シンク!」
痛ましげに眉を顰めたリグレットに対し、シンクは心底嫌そうに吐き捨てる。リグレットの諫める声にも、当人は顔を背けて知らぬ振りだ。
「…いや、言う必要はない」
「!…閣下……」
「カンタビレのレプリカ情報は無い。代わりが作れぬ以上、お伝えしても哀しまれるだけだ」
「……そ。ならいいけどね」
用は済んだら長居は無用だ。
踵を返してヴァンの執務室を出て、仕事に戻るべく廊下を歩いていたが、ふと窓の前で足を止めた。窓から見える蒼く澄んだ空には、音譜帯が日の光を浴びてきらきらと煌めいている。
仮面の下で、シンクの顔が忌々し気に歪む。
「───…ビービー泣かれたって…うるさいだけさ。……見たくもない」
そんなシンクの呟きを聞く者は、誰もいない。
一方、シンクが出て行った後の執務室では。
「モースにはこの事は伝えておけ。機嫌が良ければ、その分良く転がってくれる」
「はっ」
狡猾に微笑んでヴァンが命じる。リグレットが敬礼をして静かに部屋を出ると、ヴァンは椅子に背を預け、深く息を吐いた。
思い返すのは、先日届いた不可解な報告。
パダミヤ大陸の中でも特に人の立ち入らない奥地で、身元不明の死体が1,000体以上発見されたと言う。身元を調べようにも着衣は何一つ無く、また魔物の群がった凄惨な状況から、『たまたま』訓練で立ち入った一団は死者を『思いやって』その場で火葬したと言う。
その報告を読んだ時は内容の粗末さを嗤ったものだが、なるほど。カンタビレがダアトを出る際に連れていた隊員1,400名の消息が絶たれているのに、カンタビレの責任だと騒いで来ないのは、そう言うことか。
思えば隊員の選定はモース自らが行ったのだと思い出す。死期の近い兵なら預言通りに死なずとも、とでも考えたか。
小賢しい動きを嗤った。
そして、
「……あの方は、既に知っているのだろうがな…」
独り言ちたヴァンの声を聞く者もまた、誰もいなかった。
リグレットは憂鬱な気分で廊下を進む。
そうして辿り着いてしまった部屋の前でひとつ溜め息を吐くと、重厚な扉を叩く。中から聞こえた誰何に名乗れば、入室を許す声がしたので扉を開ける。
「失礼致します、大詠師閣下」
「リグレット、何用だ」
耳障りな声に、内心大いに顔を顰めながらも、モースの前に進み出る。そして、要件を淡々と口にした。
「先程マルクト帝国より連絡がありました。…神託の盾騎士団第六師団師団長カンタビレの死亡を確認した、と」
「そうか!」
途端、大詠師モースは椅子を蹴り倒しながら立ち上がり、喜色満面な表情になる。
「そうか、そうか!カンタビレが!ふは、ふははは!」
興奮覚めやらぬ様子でモースが室内をうろうろと歩き回る。
「また、カンタビレの連れていた隊員1,400名の消息が絶たれている件ですが、」
そんな様子を冷めた目で眺め、落ち着く頃を見計らって続けたリグレットを、モースはあっさりと遮った。
「カンタビレが死んでいる以上、生き残りは望めまい。捜索は打ち切れ。あぁ…しかし、騎士団内に影響があっては困るからな。暫くは内密にするようヴァンに伝えろ」
尊大な物言いを最後に、再び機嫌良く部屋をうろうろと歩き回るモースに、リグレットは静かに一礼し、部屋を後にした。
モースの執務室を後にして、陰鬱とした気持ちを吐き出すように深い溜め息を吐く。カンタビレの訃報は、思いの外リグレットに衝撃を与えていた。
カンタビレとの接点は、同期で入隊した事位で、特別仲が良かった訳ではない。寧ろ、ヴァンに加担する事を決めてからは険悪だったとさえ言えよう。
計画に関しても、邪魔者にしかなり得なかった。だから、わざわざモースに吹き込んで僻地へ左遷させ、ダアトから遠ざけたと言うのに。
「…余計な事を」
忌々しく呟く。
本当に余計な事をしてくれた。計画に差し障りは無くとも、あの方は、間違いなく哀しむのに。
「・・・・・」
リグレットは陰鬱とした気持ちを吹っ切るようにふっと息を吐くと、背筋を伸ばして再び歩き始めた。
その瞳に、あの日新たにした決意を秘めて。
再執筆 20080804
加筆修正 20160505
プラウザバックでお戻り下さい。