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フィエラは手紙を書いていた。
白い便箋にペンを走らせること暫し。書き終えたそれらを三つ折りにすると、同じく白い封筒に入れて蝋封印を施す。
封筒に宛名も差出人も書くことはしなかった。ただ手の中にあるそれをじっとそれを見つめて、さらりと撫でる。その色を、姿を、手触りを、その存在を記憶するように。
封筒の蝋が固まった頃、扉の叩かれる音に目を閉ざして顔を上げた。
「お入り下さい」
「失礼致します、リスティアータ様」
恭しく頭を下げて礼をした音に、困ったように苦笑する。
「いつも言っていますけれど、私に頭を下げる必要は無いんですよ?」
「いえ、それは出来ません。貴女にお仕えすると、私自身の意思で決めたのですから」
「もう…頑固さんですね」
フィエラはほんのりとした困惑と嬉しさの入り雑じった表情で言う。
会ったばかりの頃、彼女…カンタビレは、リスティアータに忠誠を誓った。その当時、心を閉ざしていたフィエラは、それをリスティアータ…『預言を宿すもの』に対するものだと受け取り、困った顔をし、内心ではなんとも迷惑なことだわ、と辛辣な感想さえ抱いていた。
しかし、
「お茶を淹れますからお掛け下さい」
「ありがとうございます」
イオンに閉じ籠っていた殻を破られ、現実を見ろと、目を醒まされた。そうして目を向けた現実では、変わらないことに幻滅もしたけれど、そればかりでは無くて。あぁ、とひとり涙を流してから、そう時間は経っていない。
カンタビレに対する認識も同様に、全てが変わった。
彼女は最初から『預言を宿すもの』なんて見ていなかった。彼女は最初からリスティアータを……フィエラという、一人の人間を見てくれていた。
それに気付いた時の気持ちの昂りを、なんとも表現出来なくて、ただただ感謝を述べたのも、まだ記憶に新しい話だった。
そんなカンタビレだが、お茶を淹れるのを待つ間の様子はあからさまに不機嫌で、ムスッと口を引き結んでいる。その苛立ちが自分に向けられているのではないと知っているフィエラは、それには触れずにカンタビレへ紅茶を差し出した。
双方一口飲んで、ほぅっと息を吐く。ほんのり弛んだ沈黙を破ったのはフィエラだった。
「…明日、でしたね」
「はい。明日、左遷されます」
不本意、不機嫌を前面に押し出した言い様に、フィエラは苦笑するしかない。忠誠を誓ったリスティアータを、傍で彼女を護ることが出来ないことを不本意と思ってくれる事は、とても嬉しいのだけれど。
しかし、ここを離れるカンタビレだからこそ、
「…貴女に、お願いがあります」
声音の変化に、カンタビレは瞬時に不機嫌を消し去って姿勢を正す。
「…何でしょうか」
「これを、届けて欲しいんです」
差し出された白い封筒を受け取って、カンタビレは静かに隻眼を細めた。
表裏に宛名も差出人の名前も無かったからだった。
「…誰に、ですか?」
「マルクト帝国皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下にです」
リスティアータが、カンタビレに、その手紙を届けさせようとする、その意味は。
「…承知致しました」
「────…お願いしますね、カンタビレ…」
加筆修正 20160503
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