Metempsychosis
in Tales of the Abyss

019

任務から帰って来たら姉上に真っ先に『ただいま』を言いに行くのは、アッシュの大切な日課…というより、儀式に近いかもしれない。

今日も今日とて任務を終えてダアト教会に到着したアッシュは、人目を気にして堂々と、人目が無ければちょっぴり忙しなく足を動かして、長い廊下を突き進む。
そうして辿り着いた扉を叩く。

「どうぞ」

誰何もせずに入室を許可する不用心さにアッシュは思わず笑う。
一応何度も注意した。しかも、それは自分だけではない筈なのだが、これまで改めようとしたところを見たことは一度としてない。
…まぁ、このオールドラントに於いて、【リスティアータ】を害そうとする者など滅多に居ないだろうが。

「ただいま帰りました、姉上」
「まぁ、アッシュ。お帰りなさい」

任務お疲れ様、と自分をその両目で見て微笑む姉の姿に、アッシュはようやく肩の力を抜く。

────…いつからだっただろう。
自分の前で長年閉ざされてきた両目を開くようになったのは。
煌めく黒曜石のような瞳と初めて目を合わせた時は、その深さに息を呑んだのは記憶に刻み込まれている。

「今お茶を淹れるわね」
「ありがとう、姉上」

アッシュは頬が弛むのが止められない。
だが、同時に当たり前だとも思う。
こうして姉上と過ごすお茶の時間は至福の一時なのだから。

しかし、この日はすぐに途切れる事となった。

「ちょっと。こんな所でお茶飲んでる暇があるならさっさと報告書上げてよね」

無遠慮にドアを開け放ったシンクによって。

当然アッシュは物凄い形相で睨んだ。
来客と同時に目を閉じた姉には見られる事はなかったのは幸いだったが、至福の一時を邪魔しやがったシンクには怒りと苛立ちしかない…のだが、

「今回の任務の報告書は急ぎだって言った筈だよ」
「ぅぐっ」

アッシュは呻いた。
ぶっちゃけ忘れていた。
しかし忘れてたなんて言えば馬鹿にされる事は必至。
返事に詰まるアッシュに、別方向から追い討ちが掛かった。

「まぁアッシュ、ちゃんとお仕事を終えなくてはいけないわ。今から行ってらっしゃい」

姉にめっと叱られてアッシュは結構凹んだ。
むしろトドメとなった。

「ぅっ…………分かった。…行ってくる」
「ええ、待ってるわね」

渋々な雰囲気を溢れさせながら立ち上がったアッシュは、姉からの優しい励ましの言葉に結構浮上して足取り軽く部屋を出て行った。


だっさ…。
小走りに部屋を出ていったアッシュを嗤って、シンクは用は済んだと踵を返したのだが、

「あ、ちょっと待って下さい」

呼び止められて、シンクは一応歩みを止めた。
相手は天下のリスティアータ様なのだと思い出す。
無礼があって、後でどんな告げ口をされるか分からない。

「………何か御用でしょうか」
「初めてお会いしますね。私はリスティアータと呼ばれています」

言葉遣いだけは丁寧に、しかし態度は見えていないのだからと非常に無愛想に答えれば、それを気にした様子もなく名乗られた上にぺこりと頭を下げられた。

「貴方のお名前は?」

にっこりと微笑んで訊いてきたリスティアータを、仮面に隠された目を細めて無言で睨む。
面倒臭い奴だな…。
そう思って無言になるシンクに気付かず、リスティアータはにこにこと微笑みながら返事を待っている。
沈黙の意味など全く気づいていない様子に、シンクは露骨に溜息を吐いた。
あぁ、メンドクサイ。

「…………シンクと申します、リスティアータサマ」
「シンクさんですね」
「……自分のような者に敬称や敬語は不要です」
「あら、そう?では、シンク。時間があればお茶でもいかがかしら?」
「…セッカクのお誘いは大変光栄ですが、仕事が御座いますので、お断りさせて頂きます。御用は以上でしょうか?」

返事は冷たく棒読みで、誰が相手でも『会話を続ける気が無く』『一刻も早く会話を切り上げたい』のだと伝わるだろう。
そうなれば自然と相手は強張り、退き、去る。
稀に伝わらない馬鹿も居るが、それはシンクが必要最低限の返事をして受け流しせば済む話だ。
言いたいことを言って満足すれば去り、或いは淡々とした返答をつまらないと飽きて、やはり去っていくのだから。

しかし、

「そう、残念だわ…。お顔触らせてもらえたらと思ったのだけれど…」
「は?」

心底残念そうに眉尻を下げたリスティアータの言葉に、思わずシンクの慇懃無礼なまでの敬語が剥がれる。
この顔にこいつが触れる?
シンクは嫌悪感に仮面の下で顔を歪めた。

「何で僕がアンタに顔を触らせなくちゃいけないのさ」
「お顔を触らせて貰えないと、あなたのお顔が想像出来ないからよ?」
「………………」

剥がれ落ちた敬語はそのままに、シンクは先程以上にリスティアータを睨む。
しかし、やはりリスティアータはにこにこと了承の返事をを待つばかりで、シンクの視線に気づく様子は無い。

ふざけるなよ。

怒りと苛立ちと、向け処の無い憎悪が渦巻く。
苛つく。
このまま一言「断る」と斬って捨てて、さっさと部屋を出ようか。
何も知らないくせに。
いっそ嫌がらせに触れさせてやろうか。
居場所が、あるくせに。
死んだイオンと同じこの顔に、この女はどんな顔をするだろうか。
必要と、されているくせに。
驚くのか、気づかないのか、イオンを思い出して、悲壮に顔を歪めるかもしれない。

────…あぁ、それは見物だな。

シンクは卑屈に嗤い、仮面に手を掛けた。

「…………二度目はないよ」
「まぁ、ありがとう」

刺々しい言葉にも満面の笑みで礼を言われ、シンクは内心で盛大な舌打ちをする。
何の苦労もしていない白い手を無遠慮に掴み、【レプリカ】の証たる顔に触れさせた。
じっと、リスティアータの顔を眺める。
さぁ、そののほほんとした顔を歪めて見せろと。
しかし、

「あらまぁ。シンクは生意気そうなお顔をしているのねぇ」

リスティアータの第一声に、シンクは真っ白になった。

「────…は?」
「態度と声もだけど。ふふふ」

意表をつかれて絶句したシンクの頬を、リスティアータは楽しそうにむにむにと摘む。
はっと我に返る。

「っ……ふざけるな!」

怒鳴り散らして立ち上がった。

───…有り得ない。

気付いたはずだ。
これがイオンの顔だと。

────…有り得ない。

気付かない訳がない。
自分はイオンのレプリカで、顔は、全く同じなのだから。

─────…有り得ない。

なのにリスティアータは、何と言った?
『あらまぁ。シンクは生意気そうなお顔をしているのねぇ』
『態度と声もだけれど。ふふふ』
…そう、言った。

──────…有り得ない。

生意気だなんて、イオンは言われた事もなかっただろう。

─────…有り得ない。

ならば何故、今、自分は言われたのか。

────…有り得ない。

似ている、同じ、と言われた訳でなければ、
出来、不出来、を指摘された訳でも、
優、劣、をつけられた訳でも、
劣化品と、罵られた訳でも、謗られた訳でも、見下された訳でも、ない。

───…有り得ない、筈なんだ。

それは紛れもなく、

「あら。シンクは、とっても生意気そうよ」

シンクを、個として見ていると言うこと。
一人の人間として、見ていると言うこと。

戸惑った。
次いで湧き上がった感情に、更に戸惑った。

今まで、自分自身でさえ自分は劣化品、出来損ないとしか見ていなかったのだ。
自分を、シンク個人を認識されたことが、こんなにも…────。

「・・・・・っ」

大きく数回深呼吸をする。

──…今更、
そう、今更だ。
今更、この女一人に自分を認識されたから何だというのか。
他の奴らは、世界は、何も変わってはいない。
自分だって、こんな事くらいで、簡単に変わりはしない。

────…けれど、

「お仕事の邪魔をしてごめんなさいね。シンクさえ良ければ、お茶を飲みに来てくれるととても嬉しいわ」

茶を飲む時間ぐらいなら、割いてやってもいいと、思った。

再執筆 20080726
加筆修正 20160424

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