沈んだ標の示す先
目を覚ましたルークは、首筋に酷い鈍痛を覚えると同時に視界が眩むように感じて、首を振った。
「……ぅっ…」
「ご主人様!目が覚めたですの?」
「……ここ、は…?」
「ボクには分からないですの……」
傍にいたミュウの声に、少しずつ痛みに慣れたルークが呟けば、ミュウは大きな耳を垂らして不安げに言う。
ゆっくりと立ち上がって見えた世界に、ルークは痛みも忘れて絶句する。
見渡す限りが地獄のようだ。
暗く澱んだ海が一面を満たし、海面からは常に蒸発するかのように気体が立ち上っている。
ふと気づいて足元を見れば、自分の立っている場所は大地の一部のようだった。
そこには自分とミュウ、ティア、ガイ、ナタリア、イオン、アニス、ジェイドの他に、何人かの人がいるらしい。
しかし、
「この方も、もう亡くなっていますわ…」
ナタリアの言葉から、自分達以外は死んでいるのだと知った。
じわじわと、足元から全身にかけて何かが湧き上がる不快感に、ルークは自分の口を覆った。
---何が、あった?
---どうして、こんな事になってんだ?
---ヴァン師匠に会った後に、何があったんだ!?
-------…怖い
ルークが心からそう思った時、
「……う……ぅ……」
くぐもった呻き声がした。
「誰かいるわ!」
急いで全員が視線を海面に向けて声の主を捜せば、すぐに見つかった。
見覚えのある男…確か、アクゼリュスに到着した最初に話した、パイロープと名乗った男。
その彼が、遠く離れた場所で、今にも崩れそうな地面の残骸の上にもたれ掛かって微かに目を開いていた。
しかしその目は虚ろで、瀕死の状態なのは明らかだ。
「お待ちなさい!今助けます!」
漸く見つけた生存者に、ナタリアが澱んだ海に飛び込もうと駆け出すが、ティアがそれを許さなかった。
止められたナタリアがキツくティアを睨むが、彼女の理由を聞いてぐっと言葉に詰まる。
「駄目よ!この泥の海は障気を含んだ底無しの海。迂闊に入れば助からないわ」
「ではどうしますの!?」
「ここから譜術をかけましょう。届くかも知れない」
そう言って2人が集中しようとした時だ。
「おい!まずいぞ!」
「いかん!」
ガイとジェイドの切羽詰まった声にパイロープの方を見れば、ゆっくりと、沈み始めている。
何とかしなければ。
そう考えながらも何も出来ずにいる面々に気付いたのか、パイロープの手が、何かを、いや、何処かを指差した。
思わずその指の指す方に目を向けた直後、足場の傾く衝撃に、慌てて体勢を整え、視線を戻す。
しかし、今の衝撃でだろう、パイロープの姿は泥の海に呑み込まれてしまっていた。
悔しさに、ガイが拳を足場に叩きつける。
「…タルタロスに行きましょう。緊急用の浮標が作動して、この泥の上でも持ち堪えています」
いつまでもそこにいる訳にはいかないと、ジェイドの冷静な声に促されて初めて、ルークはタルタロスの存在に気づいた。
ただの偶然なのだろうが、こうして間近にタルタロスがある事は幸運以外の何物でもないだろう。
タルタロス内部は、神託の盾の死体が至る所に転がっていて、何より先に【掃除】をする事となった。
1人1人、死体を泥の海へと棄てる。
決して気分の良い作業ではなかったが、死体が転がったままのタルタロスを乗り回す訳にもいかないとのが現実だった。
その間にシステムを確認していたジェイドは、甲板に集まっていた皆に言った。
「何とか動きそうですね」
「魔界にはユリアシティという街があるんです。多分、ここから西になります。とにかく、そこを目指しましょう」
「詳しいようですね。後でご説明をお願いしますよ」
見たこともない世界に困惑する皆と異なり、落ち着いた様子で説明するティアは、どうやらこの場で一番状況を理解しているらしい。
そんなティアの言葉に頷きながらも、ジェイドは静かに眼鏡を押し上げた。
「しかし、ユリアシティという街に向かう前に、行きたい場所…と言いますか、方向がありますので、そちらを優先させて頂きますよ」
「さっきの…パイロープさんが指差した方角か?」
「ええ。伝えたい、もしくは、見せたい何かがあるのかもしれません。行ってみても無駄にはならないでしょう」
「そうですわね…最後の願いですもの…私、叶えて差し上げたいですわ」
「僕もです」
ナタリアとイオンの言葉は真からの優しさだったが、ジェイドがそちらに行きたい理由は違った。
パイロープの最後の願いは、正直気にしていない。
しかし、指された方角には何かある。
そう思った。
第六感などあてにした事はないが、無視する事は出来そうもない。
その先に何があるのか、知る者は誰もいなかった。
執筆 20090425
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