境界線
人懐っこい性格のジョンと手を繋ぎ、フィエラは広場を目指した。
間もなく着いた広場では、年齢性別に関係なく、所狭しと人々が折り重なっていた。
その多くが重度の障気障害の者なのだろう。
時折聴こえる呻き声以外、生きているのか判別するのは難しい。
軽度の者達は重度の者達の移動を行い、肩を貸し合っている。
かなり広い広場に、限界を超えた人数が集まっている。
それでも更に人々を集め続けるのは、イオンの言葉から、皆が何かしらの予感を覚えたからかもしれない。
「お姉ちゃん?」
想像を遥かに超えた状況に、自分が望んだとは言え茫然としたフィエラは、ふと手を引かれて我に返った。
「ぇ…あ、」
「大丈夫?」
「え、えぇ、大丈夫よ。ありがとう、ジョン」
この状況下にありながらも、他者を心配出来る子供の純粋な強さに、フィエラは救われるような思いで微笑んだ。
そして、人々の間を縫うようにして進み、広場の中心に立つ。
後ろを付いてきたジョンもフィエラの傍にちょこんと座った。
ある筈のない時計の秒針が、カチカチと時を刻む幻聴が聴こえそうな緊迫感の中
その時は----------来た。
最初は、ずるずると何かがずれるような感覚。
些細な変化だったが、誰もが皆足を止めて天を仰いだ。
その行動に意味はなかったのだろうけれど、期せずして、無数の亀裂が走るのを見る事となった。
途端、状況も解らず恐怖に掻き立てられた人々の叫びが渦巻く中心で、フィエラは静かに息を吸い込んだ。
--- クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レイ , ネゥ リュオ ズェ ---
悲鳴の響く中、ティアより少しだけ低いソプラノが、優しく響く。
すると、フィエラを中心に、巨大な譜陣が浮かび上がった。
日頃、ティアの使う譜歌とは比べ物にならない程の大きさの、光のドーム。
しかし、それがどんなに大きくても、広場総てを覆える大きさではない。
人々もまた、そのドームがどのような意味を持つのか、本能的に悟って、慌てた。
譜陣の外にいるという事は、間違いなく、死ぬという事。
死に物狂いで譜陣の中に群がる者達が多い中、動けない重症者を動かす勇気ある者達も、多くいた。
その中に、ジョンの父親、パイロープの姿もあった。
--- クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レイ , ネゥ リュオ ズェ ---
フィエラがもう一度謳えば、少し譜陣が広がった。
ドームの中に入れて喜ぶ人々の声は、フィエラの耳に届いていない。
2度目に謳った直後から、酷い耳鳴りに苛まれ、総ての音が遠退いていた。
--- クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レイ , ネゥ リュオ ズェ ---
--- クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レイ , ネゥ リュオ ズェ ---
間を措かず、何度も謳うリスティアータの傍にいたジョンは、ぽたりと頬に落ちた温かな何かに、ビクリと肩を震わせた。
恐る恐る頬に触れると、ぬるりとした感触がする。
何かと思い触れた手を見て、ジョンは全身を強ばらせた。
紅い、手が真っ赤だった。
それが血だと認識するより早く、ジョンは頭上を仰ぐ。
どこから降ってきたのかを確認する為に。
そして、見たものは、
「お姉…ちゃん…?」
「…っ…」
それはまるで、たった今、この大地に無数に走った亀裂のようだった。
それが、リスティアータの祈るように組まれた両手を中心に、彼女の色白な肌を引き裂いている。
--- クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レイ , ネゥ リュオ ズェ ---
謳った直後、更に亀裂が広がったのを見て、ジョンは悟った。
理解したのではない。
悟ったのだ。
このままでは、死んでしまう。
「お姉ちゃん!もういいよっ!」
遠くで、男の子の声が聴こえた気がした。
--- クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レイ , ネゥ リュオ ズェ ---
また一つ、譜陣を膨張させたフィエラは、ぼんやりと、前を、見ていた。
白い椅子に4人の男性が乗せられ、それを押して男性---パイロープが、走ってくる。
譜陣も間近に来た時、彼らの地面が----墜ち始める。
きっと、椅子を---椅子に乗った人達を置いて走れば、まだ間に合う。
パイロープは、助かる事が出来る。
しかし、彼は…---------------…椅子を力一杯押し出す事を、選んだ。
墜ち逝く地面の上に取り残されたパイロープは、人々の犇めく譜陣の中、フィエラの傍にいる自分の宝、ジョンをすぐに見つける。
-----…ふ、と、
パイロープの浮かべた安堵の表情が、フィエラの眼に焼き付けられる。
直後、大地から噴き出した閃光を最後に、アクゼリュスは崩落した。
執筆 20090425
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