017
フィエラがイオンと初めて会ったのは、彼がまだ3歳位の時。
次代の導師として、生後間もなくダアトへ連れてこられた彼を教育する一環としての面会だった。
教育係に連れられてやって来た彼は、歳の割にはちょっぴりおませさんだが、まだまだあどけない子供であったと記憶している。
「イオン様、こちらはダアトの至宝・リスティアータ様に御座います」
「は、初めまして、イオンです」
「初めまして。私はリスティアータと呼ばれているわ。よろしくね」
「…うん!」
ふんわりはにかむ男の子は、その日を機に時折勉強の合間を縫って一人で遊びに来るようになった。
ある時、イオンはフィエラに訊いた。
「リスティアータは、何で預言を詠まないの?」
「…まぁ、ふふふ」
子供ならではの率直な質問に、きょとりとした後で思わず笑う。余裕があったのは、相手があまりに子供であったからだろうけれど。
もちろん笑った位ではイオンのなぜなぜ攻撃は止まらない。
怒濤の攻撃に、フィエラはう〜ん、と考えて、
こんこんと、小さなノック音を聞いてフィエラは顔を上げた。
「どうぞ」
「失礼します、リスティアータ様」
入って来たのはイオンだった。
しかも、ここ最近は必ず一緒にいたアリエッタの姿はなく、珍しい事にたったひとりで。
フィエラは内心目を細めた。
「お一人ですか?」
「はい。少し…リスティアータ様とお話がしたくて」
やはり、と思った。
思えばイオンと二人きりになるのは、あれ以来初めてだ。
そもそもイオンが真剣な声音でリスティアータに話があるなど、他に心当たりもないのだけれど。
「……解りました。お茶をご用意しますね」
「ありがとうございます」
フィエラの返事に、イオンの顔はほっと綻んだ。
お茶を淹れ終わっても、イオンもフィエラも、すぐに本題に入ることはなかった。
タイミングを計り、当たり障りのない世間話をすること暫く。
そうしてふと会話が途切れた時、イオンが口を開いた。
「…以前、僕がお訊きした事を覚えていらっしゃいますか?」
あぁ、やはり。
きゅうとティーカップを持つ手に力が入る。
「………ええ」
「リスティアータ様が預言をどう思っているのか、聞かせては頂けませんか?」
「………………」
リスティアータは沈んだ表情で俯く。
イオンの問いに対する答えを『フィエラ』は持っている。
しかし、それを【リスティアータ】が【導師イオン】に言う意味も解っているから、言う訳にはいかないと思ってしまう。
リスティアータの重い沈黙に、イオンが年齢に似合わぬ慈愛を秘めた瞳で微笑んだ。
「勘違いしてない?【僕】が【貴女】の考えを聞きたいんだよ?」
「………え?」
その敬語を取り払ったイオンに、その言葉に、リスティアータは目を見開いた。
目の前に座っている彼と、目が合う。
【イオン】は、自分を、リスティアータ【個人】を真っ直ぐに見ている。
「………っ!!」
この時の感情を、どう表したら良いのだろう。
もう、ただ単純に、嬉しかった。
今まで、リスティアータを【個人】として見る者なんていなかったから。
リスティアータと呼ばれるようになってから、自分を【人】として見る者なんて…いなかったから。
まして、それを言葉にしてそれを伝えられたことなんて、
だから、
「…【私】は、預言を恐ろしいと…思っているわ。嫌悪さえ、しているかもしれない…」
「…そう。変わってないね」
「イオン様?」
「やっぱり、僕達はよく似てる」
そう言って笑う。
「……僕の預言を…視たんでしょう?」
問いではなく確認だった。
それに含まれた幾つもの意味を、余すこと無く汲み取って、フィエラは更に胸が痛む。
小さく頷くと、イオンは淋しげに笑った。
「そっか。…僕が4歳くらいの時を覚えてる?」
「……貴方が私に敬語で話すようになった頃?」
「そう。…あの頃、僕は自分の秘預言を詠んだんだ」
「!!」
驚いた。
確かに敬語こそ使うようになったが、ここに居る間の彼は、それまでと変わりなかったから。
好奇心だったと笑う彼は、ふっと窓の外を見る。
「…やってられないなぁ、って、思ったよ」
その一言に、イオンの絶望のすべてが込められていた。
衝撃、だった。
知らない所で、彼がそんな思いをしていたなんて。
何故、気づいてあげられなかったのかと。
「僕は、変わった。…アリエッタとリスティアータには、必死で隠してきたけれど、本当の僕はひどい奴なんだよ。本当に、ひどい奴なんだ」
そう自嘲するイオンは、今にも消えて無くなりそうで、息を飲む。
「もうすぐ…僕は死ぬんだろう」
でもね、
「抗ってみる事にしたんだ。今になって、往生際悪く」
「イオン…くん…?」
彼の言葉には、若干12歳とは思えない強さがあった。驚きに目を瞬かせるフィエラに、更に言う。
「リスティアータ。僕は、貴女に幸せになって欲しい。だから、貴女が一番言われたくない言葉を言うよ」
「現実から…預言から、逃げるな」
「……っ!!」
何を突然、とは思わなかった。
直後、リスティアータは顔が焼けたように熱くなる。
恥ずかしかった。
恥ずかしくて堪らなかった。
長い間自分自身から目を背け、逃げ続けていた事実を、自分よりずっと年下の子供に突き付けられるなんて。
「貴女はもっと、我が儘になるべきだ」
一途にリスティアータを心配して掛けられる言葉が、痛い。
でもその痛みで目が醒めた。
リスティアータは、いや、フィエラは、世界に再び繋がる事が出来た。
永い、永い時間を掛けて、イオンの言葉を受けて、ようやく。
フィエラは震える息をひとつ吐くと、真っ直ぐにイオンを見た。
「………アリエッタには、言わないの?」
「…言えないよ。僕が死んだら…アリエッタも、きっと死んでしまうから…」
あの子には、生きて欲しい。
その言葉は紛れもない事実だろう。
イオンはアリエッタの世界全て。
彼女にとって何にも代えがたい大切な人だ。
でも、いや…だからこそ、
「アリエッタに、話してあげて…全てを」
「………それは、」
「お願い。2人一緒に抗って。さいごまで」
「…っ!」
フィエラの言葉に、今度はイオンが驚く番だった。
自分を真っ直ぐに見つめるフィエラの瞳は、確かに【イオン】を…【個人】を見つめていた。
その瞳の強さに胸が熱くなるのを感じて、イオンはくしゃりと笑った。
「…ずるいなぁ」
「ずるいかしら?」
「ずるいよ」
「貴方が言ったのよ?」
「今言うなんて思わないじゃないか」
「そうかしら?」
「そうだよ。でも………ありがとう。それから、」
─────…大好きだよ。
それが、イオンと交わした最後の言葉だった。
再執筆 20080721
加筆修正 20160417
プラウザバックでお戻り下さい。